無線通信産業が「ビッグバン」時代に突入したこのころ、円間さんにとっても「昭和29年(1954年)は記念すべき年となった」という。勤務が業務系から技術系に変わったことや、コールサインがJA2WAからJA9AAに変わったことは触れた。このほか、この年にはアマチュア無線周波数がスポット指定からバンド指定になった。加えて、円間さんは電波監理局から「注意書」と「警告書」をそれぞれ受け取った年でもあった。

一つは水晶片を差し違え、電信帯で電話でCQを出したこと、もう一つはコールサインがJA9AAになることが確実といわれていたため、先走って、電信でJA2WA/JA9AAを1度だけたたいてしまったことだった。これが周波数偏差拡大の「注意書」そして指定外呼出符号使用の「警告書」となったものであったが、実は指定外呼出符号使用は、遠方の九州電監でコピーされたものであった。ただし「この処分も3カ月後の指定事項の変更で帳消しされた」と円間さんは思っている。

円間さんがもらった注意書きと警告書

[中継所勤務]

昭和30年(1955年)4月、学園を卒業した円間さんは滋賀県坂田郡山東町にある大野木無線中継所に配属される。1年前、NTTは東京~大阪間のテレビジョン中継用として国内初の「東名阪マイクロ回線」を開通させていた。4000MHz帯を使いテレビと超多重電話を8カ所の中継所を経由して伝送させるもので、大野木はその一つであった。「郷里に最も近く、新技術を学べる所」を希望してそれが実現した。

事実、円間さんはそこで多くの知識を得ることになる。TWT(進行波管)超大型のパスレングスアンテナ、自動起動式ジーゼル機関発電機、シンクロスコープなどを初めて見、また「空間損失」「分波器」「定在波比」「キャビティ」など多くの言葉を初めて知る。テレビ回線はモニターがあり、テレビを楽しめた。音声は別ルートの搬送ケーブルで送られていたが電話中継所の音声モニターを電話線で送ってもらっていたという。

大野木中継所の全景。4角形のパスレングスと米軍のパラボラアンテナ

中継所見学者(前列2人)と、後列右から2人目が円間さん

職員15名は寮に住み、3交代の24時間勤務。「近くの伊吹山の登山、スキー、琵琶湖の海(湖)水浴、関ケ原古戦場巡りなども楽しんだ」と、円間さんは当時の楽しさを語っている。同中継所には米陸軍の座間―板付間2000MHz回線も併設されており、米兵も時にはメンテナンスにやってきては交流した。円間さんは「三角関数、対数を教え、お礼に野戦用食料をもらったりした。それが実にうまかった」と当時を思い出している。

[移動局開局 他エリアの電監検査]

福井の実家には月に数回帰っては無線交信していたが、移動局に変更し寮で運用することを考えた。移動用の簡素な無線機を自作、設置場所変更届、無線設備変更届は8月2日、3日に許可された。翌31年(1956年)の定期検査の時「大野木中継所の定期検査のおり、同時にエリアである近畿電監でやっていただけないか」と申請。

北陸電監は「アマチュア無線では前例がないが、今回は特例として認める。近畿電監にもそのむね連絡した」との通知が届く。現在は定期検査そのものが事実上なくなっているため驚くことではないが、当時は無線検査簿に他の電監の検査記録があるのは珍しいことであった。

[テレビジョンの勉強]

「中継線にテレビ信号が流れているのに、テレビカメラ、テレビ信号の知識は全くなかった。間もなく全国に普及するテレビの基礎はぜひとも必要」と考えた円間さんは、テレビの理論の勉強に取り組む。偶然、湖水浴の帰りに立ち寄った彦根市内の書店でフィンク著・NHK技研田辺義敏所長訳の「テレビジョン工学」の上下巻を見つけ、高価であったが買い求める。

昭和32年(1957年)、NTTは4000MHzのマイクロ回線を大阪から北陸経由で信越方面に延長することになり、円間さんは志願して福井無線中継所の新設工事に従事することになる。この年の12月にNHK金沢放送局がテレビ放送を開始し、翌33年には福井、富山のNHKも放送を始めた。当然白黒テレビ放送であったが、受像機の価格は10万円前後しており、一般家庭では簡単に買える値段ではなかった。

そこで円間さんは、コイルメーカーであった「スター」が販売していたテレビ受像機のキットを購入、依頼を受けた親戚や友人に5万円程度で渡した。勉強していたテレビの知識が役に立った。儲ける気はなく、ほぼ原価での供給であった。「20台程度組み立てたと思うが、ある日税務署の職員が訪ねて来て調査された。」もちろん、実情を知った職員は黙って帰った。

昭和37年(1962年)初頭から、カラーテレビの伝送回線の工事が始まり、その年の7月にはNHK各局がカラーテレビの放送を開始した。再び円間さんは「中継所を預かっていながら細部を知らないのはNHKや民放に申し訳ない」と、WENTWORTH著・NHK技研テレビジョン研究部鈴木桂二副部長訳の「テレビジョン工学」をテキストに勉強を始めた。

円間さんが勉強したフィンク著「テレビジョン工学」