[DXCC]

開局当初から加藤さんはDX通信を楽しんでおり、自分でコイルを巻いて作ったセットを使い、南米と交信できたとか、アフリカと交信できたとかで十分満足していた。当時の加藤さんにとっては、遠方の局と交信することがDXであり、そのため、DXCCは特に意識してなかった。

DXCC(DX Century Club)とは、ARRL (米国アマチュア中継連盟)が制定した世界中の異なる338(消滅含まず)のエンティティ(国や地域)のうち、100個の異なるエンティティとの交信で発行されるアワードであり、その名のごとくアワード獲得者はDXCCメンバーと呼ばれる。単にDXといえば、遠方と交信することを意味するが、DXと数多く交信した結果として得られるのがDXCCであるため、DXとDXCCは非常に関連が深い。

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加藤さんが所有するDXCCの賞状(Mixed mode)。

[珍エンティティ]

一方、世界には、政治的にアマチュア無線のライセンスが下りない国、またライセンスは問題ないが、絶海の孤島などで、その場所に行って電波を出すこと自体が難しい地域など、交信するのが困難な国や地域があり、それらはDXCC上の珍エンティティと呼ばれている。日本近郊だと、たとえば北朝鮮がこれにあたる。現在、北朝鮮ではアマチュア無線のライセンスを発行していないため、誰もオンエアしておらず、ここは世界的な珍エンティティである。

DXCCのスコアをアップするには、必ずしも遠距離の局と交信することではなく、いかに珍エンティティを攻略するかが重要になってくる。珍エンティティを攻略するには、まずはバンドのワッチが基本。さらには、正確な情報をいかに早く入手できるかも重要。珍エンティティから運用する局(珍局)を見つけた後は、珍局の送信内容をよく聞いて、的確な状況判断を行うことが重要である、これは人生においても同じこと、と加藤さんは説明する。

[攻略した珍エンティティ]

(1)イエメン・アラブ共和国(北イエメン)【4W9GR】

アラビア半島南部に位置するイエメン・アラブ共和国は、1990年5月にイエメン民主人民共和国(南イエメン)と合併し、現在では1つの国家(イエメン共和国)になっているため、消滅エンティティであるが、存続当時のアクティビティは決して高くなく、珍エンティティであった。それでも、時々外国人による運用が行われていたため、このエンティティとのQSOに成功したJA(日本の局)は少なくはなかった。

そんな折、1975年にCW DXCC(電信によるDXCC)が制定されるが、当時イエメン・アラブ共和国から電信を運用する局は皆無であった。DJ9GRによって1976年から運用を開始した4W9GRは、CWが運用できることは知られていたが、普段はCWを運用していなかった。なんとかこのエンティティをCWで攻略したいと考えていた加藤さんは、SEANETに出ていたこの局を捕まえ、「どうしてもCWで交信したい」とリクエストしたところ、それに応えてくれ、貴重な4WのCWを攻略することができた。このQSOが数ある珍局との交信の中でも、加藤さんの一番の思い出だと言う。

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CWでQSOした4W9GRのQSLカード。

ところで、CW DXCCといえば、1975年1月の制定時から、1981年9月まではクロスモードによるQSOでも有効だった。しかし、SSBでパイルアップに勝った局が、「俺のCWを聞いてくれ」というカタチで半ば強引にクロスモードQSOを行う例が後を絶たず、おかしなことになったため、1981年10月以降は、2ウェイCW(双方ともCWモードで交信すること)の交信のみを有効とするルールに変更になった経緯がある。

(2)ブーベ島【3Y1VC】

南アフリカの遙か南、南極に近いところに浮かぶブーベ島は、島全体が1年中氷と雪で覆われている自然環境の厳しいノルウェー領の孤島。ノルウェー領のためライセンスを得るのは難しくないが、実際に島に行って電波を出すことが非常に困難なため、過去に数度しかアマチュア無線の運用がなされておらず、世界でも10本の指に入る珍エンティティである。

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「First JA3!」と記載された3Y1VCのQSLカード。

この3Y1VCは1978年から1979年にかけて、観測隊員として島に派遣されていたLA1VCによる運用であった。これ以前の運用では、JAからはわずか5局ほどしかブーベ島とは交信できておらず、この3Y1VCに期待が高まったが、彼の本業が忙しくあまり運用がなされなかった。彼の業務終了に伴う離島時期が近づく中、1979年2月下旬になって、リストQSOが行われ、一部オープン戦も含めて約100局の幸運なJAがQSOに成功した。

加藤さんは、この3Y1VCがブーベ等から運用を行っていることは当然情報を得ており、交信チャンスをねらって日々ワッチを続けていた。そんな折、2月25日に14MHzでリストアップが行われていることを聞きつけ、パイルアップを抜いてリストに載ることができた。このリストはSSBでとられたCWのリストであった。リストがスタートし、加藤さんはQSOを達成することができたが、3Y1VCからもらったレポートは449であった。後でこのQSOが、日本の3エリアから初めてのブーベ島とのQSOであったことを知り、感慨深かったと加藤さんは話す。

(3)リビア 【5A2CV】

北アフリカに位置するリビア。1960年代は比較的アクティビティがあり、現在のような珍エンティティではなかった。加藤さんはリビアにあった英空軍のクラブ局・5A2CVと1959年4月29日に28MHzのCWで交信したが、当時は珍でもなかったため、QSLカードはダイレクトで請求しないでいた。

しかし、1969年9月に発生した政変後は、アマチュア無線のライセンスが容易に下りなくなり、そのためアクティビティが途絶え、どんどん珍エンティティ化していった。このままでは、QSLカードの回収が不可能になってしまうと感じた加藤さんは、1978年、当時の5A2CVのオペレーターであったG3BBFに手紙を出してQSLを入手した。交信から実に19年後のQSL請求であった。

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19年ぶりにCFMした5A2CVのQSLカード。

この時はうまく回収できたからよかったものの、もしオペレーターが亡くなっていたような場合は回収が不可能になる。まだQSLカードを持っていないエンティティとの交信後は、できるだけ早期に請求を行った方がよいと、加藤さんはアドバイスをする。