[珍局]

「珍局」とは文字通り、いろいろな条件に恵まれなければ交信することのできないアマチュア局のことである。無線歴50年を越える円間さんの交信局数は1万局を大きく上回る。「少年時代、はるかに遠い海外放送を聞きながら、さまざまなことを想像していたが、今、自分の無線機で直接話せることは実に素晴らしい」と円間さんは、アマチュア無線の素晴らしさを強調する。これまで、交信した人の中には世界的な有名人、めったに交信できない人がいた。また、心に残っている人もいた。今回は、その人々の紹介である。

[シッキム国王]

シッキム王国はチベットとインドの国境にある小国。昭和49年(1974年)の初頭にナムギャル国王がAC3PTのコールサインで時々出ている、という情報が流れた。長い間交信の機会の無かった円間さんであるが、この年の8月9日の深夜ついに交信が出来、ほどなくしてカードが送られてきたが、サインは国王でなく「セカンド・オペレーター」となっていた。

しかし、封筒は王室の紋章入り、住所も王室であり「王室関係者の1人と思われ、カードは大切に保管している」という。国王は皇太子時代の昭和34年(1959年)に来日し「お后は日本女性を」と発言して話題を呼んだ。しかし、昭和38年(1963年)に、インドで知り合った米国学生と結婚してしまった。アマチュア局の開設は王妃が母国と交信したかったためとうわさされた。シッキム王国は、昭和50年(1975年)の5月にインドに併合され、国王は米国に亡命、DXCCのリストからも消えた。5年ほど前にニュヨークで亡くなった、と報じられた。

シッキム国王からのQSLカード

[ヨルダン・フセイン国王]

国王のコールサインは、わずか3文字の「JY1」。昭和47年(1972年)6月4日の早朝、円間さんは14MHzのSSBをワッチしていた。すると、14.2MHz付近でこれまでに無い大パイルアップが聞こえた。よく聞くとヨルダンのフセイン国王である。世界中から呼ばれているが、とくに欧州からのコールがすごかった。「一生に1回の機会であり、逃してはならない」と円間さんは「JA9アルファ アルファ」と短く数回コールした。

すると「JA9AA This is King Hussein Amman Jordan.Good morning Sir・・・・」とSir付けで応答があった。カードを直接送り、国王から王冠の付いたカードと国王自身が無線を楽しんでおられる写真が送られてきた。国王は平成11年(1999年)2月にサイレントキーになられたが「国王は世界の多くのハムと交信され、誰からも尊敬され親しまれていました」と、円間さんはその死を惜しんでいる。

ヨルダン国王との交信を伝える新聞とQSLカードと交信中のヨルダン国王

[アラビア・Talal Bin Abdul Aziz AL soud王子]

サウジアラビアのタラ-ル王子の名前は長い。HZ1TAのコールサインで時々電波を出しており、かつて「CQ ham radio」誌に写真とともに紹介されたことがある。円間さんは昭和48年(1973年)9月に14MHzのSSBで交信できたが「カードのサインはまたもやセカンドオペレーターのahmedさんでした」と円間さん。

[チョモランマ(エベレスト)からのコール]

昭和63年(1988年)3月、読売新聞東京本社から円間さんの所に電話があり「日中合同チョモランマ登山隊に同行している中国・蘇州市のKOUさんが交信したいと言っており、時間調整して欲しい」ということだった。初めは誰であったか思い出せなかったがそのうちに「昭和61年(1986年)6月に、蘇州市であったアマチュア無線局BY4SZKの開設式の時、通訳をしてくれた呉智淵さんを思い出した」という。

チョモランマと金沢との交信は、3月18日18時30分、14MHzのSSBで行われた。標高5,154mからの第一声は「こちらチョモランマBT0ZML」だった。呉さん独学で日本語をマスターし、その後、北海道、滋賀県の2つの大学に留学し、結局は日本に帰化して、現在は京都に住み日中貿易の仕事に従事している。

[ブータン]

ブータンとの初交信は昭和31年3月の深夜。CWでAC5PNと打ってきた。円間さんはブータンは聞いたことがないため、地図で調べるとヒマラヤの小国だった。「日本でもアマチュア無線が再開されてまだ4年。ブータンにもハムが生まれていることに驚いた」と言う。カードはインド経由で送られてきた。

送られてきたブータンの切手

[インドから安否連絡依頼]

昭和49年4月深夜、14MHzでインドの局から呼ばれた。「日本人に代わる」と言われ、出てきたのは西岡健二さんであった。西岡さんはブータンのパロで農業技術指導に当たっているが、現地で大洪水が発生し通信が途絶し困っている。北海道の家族に無事なことを伝えて欲しい、という依頼であった。「すぐにご家族に電話して安心していただいた」こともあった。

[ネパール・モラン神父]

9N1MMのコールを持つ世界に知られた神父。円間さんは昭和36年にA3で交信した。モランさんが電波を出すとあちこちから声がかかり、とくにクリスマス前後には世界中から、親しみを込めて「ファーザー」「ファーザー」と呼ばれていた。モラン神父については、連載「北海道のハム達―原さんとその歴史」にも詳しく触れている。

モラン神父のQSLカード

[戦艦バウンテー号の島]

ピトケアン島は、最近新エンティティになったデューシー島のいわば「親エンティティ」となった島であり、そこのトム・クリスチャン(VR6TC)さんは有名な「戦艦バウンテー号」の反乱者の子孫である。円間さんは昭和33年ころから14MHzに出ているトムさんをコールしていたが、パイルアップがひどく交信は出来なかった。

14年後の昭和47年についに交信が出来た。「トムの声は独特の甘い声で、コールを聞かなくともすぐわかるほどであった」と円間さんは言う。貴重なエンティティであるためカードを5枚連続してSASEで送ったところ、それぞれの封筒に異なるピトケアンの切手を貼って5通が戻ってきた。「その実直さに感心した」ことを思い出している。ちなみに、ピトケアン島については「九州のハム達-井波さんとその歴史」にやや詳しく触れている。

トム・クリスチャンからは5通のQSLカードが届いた

[W6SAI・ウィリアム・オルさん]

円間さんは1992年に初交信し、その後も数回の交信をした。ウィリアムさんは「赤本」と呼ばれている「ALL ABOUT QUBICAL QUAD」の著者である。「日本でも多くのハムが愛読している」と話すとたいへん喜んでくれた。また、自作のリニアアンプの話題となった時にはIMD(相互変調歪)の改善法を教えてくれた、という。

[その他の方々]

スペイン国王もコールを持っておられるが未だに声を聞いたことがないので、円間さんはスペインの局に訪ねた。「時々、HFで出ています」ということであった。なお、日本の皇室はハムに直接関与されておられないようであるが、政界には何人かのハムの方がいる。事実「国会アマチュア無線クラブ」があり、元首相の故小渕恵三さん、現在の国家公安委員会委員長の小野清子さんも、そのメンバーであり、つい最近のJARL忘年会にも出席している。