[非常通信組織]

柳原さんは、アマチュア無線局による非常通信の全国組織を作りたいという大きな構想を持っている。現在でも全国各地にいくつかの非常通信の組織があるが、コンパクトな組織が多く、たいがいは県単位とか商売単位になっている。そのため横のつながりが太くないため、大災害時に連携して動ける体制になっているとは必ずしも言えない。

また、自治体とタイアップしている組織もあるが、そのようなところはまだごく一部である。ところが、諸外国では行政側と深く連携がなされており、災害時のアマチュア側の分担も決められているし、行政側と共同で訓練を行っている所も多い。そのような国では、アマチュア無線は社会に有益な趣味だと認められ、様々な特権が与えられている。具体的には、高い方の周波数の割り当てなどである。

「地域の非常通信組織が自治体と連携することで、地域の組織を束ねた全国組織には国との話し合いの道が開けてくる、それによってアマチュア無線の存在価値が認められ、アマチュアバンドの防衛などにつなげていきたい。そのため、今は色々な人に話をしたり、意見を聞いたりしているところです」と柳原さんは話す。

[事の発端]

この全国組織の構築構想は、柳原さん自身が、福井地震と阪神淡路大震災という2つの大地震に被災したことから始まる。福井地震の時は小学生であったが、自宅の2階にあった大正時代の無線機(ラジオ)が火災で焼けて全部無くなった。「あれが現存していれば博物館になるような材料がいっぱいあり、アマチュア的には残念だったなあと今になって思います」と話す。

次に、そろそろリタイアするかという時に阪神淡路大震災に被災した。当時は、すでに移動運用を行っていたが、大震災の日はたまたま無線機をすべて福井の家に下ろしてあり、無線運用ができなかった。そのため、「非常通信を行うことができずに大変悔しい思いをしました」と話す。車は出せたので、水などをもらいに行くことはできたが、肝心な無線機を車に積んでいなかった。アマチュア局はいつでも電波を出せないといけないと痛感した。その教訓から、その後は、メインの無線機を下ろすときでも必ずサブの無線機を車に積んでいる。

そのとき住んでいたマンションは半壊となって退去命令が出たため、奥さんを福井の家に帰して、柳原さんは仕事があるため神戸に留まった。ラジオ放送を止めるわけにはいかないからだった。震災後も神戸に留まったことで、「ああいう状態の時にどうなるかがよく分かりました。もし自分が動けなくても他人が動ければよいので、組織化しないといけないなあと、そのことが悔いとして残りました」と話す。

[組織化の必要性]

阪神淡路大震災が発生して数日後には、JARL、JAIA、赤十字などの協力、また当時の郵政省の特別な配慮があり、アマチュア無線機を使った非常通信が始まり、避難所間の連絡などに大いに活躍したことは周知の事実である。しかしながら、オペレーターは普段から通信の訓練を受けていない。また通信隊が組織化されているわけでなかったため、指示系統が整備されておらず、100%の力を発揮できたかという、必ずしもそうではなかった。

そのため、有事の際にはすぐに動ける組織を作っておく必要を痛感したという。机上の空論ではダメで、肝心なときに無線機が動き、適切な運用ができないといけない。そのためには、「日頃からロールコールなどを行って、通信訓練と機器の動作確認を行っておく必要があるのです」と話す。

[まずはベースの組織作り]

全国組織を構築するためのステップとして、まずは、足下の神戸でしっかりした組織をつくることを考えている。活動拠点にするには、震災への対応経験があり、話題性もあった神戸が最適と考えるからだ。まずは、神戸で(仮称)災害通信運営委員会を立ち上げたいと考え、「所属している神戸クラブの中で、話を出しているところです」と話す。

たまたま来年2010年、兵庫県や財団法人 阪神・淡路大震災記念協会が、震災復興から15年を記念してイベントを行う計画がある。この協会に災害通信運営委員会の話を持って行き、後援の依頼を行ったところ、個人から依頼は受けられないので組織体で依頼して欲しいと言われた。

柳原さんは、「阪神・淡路大震災メモリアル・ネットワーク実行委員会」を組織し、ボランティア活動による災害救援通信の重要性を伝える目的の、記念アマチュア無線局の開設、運用を企画した。2009年12月には免許も下り、2010年1月17日の震災メモリアルデーから運用を開始する。コールサインは8J3EQで、EQはearthquake(地震)を表している。

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アマチュア無線特別局8J3EQ

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1月17日午前5時46分に8J3EQで開局第一声を出す柳原さん

[次に全国展開]

組織作りの土台ができていれば、イベントに協賛している企業ともタイアップができる。まずは、この記念局をテストケースで運用してみて、核になる組織を作る。そのためにはボランティア活動に関心のある一般の人を対象に養成課程講習会も開催し、通信士ではなくボランティア精神を持ったアマチュアを増やさないといけない。核になる組織ができれば、それを主体として、各エリアに拠点を設け全国規模の活動につなげていきたいと考えている。「これから2、3年が勝負です」と説明する。

「定年してから何をしたらよいのか分からない人が世の中に結構多くいます。そういった人達にボランティアはいかがですか。もしその気になれば無線の免許の取り方も教えますよ。普段はアマチュア無線を楽しんで、非常の時はボランティア。そこに生き甲斐があるのではないですか。社会に役立つことがありますよ、と説いていきたい」と柳原さんは話す。