[無線通信の歴史とともに歩んだ人生]

これまで、円間さんのアマチュア無線生活について書き進めてきた。もちろん、この間も円間さんの電電公社、そしてNTT勤務は続いていた。マイクロウェーブ回線の立ち上げとともにスタートした勤務であったが、実は約40年の勤務の時代は、わが国の無線通信の急速な発展と重なる時期でもあった。なかでも、移動無線では船舶電話、ポケットベル、自動車電話、そして携帯電話へと進んでいく真っ只中で、円間さんはその仕事にも取り組んできた。

[船舶電話]

船舶電話は昭和28年(1953年)、大阪湾、東京湾の港内の船舶を対象にサービスを開始し、順次サービスを拡大したが、沿岸を航行する船舶とも通話が可能なサービスが昭和31年(1956年)に始まった。北陸では昭和41年(1966年)に150MHz(後に250MHz)帯を使用した船舶電話基地局が宝達山に(石川県押水町 標高637m)、船舶電話交換台が富山局に設置され、日本海沿岸を航行する船舶を対象に2回線でサービスが開始された。

船舶と陸上加入者間との接続概要は、船舶搭載の電話機のフックを外すと富山電話局船舶台のランプがまず点灯する。これは空きチャンネルを自動選択した船舶の送信電波が基地局で受信され、スケルチリレーが動作、この情報が順次送出されたためである。交換手は陸上の接続先電話番号を聞いてダイヤルで呼び出し、加入者応答で接続が完了する、というものであった。

陸上加入者発信で船舶着信の場合は、近くの船舶交換台(全国に10局)を呼び出し、船舶電話番号を告げると、交換手はダイヤルして船舶を呼び出しその応答で交換台経由で加入者との接続が完了する。交換台を経由する理由は「位置登録がまだ開発されてなかったため、船舶の位置を知っている加入者に直接、交換台を呼んでもらう必要があったためと、課金問題があったからである」と円間さんは説明する。

船舶電話の回線は、陸上加入者-市外電話局-中継線保守局-市内電話局-船舶交換台-無線基地局-船舶加入者と、中継個所が多く、トラブルが起きたときの対応処理の区分けに苦労した、という。なかでも船舶搭載無線機と山頂の船舶基地無線局(無人)の良否の判定が問題であったが、金沢無線中継所(宝達基地局の保守局)に船舶搭載無線機と同機能の試験用無線機が設備されており、この無線機からの発着信により、基地無線局の出力、S/Nの良否が判定されるようになっていた。円間さんは「船舶電話は内航船舶無線設備の代替措置であったため、遭難などの生命にかかわる回線保守には万全を尽くしていた」という。

昭和54年(1979年)、大容量メモリーの登場により船舶から発信された船舶電話番号と受信した船舶基地局の情報を船舶自動交換機(横浜・神戸)に登録する事が可能となった。陸上の加入者は船舶が「どこの海域にいるか」を全く気にすることなく、ダイヤル1回で呼び出し可能となり、料金問題も同時に解決して完全自動化が完成した。「この移動無線機の自動化交換方式は、この後に開発された自動車電話、携帯電話に受け継がれ、今日の大発展につながることになった」という。

初期の頃の自動車電話基地局用局舎と鉄塔。強靱な作りであった

[ポケットベル]

ポケットベルは正式には「無線呼出方式」と呼ばれ、昭和43年(1968年)に導入されたが、昭和47年(1972年)北陸地方では最初に金沢市で、150MHz帯(後に250MHz帯)を使用したサービスが開始された。当時は外出時には、公衆電話等を利用する以外に連絡の方法なかったので「このポケットベルの出現はまさに革命的な通信手段として喜ばれたものである」と円間さんは当時を語る。

呼び出しの概要は、市内に設置された無線基地局に直列の呼出番号が送られてくると、いったん蓄積し、MF信号(多周波信号)に変換して送信機から送出する。受信機は多周波信号を解読するとブザー音を出す。MF信号に変換するのは無線機からの呼出信号の送出をスピードアップするためで、同時コールにも耐える設計になっていた。ユーザから発信者識別が要望され、それに応えて発信者番号が表示できるようになった。

ポケットベルは小型化、高性能、高機能へと発展した

[自動車・携帯電話]

北陸に自動車電話が最初に導入されたのは昭和50年(1975年)の金沢であった。主要都市と国道、高速道の沿道に順次移動基地局を建設していった。搭載無線機は通勤カバン位の大きさで無線機本体は後部トランクに、通話装置は前席か後席のボードに取り付けられた。使用料は高額で、県庁、警察、県議会等の幹部と有力企業の20台前後で発足したが、その後の加入者はなかなか増加しなかった。

やむなく、円間さんは金沢無線支社の小口迪夫(JO1MOS)支社長とトップ・セールスで市内の有力企業を訪問して回った。「○○社さんが付けてないのならわが社はその後で」と横並び論を、バス会社の本社で「観光バスに」と勧めたら「陸運局の許可を貰うことが必要」と、なかなか加入していただけず「民営化されたNTTでの初めて商売に、その厳しさを感じさせられた」という。

しかし基地局の増加でサービス・エリアが広がるにつれて利便性が認められ、また、イベント等で使用できる携帯無線機が導入されたこともあって徐々に増加していった。この時期の急速な通信機器用デバイスの小型化が一挙に進み、ついに手のひらサイズの「ケイタイ」の出現となり、基地局をビルの屋上や電柱に設置することで安価に設備拡充が可能となった。

自動車電話は、現在の携帯電話にもつながった

接続方法は基本的には船舶電話とほぼ同じであるが、小ゾーン方式と自動追尾によるゾーンの自動切替方式が加わった。小ゾーンは出力を小さくして移動局の収容を多くし、一方のゾーンの自動切り替えは移動局がA基地局と接続して走行中、信号が弱くなりS/Nが劣化してくると、この情報をA基地局が親局に通報する。親局はこの情報(チャンネル番号)をB.C.D.等の周辺基地局に通報して受信状況をチェツクさせ、一番S/Nの良好なC局を選定して移動局をC基地局に切り替えることで、通話が連続可能としている。これはすべて自動的に行われる。

自動車電話や「ケイタイ」には位置登録が不可欠であるが、その登録は電源を入れた時に接続した基地局経由で電話番号を自動的に親局経由で大型コンピュターに記憶させる。また電源を入れたままで場所を移動して行くと、ゾーンが自動的に替わるが、この時も新しいゾーンを親局経由で大型コンピュターに記憶させる。このため、市内から郊外に移動しても通話は連続して可能となっている。移動機の電源が切られても、親局を通して直前に接続していた基地局に移動機を呼ばせるが当然、応答がないから呼出者に「電源が切られている」とアナウスを返している。

ケイタイはアイモードでインターネットの接続が実現し、「メール」「会話」から「画像送受」「音楽配信」も含めた多機能・超小型の情報端末に大成長して爆発的な増加となった。円間さんは「20年以上も前に、社内ではISDNの普及にともない“一人に一台の電話時代”が将来必ずくると予言されたが、それが現実となり、今日の“IT社会”が短期間に実現したことには、ただただ驚くばかりである」と感嘆している。

最近の携帯電話。映像の撮影、伝送も可能