[私設無線電信電話局従事者資格試験に合格] 

昭和9年(1934年)5月、私設無線電信電話局従事者資格試験に合格。当時、私は学習院中等科5年を終え高等科に進む時でした。同級生の一人である森村喬(J2KJ)君がこの年の初めに合格し、同じく同級生の長尾十郎(後にJ2LL)君、今野信英(同J2MH)君も私とともにハムを目指していましたので、お互いに助け合い、励まし合って勉強しました。

私どもがアマチュア無線を知り、ハムになろうと夢中になったのは、森村君の従兄でNHKに勤務されていた島茂雄(J1EO、J2HN)さんがおられて、品川の島さんの局を訪問、いろいろとお話を伺ってからでした。当時(昭和9年度末)のハム局数は電信電話局が162局、電話局が6局と少なく、試験の募集もなく、試験場もありませんでした。

私が受験したのは、赤坂溜池の東京都市逓信局の担当者の執務している机の上でした。モールスコードは和文と英文。試験官と1対1でまともに顔を合わせてやります。学科試験も目の前です。試験の準備も問題集があったかどうかは忘れました。そして、コールサインはJ2KQでした。当時のコールサインは東海電波管理局はJ2BとJ2Cで、私達の東京都市逓信局がJ2Gから始まっていました。

清岡さんより2ヶ月早く免許をとった森村さんが受けた試験問題。手書きであった

[無線局申請に思想調査] 

J2KQはトランプでいうと「JACK、2、KING、QUEEN」ですから大喜びでした。許可の空中線電力は10W、入力は20Wで、発振器は自励式でUX202A1本です。受信機は2V電池真空管4本のオートダイン。電話は送信機にプレートモジュレーターとしてUX202A、スピーチアンプUY27A1本それにソリッドパック・マイクロホン。

送信機がクリスタル、受信機がスーパーヘテロダインとなったのは何年か先です。アンテナはツェッペリンアンテナです。許可周波数は3.5MHz,7.2MHzのポイントです。これでは混信ばかりですから実際は適当にずらせます。周波数計は自作の吸収型で検査の時に検査官に合わせます。もちろん、厳重な落成検査があります。空中線電力10Wですよ。

それより問題は、無線局を申請しますと警察の思想調査があることです。当時は公安がうるさい時でしたから思想はとくに問題になります。許可されれば「思想は問題なし」ということになるのでしょう。短波を受信するだけでも、許可が無いと警察に捕まるころでしたから。しかし、私も許可をもらう前に短波でモスクワ放送を聞いていました。

[MOPAからCOPAに] 

それから何年か経った時に送信機はMOPA(マスター・オシレーター・パワー・アンプリファイヤー)からCOPA(クリスタル・オシレーター・パワー・アンプリファイヤー)に変わりましたし、受信機はオートダインからスーパーヘテロダインに変わりました。この時、私達は水晶発振器の水晶は自分で磨きました。

古賀逸策先生の提唱する30度カットで、飯田橋の山田鉱石店で切ってくれた1mm厚、1cm長の水晶を、写真乾板のガラス板に水とカーボランダムの細かい粉を載せて、希望の周波数がでる厚さに丁寧にすりあげます。時々、発信器に入れて周波数を見ます。1mmから磨いて3.6MHzが発振するような厚さにします。

これで、マスターオシレーターができました。これをタブラーに入れると7.2MHzとなります。クリスタルになりまして送信の電波がビービーからピーピーになりました。電波の音がきれいになりましたので、空も美しくなりました。受信機がスーパーヘテロダインになるとともに、金物屋からアルミの板を買ってきてケースをつくるようになり、シールドが完全になりました。

清岡さんの戦前のシャック --- アマチュア無線のあゆみより

[マイクロホン自作] 

次ぎはマイクロホンです。ソリッドパックですと雑音が多いので、ライツマイクを作るのがはやりました。本体は大理石を職人に削って作ってもらい、カーボン粉末は砂糖を真っ黒に焦がして粉末導体とし、マイカを薄く剥がして振動板として貼り、NHKで使っているのと同じようなマイクロホンが出来上がりました。

アンテナはツェッペリンですから3.5MHzと7.2MHzに共用です。数年たつと10Wではおもしろくないので、多くの人が違反をしてハイパワーにしていきました。私は父が当時の真空管メーカー「品川電機」の役員をしていましたので、その時の技術部長から送信管UX203Aをいただいて、出力100Wにしました。真空管は実験と称していろいろと借りてきましたので楽しく出来ました。

※注釈

1.戦前の免許は「アマチュア無線」ではなく「私設無線電信電話実験局」と呼ばれ、電信電話局、電話局、受信局の3種の免許があった。コールサインがあったのは電信電話局のみで、電話局は苗字で呼び合っていた。

2.関東エリアは当初J1のプリフィックスであったが、昭和9年(1934年)2月1日にJ2に切り替えられた。さらに、10月には東北と新潟県もJ2となった。最初からJ2であった東海、北陸、長野はそのままであったため、J2に変更されたエリアのサーフィックスは、東海、北陸、長野で使用されているサーフィックスを避けて使用された。

3.この時の変更と同時に、電話局にもコールサインが割り当てられた。