[近畿大正会]

柳原さんは、道の駅アワード以外に、日本の道アワードにも力を入れている。ただし、日本の道アワードに関してはアワードの受賞側ではなく、アワードの発行側である。ここで、この日本の道アワードについて少し説明する。日本の道アワードを発行しているのは近畿大正会で、柳原さんは近畿大正会のメンバーであり、アワードマネージャーを担当している。

近畿大正会は、1975年に誕生したクラブで、その名のとおり、近畿地区に在住の大正生まれのアマチュア無線家の集まりであった。創立時の入会条件には、大正生まれであることという条項があり、そのため昭和生まれのアマチュア無線家は対象外であった。従って柳原さんとは全く無縁のクラブであった。1975年の創立時には200名くらいの大正生まれの関西のハムが集まったという。

[兵庫県支部長として関わる]

柳原さんがJARLの兵庫県支部長を務めていた1980年、近畿大正会の第5回総会が神戸で行われることになった。当時JARL関西地方本部の本部長だったJA3XZW田路さんから、300人規模のアマチュア無線のミーティングができる場所を探しい欲しいと頼まれ、神戸市の須磨にある国民宿舎須磨荘を確保した。また田路さんから、支部長として挨拶して欲しいと頼まれ、渋々引き受けたという。

当時の近畿大正会には500人くらいの会員がおり、その半数以上の300人が集まるという高出席率の総会であった。記念写真を撮影する際には建屋の前の広場に集まったが、広場が一杯になったことを柳原さんは覚えている。その後は、会則が変更され、大正生まれの古いアマチュアをサポートしていくという趣旨で、昭和生まれのアマチュアにも門戸を広げ、今に至っている。

[2006年に入会]

2009年現在では180人前後の会員数だが、大正生まれの会員はもう半分もいない状況となっている。さらに足腰の丈夫な大正生まれの会員も少なくなってきており、総会などでは、参加者の大半を昭和生まれの会員が占める。そのような状況の現在の差し迫った課題は、会員の高齢化への対応である。柳原さんは2006年に入会したため、会員歴は短いが、すでに幹部スタッフとなって、アワードの他にも、ホームページの運営管理と社団局JH3YAAの移動運用(サポート)を担当している。

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近畿大正会のホームページ。

柳原さんは入会後、2007年に新しいアワードの発行を提案した。魅力のあるアワードを発行することで若いハムにも入会してもらい、ひいては会の活性化につなげることが目的だった。また、柳原さんの入会当時、すでに会のホームページはあるにはあったが、更新頻度が少なく、機能的に動いていなかった。そのため、「私が引き受けます」と申し出て、管理を担当するようになった。現在近畿大正会のHPは柳原さんのサーバー内にある。

[日本の道アワードの発行を始める]

柳原さんの提案で2008年1月から発行を開始した「日本の道アワード」であるが、基本となる路線賞のルールは、日本の国道の始点および終点にあたる市区町村から運用するそれぞれのアマチュア局と交信することである。たとえば、国道1号線の始点である東京都中央区の局、終点である大阪市北区の局と交信してQSLカードを得ることで、1路線が完成する。これを基本として、次々と路線を完成していくことである。

申請する路線は任意の路線から始めればよく、1号線から始める必要はない。日本の国道は507号線まであるが、欠番もあるので、2009年11月現在では全459路線となっている。路線賞の他にも国道が通過するすべての市町村区と交信する路線パーフェクト賞や、完成した路線の距離を合計するマイレージ賞など各種の賞が用意されている。注意点として、日本の道アワードでは、2007年1月以降の交信を有効としているため、過去に取得したQSLカードを使用することはできない。

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日本の道アワード。

[アワードに掲載する写真]

このアワードの特徴の一つは、アワードの写真に、申請者が用意した写真を使用できることがある。ただしその写真には条件があって、申請する路線の国道標識(おにぎりを逆にした形状の路線番号が記載された標識)が写っていることである。逆にこの標識さえ写っていれば、申請者の車や、申請者本人が同時に写っていても問題はない。

申請者から写真の提供が無い場合は、発行者である近畿大正会が用意した写真が使用されるが、この写真にも国道標識が必要なため、メンバーで手分けして全国のすべての路線の国道標識の写真を撮りに行った。その大部分は、柳原さんとJH3SHV宮本さんとで撮影したという。柳原さんは、国道標識の写真だけ撮りに行ったこともあったが、たいがいは道の駅の移動運用を行いながら撮影を行った。宮本さんも、同様に移動運用しながらの撮影であった。

残りは他の会員に撮影をお願いしたが、近畿大正会では全エリアに会員がいるため、これが可能であった。しかし、どうしても撮影できなかった国道が3、4路線あった。その理由は、当該の国道に1枚の国道標識も無いからであった。柳原さんらは、道路を管理する国土交通省にも問い合わせたが、それらは、すべて距離の短い国道や高規格道路であり、標識が必要ないため、今後も設置する予定はないとの返事だった。

[苦労した撮影]

実際に撮影に行くと、標識が汚れていたり傾いていたりして、アワードの写真には使い物にならないものも多かった。運が良いと、1枚目に見つけた標識がきれいで、まっすぐ立っており、さらにバックの風景も絵になるということもあったが、ほとんどの場合は、2枚目、3枚目を探しにその国道を走り続けさせられ、運が悪いと延々と走ったあげく、10枚目くらいでようやくアワードの写真に使えそうな標識を見つけることができたという。その他にも、標識の条件はいいけど、逆光になって標識上の文字が上手く写らないこともあって苦労した。

柳原さんの2007年の北海道遠征では、道の駅のからの運用より、この日本の道アワード用の写真を撮影することの方が、メインになってしまった。そのため、道の駅では、到着後数局の交信でもう出発というケースも多かった。「それでも、雨の日は標識の撮影ができないため、じっくり運用することができました」と話す。

2008年1月から発行を開始した、この日本の道アワードは、2009年11月時点ですでに200件を超える申請があり、人気上昇中のアワードである。それでも実際に自分で撮影した写真を添えて申請してきた局はまだ数名しかいない。「やはり撮影が大変だからでしょうね」と、柳原さんは話す。