宮沢さんは上京して半田成一郎(J1DM)さんを訪ねて、こと細かく教えを請い、その後、林さんと当時の七欧無線商会に行き、まったく同じ部品を買い揃えて、無線機を組み立てる。ちなみに、この当時、アマチュア無線の神様的存在であった笠原功一さんは関西から上京して、七欧無線に勤めJ1EZになっていた。この時に、宮沢さんが笠原さんと面識をえたかどうかは定かではないが、半田さんは当然、笠原さんに会うように話したものと思われる。

左から木村さん、浅井さん、田畑さん。浅井さんのシャックで

[吉本さんと古田さん]

宮沢さんのことを長々と書いてきたが、昭和7年には上京した宮沢さんは日本無線に勤務、東京住まいにともない、コールサインはJ1DGとなっていた。宮沢さんのコールサインを受け継いだ吉本正二さんは、金沢市郊外で梨などの果樹園を営む家庭の次男だった。いきさつはわからないが、長年台湾で育ったらしいことと、ラジオ少年になったきっかけは、関西のどなたかの影響らしいということが伝わっている。

昭和60年(1985年)代になって、古田さんが「RAINBOW NEWS」に吉本さんの思い出を書いている。「RAINBOW NEWS」は、昭和57年(1982年)に、戦前のハムを会員に発足した「レインボー会」の機関紙であり、戦前のアマチュア無線についての貴重な話が書かれている。

古田さんは第4高等学校(現金沢大学)に入学して、すでにハムとなっていた上級生の吉本さんと親しくする。吉本さんの自宅に遊びに行った時の様子が描写されているが、兄の子供の面倒をみながら、無線機を組み立てる2階10畳のシャックの乱雑ぶりに筆を割いている。

金沢市の第4高等学校の跡。重要文化財として建物が保存されている

[吉本さんのシャック]

「部屋の中はパーツや針金の切れ端、ハンダの粒、ビス、ねじ、釘、無数のハンダ鏝による焼け跡が散在し、隅の少し開けたところで兄貴の子供を抱きあやしながらハンダ鏝を振り回しているのである」「“抵抗器があるから取ってくれ”といわれ、足場を探しながら行こうとすると“その線を踏むな。2000Vが生きている”という。ハンダ付けしている線が生きたままである」と、典型的な無線狂ぶりを綴っている。

この時代、送信機ではペントード(5極管)がなかなか買えなかったが、吉本さんはすでにUY-47真空管を使っていた。さらに後には水晶に変わり、さらにUX-203を大阪の百貨店で求めてくるなど、比較的豊かなハム生活を楽しんでいた。古田さんはその生活を「いつもうらやましく眺めた」と記している。

[吉田さんの苦労]

吉本さんは水晶発振に替わったが、古田さんは相変わらず自励式であった。このため、古田さんは手製の吸収型波長計に周波数を写してもらい、魚津の自宅に運び0-V-1受信機の再生のかかり具合(ディップメータ-の逆を使用)で、大体の周波数を決め「後は根気でハムの信号を探した」という。

さらに、ようやく名古屋のハムから水晶を都合してもらい「周波数は合っていなから、自分で磨け」といわれ、同時にカーボランダムの粉ももらう。「加減もわからず磨き、3.5MHzバンドに入れたが、並のピアス回路では発振せず、カソードにリアクションをかけてようやく発振させた。こんなことをやっていてよく卒業できたと思う」と、当時を振り返っている。

古田さんは、金沢の4高の寮暮らしであり、運用は魚津の自宅でしかできず、WAC(世界6大陸との交信)はできなかった。送信機は次第にグレードアップし、最後は2000V電源で、100W程度をかけた。プレートの色を見ながらのキーイングを行い「電灯がそのたびにぺこぺこ点灯するのですぐに眠くなり、何度も居眠りをして事故になりかけた」という。

古田さんの戦前の思い出は「九州の鹿児島からハイパワーで打ち出すJ5CCのブーカブーカ・ブーカブーカという濁った音と、J2CCのツートツート・ツートツートという音が今でも耳に聞こえる」という懐かしいものであった。J5CCは戦前世界的に有名であった堀口文雄さんである。

大正元年(1912年)生まれの堀口さんは、昭和5年(1930年)に開局し、13年(1938年)にDXCCとWASのアワードを取り、さらに、15年(1940年)にWAZを獲得した。WAZ獲得は戦前では世界で3人しかいないという成果である。残念なことに20年(1945年)に戦死.その偉業を称え「J5CCカップ」が戦後、制定された。

一方、吉本さんは4高を卒業したあと、大阪大学に進学し理学部の浅田研究室でマススペクトログラフの研究に携わり、卒業後には三菱電機に就職し、真空管を製造していたらしい。終戦後、古田さんは「吉本さんから6ZP1の球を箱に一杯ただで分けてくれた。ぺケになった球だが私には結構役だった」と思い出を書いている。

戦前、世界的に名を知られたJ5CC・堀口文雄さん