[攻略した珍エンティティ(続)]

(4)マルペロ 【HK0TU】

特に珍しいエンティティのことを「マルペロ級」と呼ぶことがあるが、その名のとおり、このコロンビア沖の太平洋に浮かぶマルペロ島(コロンビア領)は超珍エンティティである。ここは島全体が切り立った岩盤なため、まずは上陸が難しい。上陸しても無線運用ができる平坦な場所はごくわずかしかなく、その場所は、日本からみると山の陰となっているため、日本からのQSOは困難を極め、通常は、地球の裏側を回るロングパスでないと聞こえない。

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HK0TUのQSLカード。写真は1990年のもの。

1983年、数年ぶりにマルペロへのDXペディションが行われるという情報を得た加藤さんは、これを攻略するため、すでに以前のDXペディションでQSOに成功していた、JA3DJ(中島昌也)さんに、交信したときの詳しい様子を聞きに行った。そして、やはりロングパスで狙うしか攻略する方法はないと判断し、狙いを14MHzに絞って作戦を立てた。その結果、予想どおりロングパスで入感してきたHK0TUを捕らえ、攻略に成功した。

(5)アルバニア 【ZA1A】

1990年頃の調査では、世界で一番ニーズの高かった東ヨーロッパのアルバニア。つまり世界一珍しいエンティティであった。その理由は、20年間全くアマチュア無線の運用がされておらず、また20年以上前の運用も、少数のQSOにとどまっていたからだ。

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20年ぶりに運用されたZA1AのQSLカード。

1991年9月、IARU(国際アマチュア無線連合)による、アルバニアにアマチュア無線を普及するプロジェクトが実施された。このプロジェクトではアルバニア人にアマチュア無線のトレーニングを行う一方で、国際チームによる大々的な運用が行われた。そのときのコールサインがZA1Aである。世界一珍しいエンティティからの運用だけあって、パイルアップは熾烈を極めたが、加藤さんはこのZA1AとのQSOにも成功している。

(6)サウスサンドイッチ諸島 【LU3ZY】

南米の南、南氷洋に浮かぶ火山列島であるサウスサンドイッチ諸島。南緯58度付近に位置するため厳しい気候、さらに火山活動、地震活動のためDXペディションも10年に1度程度しか行われておらず、常に一線級の珍エンティティである。さらに、この地域は、日本からだと極地を通過するパスとなるため、コンディションを予測するのも難しい。

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14MHzSSBでQSOしたLU3ZYのQSLカード。

1978年、アルゼンチンから島に渡った観測隊員にハムがいて、業務時間外にオンエアしてきた。業務通信用のロンビックアンテナを使用した電波は強力に入感したが、当初は世界中からのパイルアップで交信は困難を極めた。、翌年になると徐々にパイルアップも収束していき、1979年4月に加藤さんもQSOに成功した。

その後14年間、この島からの運用は無かったが、1992年、米国人チームによる比較的大規模なDXペディションが実施された。このときは日本からもJE3MAS(高津宏幸)さんがオペレーターとして参加したため、氏の尽力によって連日、日本に向けたサービスがあった。それもあって、加藤さんは各バンド、各モードでQSOに成功している。

(7)アベス島 【YX0AI】

ベネズエラの北方、カリブ海に浮かぶ無人島であるアベス島。海面からわずかに顔を出した小さな島であるが、潮流や台風などによって年々島の面積が小さくなっていっており、現在では満潮時にも水面上にある部分はほんのわずかしかない。このような島でも、DXCC上では1エンティティとなっているため、数年おきにDXペディションが実施されている。

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YX0AIのQSLカード。

ここアベス島は、日本からみると北米超えになるため、Wのパイルを打ち破らなくてはならずQSOは容易ではない。加藤さんは、コロンブスの新大陸発見500年を記念して、1992年3月に行われたDXペディション局YX0AIの攻略に成功。14MHzCW、ならびに21MHzCWの2バンドでQSOに成功している。

[DXCCを申請]

DXCCは100エンティティのQSLカードがそろった時点で申請することができるが、加藤さんはすぐにはこれを申請せず、300エンティティ以上集まってから申請しようと考えていた。そして、1977年、315エンティティのQSLカードがそろった時点でARRLに申請。10月19日付け発行番号17309番のMixed Mode DXCCを受領した。

なお、同時に申請したCW DXCCの発行番号は、まだまだ若い355番だった。これは、CW DXCCに使用できるQSLカードが1975年1月1日以降という制限があったため、1977年10月の時点では、まだ世界で355局しか、これを申請することができなかった訳である。

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CW DXCCの賞状。

[DXCC#1オナーロールメンバーとなる]

1992年頃、加藤さんは固定局のアンテナをグレードアップした。下から14M/21MHzの5エレデュアルバンダー、7M/10MHzのデュアルバンドロータリーダイポール、28MHzの4エレモノバンダーという構成である。出力は当時1アマに許可される最大電力の500Wで運用し、「満足行く飛びであった」と話す。

加藤さんは引き続き、さらなるDXCCのスコアアップに向けて運用を続けたため、未交信エンティティはどんどん減っていき、ついに最後の1つとなった。最後に残ったエンティティは近くて遠い北朝鮮であった。その頃、北朝鮮からのアマチュア無線局の運用はほとんどなく、たとえあってもごく限られた運用だけだったため、一般の局にはなかなか交信チャンスがなかった。それでも、加藤さんは、いつ現れるか分からない北朝鮮局との交信のために、日々バンドワッチを続けると同時に情報収集を続けた結果、ついに交信に成功した。

その北朝鮮局P5/4L4FNのQSLカードを手にした加藤さんは、2002年、ARRLにDXCCエンドーズメントの申請を行い、ついに最高の名誉である、DXCCナンバーワン・オナーロールメンバーとなった。

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DXCCナンバーワン・オナーロールメンバーだけが手にできる盾。