[電波波適正利用]

平成9年(1997年)菊地さんは支部長を退任する。長い間の会社勤めも前年に終わり2社目の勤務が始まっていたが「とりあえず、仕事も趣味も一区切りついた状態であり、少し大げさに言えばその後の人生を社会のために役立てたい」と考えたと言う。菊地さんの趣味は多彩であるが、その後の人生も電波とは縁が切れなかった。

昭和29年(1954年)3月「電障協(電波障害協議会)」が発足し、全国的な運動が始まった。26年に民間ラジオ放送、28年にテレビ放送が開始され、放送エリアは急速に全国に拡大していった。しかし、これらの放送に障害を与える妨害電波の知識は社会的にも薄く、当時の郵政省、通産省、NHK、民間放送、NTTなどの関連機関が足並みを揃えて、全国組織として障害防止の協議会を作りあげた。

一方、40年以上経過した平成9年(1997年)に総務省は電気総合通信局に協力する民間のボランティア組織として「電波適正利用推進員制度」を発足させた。各県単位に組織されており、全国に約800人程度の推進員がいるといわれている。役割は電波法に基づく電波利用の指導や、人々に電波について啓蒙することである。

[青森電波利用推進員協議会会長]

この活動は一般の人たちにも馴染みがあり、電波知識をやさしく教えることの出来るハムがふさわしいことから、全国でも多くのハムが加わっている。菊地さんは同組織が発足した当初から活動しているが、平成15年(2003年)に青森県の協議会会長に推された。任期は2年であるが、その後も再選し続けられている。

企画、実行力のある菊地さんらしく青森の「電波適正利用推進協議会」の活動は活発である。電波の正しい利用を呼びかけるチラシの配布や「電波の日」「電波クリーン月間」のイベントなどでの啓蒙活動はもちろん、ラジオキットの組立てを通して電波知識を子供たちに伝える「ファミリー電波教室」を毎年、県内5カ所で実施している。

[完成品をキットに]

この[ファミリー電波教室]は、各地の教育委員会などの協力を得て、父兄同伴の参加が原則である。菊地さんは「子供たちのために積極的に実施していることが評価されて関係方面から少ないながらも予算もいただいている」と言う。それでも「教室」を続けるための涙ぐましい努力を繰り返している。

子供たちのためにトランジスターラジオのキット組立て教室を実施しているハムのグループは各地にあるが、困っているのがキットの購入費。菊池さんらは限られた予算で県内各地で出来るだけ多くの活動をしたいとの思いから、手間のかかる作業を行っている。仕入れ先に交渉、安いラジオの完成品を購入、ケースを外しセミキット状態に加工。当然、組み立てのためには説明書が必要になる。カラー写真入りの説明書を自ら作り、必要部数を揃えるのも菊地さんの仕事である。

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菊地さん自作機 400MHz送信機の正面と内部

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菊地さん自作機 1200MHz送信機の正面と内部

菊地さんが重視しているのは「完成した製品が後々役に立つ物、愛用していただける物でなければならない」と言い、長期の使用に耐える製品を対象に取り上げる。また、完成した製品のケース裏面には「適正推進協議会」のシールを張ってもらっている。「シールを見て、電波について勉強し、キットを組み立てたことを後々まで思い出してもらうため」である。

[多彩な趣味]

アマチュア無線にどっぷり漬かっている菊地さんであるが、実は他の趣味でも負けていない。まずダンスである。始めたのは20歳のころ。当時は若者の間でダンスがブームとなっていたが、菊地さんはオーディオ技術にも詳しいためダンスホールから相談を受けたり、設備を依頼されたのがきっかけとなって、ダンスホールに出入りした。

一人住いの家にテレビを置くような時代ではなかった。菊地さんは、ダンスホールに入り浸った。中途半端は好きでなくすぐに競技ダンスに熱中する。それ以来、菊地さんは多忙ななかでも極力練習に通い、長期間の成果が出て競技会で入賞が多くなるとますますおもしろく、楽しくなり熱心に通うことになる。現在ではインストラクター(地域指導員)としてサークル活動などで活躍している。

[カメラ/ビデオカメラ]

小学生のころからピンホールカメラを自作し、やがて現像まで手がけたカメラの趣味はその後、本格的になり自宅で引き伸ばし、焼き付けをするようにまでなる。応募した作品がコンテストに入賞したこともあり、現在でもデジカメを駆使して撮影を続けている。さらに、趣味は静止画から動画へと広がり、ビデオカメラによる撮影が加わる。

実は菊地さんの経歴は日本におけるビデオカメラの歴史に近いほど長い。「とにかく、撮像管にビジコンと呼ばれた管球が使われていた時代から触っていた」ことになり、その後は新製品が発売になるたびに実際に使ってきた。撮影技術はプロ級であり、しばしばイベントの撮影を依頼されることがある。「もちろん、ボランティアとして無料で撮影しているが、依頼主に喜ばれることがうれしい」と言う。

[様変わりのアマ無線]

「子供たちの科学知識を豊かにするための一環として、アマチュア無線に興味を持ってもらう。その前段階としてラジオを自作してもらおう」と活動している菊地さんであるが、アマチュア無線の現状については「あまりにも様変わりしてしまった」と嘆く。中学、高校、大学の無線クラブも激減、地域のクラブの活動も低迷状態だからである。

「われわれも、また、全国では多くの方がハムの増員のための努力をしているが、あまり効果がない」と、今後についても悩んでいる。「良策はないが、少なくともアマチュア無線の存在と内容を知ってもらう努力はするべきであろう。ハムになるかどうかは本人の考えだからである」と言う。

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菊地さんが手作りしたトランジスターラジオの組立て説明書の一部

[父兄からは感謝]

とは言うものの協議会活動後のアンケートでは「受講した子供の90%は“大変楽しい。良い勉強が出来た”と言い、父兄も一緒に夢中になり“このような機会を作っていただき感謝します”と言われる。そしてその姿を見ていると、自分がちいさな時にラジオに夢中になったころがよみがえってくる」と言う。

サラリーマン生活を続けながらアマチュア無線のために走りつづけてきた菊地さんは、サラリーマン生活が終わった今でも多忙である。しかし「科学することが少なくなっている現在、子供たちや父兄のこのような感激ぶりを聞くと苦労とは思わない。動ける間は推進員の仕事を続けたい」と連日飛びまわっている。

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菊地さん宅のアンテナ