[各国語を勉強]

加藤さんは、「アマチュア無線以外の趣味は、語学です」と話す。英語については言うまでもなく、大学時代には第二外国語として、ドイツ語に加え、スペイン語も選択したことは連載第2回で紹介したとおり。このときのスペイン語の先生はユニークな先生で、サラリーマンがスーツを必要経費に計上できないのは不当だとして裁判まで起こしたと言う。この熱心な大島先生の指導もあって、加藤さんのスペイン語はめきめき上達した。

その他に加藤さんは、ロシア語も勉強した。しかし、ロシア語については学校で習ったのではなく、極東ロシアの局との電話系モードでの交信を通して、実践で身につけた。ロシア語をマスターすれば、文法が似ている東欧諸国の言葉はだいたい分かるようになる。そのため、応用が利き、東欧諸国の各言語での挨拶くらいはできるし、手紙も書ける様になる。加藤さんは、これらの国々との交信のQSLカード請求の際に大いに役立ったと語る。

さらに加藤さんは、仕事で滞在したインドネシアでのインドネシア語、スリランカでのシンハリ語でも、片言だが意思の疎通程度はできるという。

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加藤さんが技術指導を行ったスリランカの放送局「ルパバヒニ」。

[NHK退職後]

1993年、加藤さんは57才でNHKを退職し、TVのスタジオや放送関連機器のメーカーである池上通信機(株)に就職した。3年間の在職期間中に、加藤さんはカメラの修理などを行うメンテナンス部門を立ち上げた。その後、60才になった加藤さんは、(財)NHKエンジニアリングサービスに再就職する。ここでも加藤さんの技術を活かし、自治体などに設置されたハイビジョンなど映像システムのメンテナンスを行った。

話は変わるが、「DXの世界ではDXCCのスコアが勲章みたいなモノだが、技術者の世界では、特許の取得件数や重要性が勲章である」と言う。加藤さんは、在職中に「周波数制御装置」などの特許を取得した。1999年、63才になった加藤さんは、毎日出勤する仕事からは引退し、現在は、(株)奈良シティエフエムコミュニケーションズの技術顧問に就き、携帯電話会社などの通信会社との技術的な折衝を担当している。

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加藤さんが取得した特許が掲載された特許公報。

[今後の計画]

加藤さんは、「今後やってみたいことが2つある」と言う。まず1つ目は、リモコンシャックの実験である。これはインターネットを利用して、離れたところにあるトランシーバーやアンテナを、パソコンで制御し、同時に音声のやりとりも行って、運用してしまおうというもので、現在は「まだアイデアの段階である」と言う。ノーコンになったときのための対処策など、克服すべき課題は多いが、技術的に非常に興味があるので、近いうちにすでに実現しているアマチュア無線局に見学に行く予定とのことだ。 

2つ目は新しいアンテナの実験である。「小型でかつ高効率なアンテナをいろいろと実験したい」と言う。「手始めに最近脚光を浴びているEHアンテナを作ってみたい」と抱負を語る。

[加藤さんにとってのアマチュア無線]

加藤さんにとってのアマチュア無線は曼荼羅(まんだら)であると言う。曼荼羅とは仏教において、聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字などを用いて視覚的・象徴的に表わしたもので、一部分が全体を表し、逆に全体が一部分を表している。そのため、一部分を見れば全体が分かる。

曼荼羅全体は世界でもあり宇宙でもある。その一部分としてアマチュア無線がある。一方、アマチュア無線には、山ありも谷ありも、いろいろな要素が集まっているから、宇宙と見なすことができる。だから、加藤さんにとって「アマチュア無線は曼荼羅である」と語る。

最後になったが、加藤さんが所有している電鍵を紹介する。現在加藤さんは100個以上の電鍵を持っているが、これらはそのコレクションの中から厳選したモノである。加藤さんがCWにかける情熱が伝わってくる。     (完)

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旧日本陸軍 94式空2号無線電信機。昭和初期から昭和20年頃まで使用された。

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NATO(北大西洋条約機構)軍用。ギャップを調整するダイヤルが上に出ている。

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Pole Changer Key。線路の極性を変えることにより、2回路の交信が可能。写真右上に極性切り替えスイッチが見える。

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英国の救命ボート用の電鍵。海水の侵入を防ぐため、防水用パッキンが厳重に入っている。

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英国空軍の防爆対応電鍵。接点のスパークで爆発しないよう、接点はゴムのベローズで覆ってある。