[鈴木さんHFに挑戦] 

その矢木さんに鈴木さんはHFをやるように勧められる。鈴木さんは「Rainbow会」やDX会に出席しながら「皆様のDX談義にはついていけなかった。戦前のHF時代とはQSOの仕方もカントリーのアルファベットも異なり、アンテナは八木、ケーブルは同軸、リグは手製でなく国産の素晴らしい機械であった。出席の度に肩身の狭い思いを禁じえなかった」とNewsに書いている。

そのような時に、鈴木さんは矢木さんに「早く始めなさいよ。電波を出せばおもしろくなり、やめられませんよ」と何度も勧められた。ついに平成5年(1993年)に、HF帯への変更申請書を提出、庄野久男(戦前J2IB)さんの紹介で秋葉原で、リグ、GPアンテナ、付属品を購入、その年の12月3日に変更免許を得て、HFの仲間入りをした。

鈴木さんは庭の真中にアンテナを建てたが、「ロケーションがうまくありませんので、GPアンテナが地上から1m程度」だった。それでも「TVIが心配であったので出力を最低に絞ってチェックして問題がないため」それで交信を始めた。最初の交信は庄野さんとだった。

今、鈴木さんはアンテナを建てなおし、通称「サミット」と呼ばれているネットでの交信に加わっている。ネットとは毎日交信時間を決めて交信するグループのことである。このグループには「Rainbow会」のメンバーや、全国の2文字コール(サフィックスが2文字の戦後すぐに免許をとったハム達)の人達が参加しており、約50名ほどの集まりである。

周波数は3.5、7、14、21MHz。各地区に担当者がおり、年1回もち回りで会合を開いている。鈴木さんは原則として毎朝、14MHzを中心にマイクを握っている。「やむをえない用事がない限り必ず出ることにしており、365日のうち休むのは5日程度です」という。

昭和62年、出席した学会会場ロビーで

[中野アマチュア無線クラブ会員] 

鈴木さんがかかわっているもうひとつは「中野アマチュア無線クラブ」である。東京のJR山の手線の西に隣接する中野区を地域とするクラブであり、鈴木さんもそこの住人であることや「Rainbow会」のメンバーの1人から誘われて、その会員となった。HFで電波を出すようになった平成6年(1994)年のころである。

クラブの会員には、若い人もおれば60年代、70年代の人もいる。鈴木さんにとっては「若者と接触する楽しいクラブ」となっている。会員は約20名であり、毎月会合を開いている。「会場や、アマチュア無線の環境もすっかり変わってしまっているが、戦前の大学時代に行われたハム仲間とのミーティングを思い出す」という。

[未来の光のアマチュア無線] 

ラジオ受信に興味をもった「ラジオ少年時代」から「大学の再興時代」「電子工学の教育」を経て、再び「アマチュア無線」に。鈴木さんの人生はこれまで紹介してきた多くのハムと違い、アマチュア無線にのめり込んだ人生ではなかった。しかし、鈴木さんはいう。「私の人生はアマチュア無線によって作られた」と。

「旧制中学生時代、アマチュア無線は未来に光を与えてくれた」と、鈴木さんが文学的であり、いささか大げさな言葉を使うのは、当時の時代背景を知る必要がある。鈴木さんの旧制中学、大学予科、大学時代は見事に「昭和の暗い時代」に重なっている。昭和7年(1932年)の5.15事件、11年(1936年)の2.26事件に始まり、12年(1937年)の日中戦争、16(1941年)の太平洋戦争と、戦争への道を通ってきた。

アマチュア無線はその暗い時代の中で、鈴木さんに電子工学の研究者という職業を選ばせた。その意味で「アマチュア無線が無ければ今日の私は無かった」ということになる。それだけでなく、鈴木さんがアマチュア無線に感謝しているもう一つの理由がある。「お会いした方がみな年齢に関係無く、職業に関係無く対等に付き合える素晴らしい世界であった」ことである。

[これからの役割] 

「Rainbow会」で戦前の仲間達に再び会い、また「中野アマチュア無線クラブ」で若者を知り「活力に溢れているハムの姿は昔と変わらない」と鈴木さんはいう。80歳を過ぎた鈴木さんが今、心がけていることは「これまで人の奉仕を受けて過ごしてきた。今後は人に奉仕していくこと」である。

アマチュア無線では「Rainbow会の裏方をやっていく」と決めている。「他のハムの方は無線の運用という目的をもっている。私は取りたてて、必死になる必要がない。その分、皆様のお役に立ちたい」のが、その理由である。「そのためにRainbow会のお手伝いを買って出ている」という。

中野アマチュア無線クラブでは「会員である中学校の校長先生にお願いして、インターネットの掲示板で入会を呼びかけてもらった結果、何人かがクラブに入ってきたが、長くは続かなかった」と残念がる。しかし、「何とかして青少年にアマチュア無線の楽しさを知ってもらいたい」というのが鈴木さんの切実な思いである。

鈴木さんの最も新しいQSLカード