[オールドタイマーズミーティング]

2004年5月23日、第46回JARL通常総会が大阪府池田市で開催された。JARL総会には全国から会員が集まるため、柳原さんは、オールドタイマーのミーティングができないかと考え、JA3AA島さんに幹事をお願いし、柳原さんとJA3UB三好さんが実働部隊となって、JARL総会当日の午後に「オールドタイマーズミーティング」を開催した。このミーティングには、全国から60〜70人名の参加があり、昔話に花が咲いたという。

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オールドタイマーズミーティングでの寄せ書き。(クリックで拡大)

柳原さんは、サフィックス2文字の局を中心に声をかけたが、「2文字ミーティング」としなかったのは、3文字の局にも門戸を広げるためであった。エリアによってコールサイン割り当ての進み具合には大差があり、あるエリアでは2文字が無くなって数年経つのに、あるエリアではまだ2文字のコールサインが割り当てられていたという事実があった。そのため、同じ年月アマチュア無線をやってきていても、方や2文字コール、方や3文字コールというのが現実だったからだ。

[アマチュア精神の継承]

このミーティングは1回きりで終わったが、その後も柳原さんは、毎年JARL総会に出かけ、オールドタイマー達とアイボールミーティングを行っている。その延長線上として、年に1回、3年に1回、5年に1回ぐらいは皆で顔を合わすことがあってもいいんじゃないかと考え、(仮称)「日本オールドタイマーズクラブ」という会を立ち上げようと構想を練っている。

目的は、古き良き時代のアマチュア精神の継承とし、入会資格は、「50年以上無線に携わってきたことと、現在アクティブにアマチュア無線を運用していること」を想定している。これは、単純にアマチュア無線歴が50年でもよいし、プロの無線局を40年運用し、その後アマチュア局を10年運用しているという合算でも良い。「米国では50年のキャリアがあればオールドタイマー(OT)と言われます。単なる年寄りであるオールドマン(OM)とは違います」と説明する。

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JARL会員歴50年の表彰状。

[通算50年のキャリア]

さらに、アマチュアとしては3年しかキャリアが無くても、メーカーで47年間無線機作りに携わり、リタイア後にアマチュアを始めた、それでもよい。さらには、学校の先生として無線を40年間教え、リタイア後のアマチュアのキャリアは10年、これでも良い。要は、現在アマチュア無線を運用していて、トータル50年間、無線に関わってきたこと(無線に限らず、電気に関わってきたということを条件にする構想もある)。そのため、アマチュア局のコールサインは、2文字である必要はなく、たとえば1年以内に割り当てられた最新のコールサインであっても全く問題はないというもの。これがうまく軌道に乗せれば、引き継ぎ、引き継ぎでずっと続けていける。柳原さんは、このような人を集めたクラブを立ち上げたいと考えている。

「法律より前にアマチュア無線がありました。すなわち無いものを生み出す、それが社会に役立つなり、人類に役立つなりしたのがアマチュア無線です。これからも何が生まれるか分かりません。未知のもの、それが人類のためになるかも知れません。そういう人たちの意志を伝えていきたのです」、と抱負を語る。

[100%アマチュア無線]

「自分が育ってきたのは100%アマチュア無線です。6歳の時に興味を持って以来、興味を失うことなく大人になり、就職も無線関係を選びました。職場で営業の担当になった時も、アマチュア無線家の力を借りられたことが何度もありました。アマチュア無線はコミュニケーションの世界です。それゆえ人脈が広がり、その結果自分に役立ちます。会社で成績を残せたものアマチュア無線のおかげだと思っています」、と話す。

「たとえば、ラジオ関西で制作課長だった時、タレントの故藤村有弘さんに2年間番組に出演してもらったことがありました。有名なタレントですので、普通はローカルな放送局などには来てくれませんが、お互いにアマチュア無線家ということで話が合いました。さらに2時間の番組の中で15分間ぐらいはアマチュア無線のコーナーを作ろうと言うことになり実現しました。そのコーナーにはゲストでアマチュア無線家を呼びました。お互いにアマチュア無線家なので話が広がり、番組として盛り上がりました」、と話す。

[アマチュア無線は人生のすべて]

柳原さんは、「私イコールアマチュア無線。アマチュア無線あればこそ、今の自分がある。アマチュア無線は人生のすべて。私の人生のある一点、ある一点では、すべてアマチュア無線が関係しています」、「いつまでたっても、人に会うことは楽しいです。これにつきます。アマチュア無線を通じて、色々な人に会える。色々な人の話を聞けることが意義深いのです」、とアマチュア無線に対する思いを熱く語る。

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柳原さんが2009年現在発行しているQSLカード。

「アマチュア無線にのめり込んだおかげで、私は大きく横道にそれることがありませんでした。いろいろ誘惑もあって、かじってもみました。山登り、スキー、水泳、カメラ、ゴルフ、酒、麻雀、商品取引、不動産取引、競馬などです。しかし、それらはすべて行きあたりました。こんなもんかと分かってしまうとあとは惰性でしかありません。しかしアマチュア無線は、50年以上やっても行きあたりがありません」と続ける。

最近はそんなに喧嘩はしないというが、奥さんから、「私とアマチュア無線とどちらをとるの」と問われたとき、柳原さんは迷うことなく「アマチュア無線だ」とはっきり答えたという。「おまえより先につきあっているから、大事にしないといけない。長いつきあいだからと説明しました」、と笑って話す。

自らの移動運用に加えて、非常通信の全国組織の構築構想や、オールドタイマーのクラブ発足構想など、柳原さんアマチュア無線活動はこの先も終わりそうにない。

(完)