JA9AA 円間毅一氏
No.28 アワードと海外交流(3)
円間さんは国内でDXに取り組み、アワードに挑戦する一方で海外にも出かけている。目的はDXペディションであったり、アマチュア無線関連のイベントであったり、観光であったりさまざまである。今回は海外での円間さんを紹介したい。
[台湾]
昭和60年(1985年)3月、吉井裕(JA9AG)さんを団長にした北陸からの6名による台湾DXペディションが企画され、円間さんも参加した。到着後に台北の郵電司(郵政局)に挨拶に伺った。郵電司長の李さんはわが国の郵政局長の立場であるが、気さくに自室に招いで歓談してくれた。「近く日本で発足するNTTのことも知っておられ、敬服した」ことを円間さんは覚えている。次いで、台湾で唯一つの正式アマチュア局BV2Aの陳先生を訪問したが、円間さんは「陳先生とは数回交信していたので楽しいアイボールQSOとなった」という。
一行に与えられたコールはBV0ACで、アパート最上階のFBな部屋に日本から持参した無線機を設置し、小林雅博(JA9BMP)さんと2人で運用を行った。「深夜の7MCのCWで欧州のパイルを受けるのは実に楽しかった」と円間さん。このころの60才代の台湾の方は日本語が上手で「何県から来ましたか」「私は旧制台北第*中学の*期生です」と挨拶されて一行はびっくりさせられたりした。
台湾でBVOAC局を運用する。右は小林雅博さん
[中国蘇州市]
昭和61年6月、金沢市の姉妹都市・蘇州市のアマチュア局BY4SZの開局式に、円間さんら金沢クラブ員8名は蘇州市を訪問した。式場から金沢市が寄贈した無線機で、北京の中央局BY1PKに開局の報告が行われた。当時の市内にはホテルは1軒しかなく、電話も街頭の公用(公衆)電話のみだった。また電力線の引込みは家庭の軒下の碍子を使って配線されており「テレビで見る昨今の変わり様は信じがたい」と円間さんは中国の急激な発展振りに驚いている。
円間さんは「月落ちて烏鳴き・・・寒山寺の鐘」を中学時代に習ったことを思い出しながら、寒山寺を訪ねた。蘇州市郊外の川辺に古い寺が鐘楼とともに建っており、詩で詠われた状況を目のあたりにして「感無量でした」という。日本でもよく知られた寒山寺のため多くの観光客で賑わっていていた。蘇州での通訳は学生だった呉智淵さんで、先に触れたようにその後、チョモランマとの間で交信した人である。円間さんは現在も交友を続けている。
[米国ハムベンション]
毎年「ハムベンション」が開催され、世界のハム仲間の集まるデートン市はオハイオ州にあり、円間さんはこれまで2回ほど出かけた。1回目は平成3年(1991年)4月、宮本寿七(JA9UX)さんと生駒義男(JA9ZQ)さんが一緒だった。「米国製中古の通信機に的を絞り精力的に歩き回ったが、気に入った適当な物がなかなか見つからなかった」。しかし、帽子のコールを見て「ハロ-Kii」と呼ばれ「DXをやっているとこんな出会いがあり、本当に楽しいものだ」と感動しながら円間さんは歩き回った。
デイトンには円間さんの古い知己であるロン(AB8K)さんがいた。昭和33年(1958年)にK8BSZのコールで交信した最初の外国が円間さんだった。ロンさんの現在のコールはAB8Kであり、職業は弁護士である。かつて三国高校のクラブ活動で親友だった杉田(JA1BII)さんは何かの機会に、ロンさんに会ったことがあり、ロンさんから「外国との初交信はJA9AA」と言われ、「それは僕の親友だ」と答えたという。
デイトンで会ったロンさんは、円間さんの古い友人である
そのロンさんとDXミーティングのディーナに出席することになった円間さんは「ディナーだから御馳走と当てにして行ったが、ポテト、野菜サラダ、スープにパンと肉が少々で、アルコールは一切なし」と多少がっかりした。その場で「DXスタンドアップ」が開かれた。全員を立たせておいて「交信が100カントリーより少ない人は着席」、ここで一斉に拍手が起こる。徐々にカントリー数をあげて行くのだが、カントリーの多い人は何回も拍手で日夜の努力を称えられ仕組みである。「消滅カントリーを多く持つ人が最後まで残るのは当然としても、老人組に楽しい一時を与えるアメリカのアマチュアと国民性」に円間さんは感心したという。
2回目は平成9年(1997年)5月に、川口(JA9FS)さんと二人で出かけている。この時はホテルの予約がとれず郊外のモテルに泊った。会場の展示品は米国製の機器がだんだんと少なくなり、代わりに日本製品が多くなってきており「わざわざデイトンまでくる必要が薄れてきたように思った」という。それでも「時間をかけて丹念に探せば日本では入手困難な部品を見つけられる」と、いつ使われるか分からない物まで買ってしまったらしい。食事は日本から持参したインスタントで済ましていたが、近くのレストランにロブスターの看板があるのを見て入ったが、出されたのは間違いなく日本でいうズワイガニで「どこで採れたかは別にしてアメリカ・ズワイガニはすごくおいしかった」ことを、ズワイガニの漁場育ちの円間さんは思い出している。
[イタリア]
平成13年(2001年)5月にはローマを観光した。バチカン宮殿の拝観ではどれも深い印象を受けたが、円間さんには一つの大きな期待があった。法王庁のアマチュア局のアンテナを見たいと思っていたのである。幸いにも宮殿の屋根の間に大きなログ・ペリらしいアンテナを見つけることができた。時々運用されるこのHV4NACのものらしいそのアンテナを見ながら「CQ JA・・と、バチカンから電波を出せたら・・・」と、夢のようなことを考えてしまったという。
宮殿を出てすぐに「ラジオ バチカン」と扉に書かれた事務所を見つけた。円間さんは、ノイズに埋もれたこの小国の放送を耳を澄ませて聞いていた50年前のSWL時代を思い出した。ローマのウォルター(I0MC)さんとは何回かQSOし、日本製のリニア・アンプ修理を仲介したのが縁で、メールを交換する仲になっていたため、お会いする約束をしていた。ところが、観光バスがローマ郊外を迷走し、ホテルに到着したのが深夜1時。「約束の時間まで待った」のメモが残されていた。「せっかくのアイポールの機会を逃し誠に残念だった」こともあった。
宮殿の屋根の間に見つけたログ・ペリらしいアンテナ
[ギリシャ]
ローマ訪問のすぐ後にアテネを観光した。遺跡で市内を囲まれているようなアテネは、歴史の重みを一杯に感じさせる古代都市で、観光には幾ら時間が合っても足りなかった。「無線に関した何かを」をと気をつけていたが、官庁街にHFのアンテナが上がっている建物を見つけた。「国旗はアルバニアのZA1Aと同じ鷲が描かれていたので、アルバニア国ではと思っている」が確認できなかった。市内ではアマチュアのアンテナは見つけられなかった。カプリ島に行ったとき、トライバンダーを1本見つけた。高さは低く堂々とタワーに乗った日本のようなアンテナは、見つけられなかったらしい。
2004年にオリンピックが開催されるアテネの観光は奥様と一緒であった
[インド・エジプト・トルコ]
インドの北東を1週間かけて車で旅行した。広大なインドでの地方ではアンテナは全く見かけなかった。ただニューデリーの大統領官邸の近くに各国の大使館が集まっており、HFのアンテナが多数建っていた。日本大使館のも立派なアンテナで「写真をと思ったがトラブルを恐れて断念した」という。トルコのイスタンブールでは海峡の欧州側には邸宅が並んでおり、「アンテナがみられるのではないか」、と期待して円間さんは遊覧船から注意して見ていたが、それらしき物は見あたらなかった。「イスタンプルのアマチュア局は欧州側に多いと聞いていたのだが・・」と残念がっている。
ラジオバチカンのある建物。扉の中央にRADIO VATICANの表示がある