病院を出て中国人の所で百姓をやるか、共産党政府の技術者に留用されるか、私は後者を選びました。その結果、7年もの間日本に帰ることが出来ないとは、神ならぬ身の知るよしもありませんでした。それから7年。日本人技術者で大事にされましたが、妻子と別れたまま、日本に帰してはくれませんでした。捕らわれの身です。

[工程師] 

私は一応、共産政府の技術者として中国人技術者と同じ給料をもらいました。高級ですが、初めの4年間は日本との連絡は全然とれませんでした。この7年間のうち初めは中国と朝鮮の国境に近い延吉にあった延吉電業局で勤務しました。ここには満州国時代の日本人技術者が留められていて、一緒に仕事をしました。

私は私の専門の発送配電が担当で、送電線の建設・修理などの監督指導をやらされ、全満州を飛び歩きました。そのころは、瀋陽(戦前の奉天)が共産政府の首都だったのですが、そこに東北電業管理総局という本局ができ、私はそこの「工程師」に転勤しました。「工程師」とは大学出の技術者で、下から上がった技術者は「技師」といいます。

「工程師」と「技師」とは格が違うようです。給料は中国人と同じにたくさんもらいましたが、使い道がありませんし日本にも送れません。技術者でない日本人で家族のある低給料勤務者にほとんどあげました。この東北電業管理総局に移ってから、幸いなことは送電線搬送電話課の課長の「孫平」さんの奥さんと亡きお母さんが日本人であったことです。

また、「孫平」氏は日本人工程師仲間2人の旅順工大での同級生でしたので、私もその日系中国人のおかげで「ハム技術の発揮場所」と、その課に配属させてもらいました。奥さんが日本人ですのでいろいろお世話になりました。しかし、この方は日系中国人なので、後の文化革命で投獄され死ぬような目にあったようですが、その後は大工程師として勤務していたようです。

旅順工科大学校舎--- 「大連百年歴史写真回顧」より

[電力線搬送電話] 

当時の電力線搬送電話は満州国時代のもので、日本電気と富士通の立派な機械でしたが、時がたつにしたがい故障がでていました。この修理と新しいものの開発は孫工程師課長の助けを借りながらも、ハムの私の腕の振るいどころでした。電力線搬送電話はアマチュア無線の短波と違って、周波数が数100KHzですので初めは苦労しましたが、慣れるにしたがい、新しい機械を作るまでになりました。

材料は、どろぼー市と呼ばれている「バザール」で、日本時代の電話機、無線機のジャンクを集めました。装置は立派なアマチュアの作品です。これを送電線に付けて以前の機械と通話できた時は喜びで一杯でした。機械が作れるのは私だけです。その結果、全東北(満州)の発電所や変電所が私の縄張りになりました。

電力線搬送電話装置。昭和50年初頭に開発された大井電気製のもの

[日本語が国際語] 

電力線搬送電話で話す時は全部日本語です。そこでは日本語が「国際語」でした。電力線搬送電話と送電線との結合は超高圧用コンデンサーですが、これが無い小さな変電所では、送電線の下に長いアンテナ状の線を張って、インダクタンス結合としまして成功しました。私のハムの経験と孫工程師課長との合作です。

昭和28年(1953年)にやっとロシアの技術者と交代して日本に帰れました。11年ぶりの浦島太郎です。東京に帰った時家内が長年の苦難を乗り越えて育ててくれた長男は、なんと11歳でした。以上、アマチュア無線が私の命を救ってくれた報告です。


※注釈

1.工程師
現在でいえば「チーフエンジニア」ともいうべき呼称。現在の中国では総工程師、工程師、副工程師、技術員などのランクがあり、長い間、終身ランクのようになっていたが、見直しが始まっている。

2.電力線搬送電話
発電所から変電所までの送電線、変電所から工場・家庭までの電力線に、搬送波を重畳させて音声信号を送るもの。現在、日本で認められているのは10KHzから450KHzであるが、最近は家庭内の電灯線に3MHz-30MHzを重畳させて、家電製品の制御、映像機器、情報家電機器の信号を送る開発実験が活発となっている。しかし、アマチュア無線など他の機器が利用している周波数に妨害を与えると反対も多い。

3.旅順工大
明治42年(1909年)に旅順に設立された旅順工科学堂が、大正11年(1922年)に大学に昇格し、翌年には予科を併設した。設立に際し、満鉄(満州鉄道)の初代総裁だったこともある当時の後藤新平・東京放送局総裁は「満蒙を技術開発する日中共学の1万人の工科大学にせよ」と激を飛ばしたという。

4.インダクタンス結合
コイルや電線に電流を流すと磁界が発生し電磁誘導により、相手側のコイルや電線にも電流が発生する。高圧電流の流れる送電線とは高周波のみを通すコンデンサーで結合させるのが一般的であるが、清岡さんは電磁誘導を利用した。