[カリブもよく聞こえる]

鉄塔下に1坪ほどの組立式納屋で無線小屋を作り、電力線を引き込み、小柄ながら「サテライト局」を完成させた。実際に運用を始めてみると自宅で使用していた4エレメントと比較しても格段に優れていた。ノイズの少ない立地と綿密な計算で作られた25m高のこのアンテナは外来ノイズが低いためS/N比が大きく「ダイヤルを回すと、スケルチが働いた時のように信号と信号の間のノイズが無くなった感じがした}と円間さんはその時の感激を語る。

自宅では苦労したカリブ海方面との交信も良くできるようになった。交信相手に送るRS(明瞭度、信号強度)レポートを聞いていたローカルの仲間は「それほどのレベルで受信できるはずがない」と疑うため「受信音声をスピーカーに出し、435MHzで流して納得してもらった」ということもあった。見学者が次々と訪れ、皆大型アンテナに感心していた。

DXCCのエンティティ数も増え、当時の全エンティティ完成までアルバニア共和国を残すまでになった。数カ月後、14MHzに時々弱いノイズが入ることがわかった。アンテナを回して確認すると方位は北米方向、しかもノイズは広帯域に聞こえる。円間さんは、自家用車のカーラジオを1500KHz付近の放送の無い周波数に合わせ、付近を走り回った。

約300m離れた場所でノイズが大きくなることがわかり、慎重に付近を調べるとどうやら高圧線から出ていると判断できる。電柱番号を控え、電力会社に行き善処を依頼した。朝依頼したのに午後には作業を開始し、午後3時ころにはトランスの取替えが終了するというスピーディな対応であった。円間さんが「ノイズは無くなりました」と電話すると電力会社からは「発生源の特定ができ、会社としても助かりました」と感謝された。

出力1kWの自作アンプ

[台風でアンテナ全壊]

しかし、苦労して作り上げたこの14MHz、6素子のアンテナも、襲ってきた台風により全壊。2連ブームも直角に曲がりエレメントも折れたり、曲がったりして全ての部材が使用不能になった。「やはり強風にはかなわなかったか」と円間さんはしばらく呆然としていたが、やがて再建に取り組む。

台風被害で2連ブームも45度に折れ曲がってしまった

一方、このころ市販のリニアアンプにも不満が出てきた。コンテストなどで長時間使用すると、いくつかの問題点が見つかった。安心して長時間使用に耐えるアンプを自作することにした。使用した4CX1500B管はIMD(相互変調歪)が40dBもあり、音も良く、少し軽めに使えば長時間に十分耐えた。高圧の危険対策には3段の手動スイッチを通さなければ投入できないようにした。[大型自作アンテナ(2)]

円間さんが借用していたタワーが、河川の改修のために取り壊されることが決まった。取り壊しまでは多少の期間があることを知った円間さんは、7MHzモノバンドの4素子八木・宇田アンテナを作ることにした。再び「YO」を活用し、利得10dB、F/B比を25dBに設定し、ブーム長18mを作る計画を立てたが、総重量は120kgを超えることになる。

「タワーの搭載容量、強風対策、作業エリアの確保、強力ローテーターなど十分に検討する必要があった」と円間さんは当時を語る。ブーム構造は径60mm、肉厚2mmのパイプ3本を直角3角形にし、エレメントの重さによる垂れを想定し6本の支線で支えることにした。マストは径75mmのガス管を使い、ブラケットは500×500×5mmの鉄板を利用した。

エレメント・ブラケットは市販のアルミチャネルを購入し、両耳を切り取って600mm長の4本を自作。エレメントは市販の50/45/40/35/30/25mmのアルミパイプをつなぎ、先端の22mmは中古の市販エレメントを使用。途中でエレメントの垂れが生じたため、中央付近から支線で支えることにした。

苦慮したのはラジエーターのブームとの絶縁であるが、ビニールパイプを使用して補った。マストは二重にしアンテナを上から下のマストに差し込むスリーブ方式としたが「この方式は地上作業にも大変役だった」と、円間さんは言う。

4エレ7MHzアンテナの吊り上げ

[性能に満足]

完成したのは平成7年(1995年)11月。SWRの測定結果は「YO」の値よりはわずかに悪かったが、円間さんは「誤差範囲と考え原因を追求しなかった」と言う。超重量のアンテナにもかかわらず回転も問題なく、その後の強風にも耐えた。200m離れた場所に小出力の発信機を置き、ビーム特性を調べたが、そのパターンは右図である。

ビーム特性のパターン