[支部長になる]

平成4年に愛知県支部長に選ばれた。立候補のきっかけは、前支部長(JA2CBC・百武邦明さん)が引退することになり、「おもしろそうだしやってみようかと思って、自ら進んで立候補した」と木村さんは言う。支部長になると同時に、監査指導委員、JR2VKの代表者、講習会の講師については、兼任を避ける為に辞めた。

愛知県支部大会・ハムの祭典の様子

支部の行事は多かった。愛知県支部では毎年、ソフトボール大会、フィールドミーティング、技術講習会、4級ハム国試対策講習会、上級ハム国試対策講習会、CW入門講座、愛知県支部大会・ハムの祭典、東海4県ハムの集い(キャンプ)などを開催した。さらに木村さんはJR2VKの代表者を下りてからも幹部スタッフとしての活動は継続していたため、支部の行事とJR2VK局管理団体の行事、さらには所属クラブ(USO)の行事も重なって大忙しだった。

[わかしゃち国体]

支部長になった2年目の平成6年、愛知県で第49回国民体育大会(愛称:わかしゃち国体)が開催された。このPRのために、愛知県支部では特別記念局(8J2WAK)を開局しようという話が持ち上がった。

国体の各競技は、開催都道府県内の市町村で分担して開催されるが、従来、アマチュア無線の記念局はメイン会場に開設され、そこで継続して運用されることが多かった。愛知県支部では、記念局開設の準備を進めていく際、「メイン会場に開設するより、持ち回りで運用した方がいいじゃないか」という提案があった。話し合いの結果、各競技会場を回って運用しましょう、ということになった。現在では、いろいろな記念局が、持ち回りで運用されることも珍しくないが、当時は、持ち回りで運用する記念局は一般的ではなく、新しい試みであった。

さっそく競技会場に近い登録クラブに、持ち回り運用の依頼を行ったところ、手を挙げてくれるクラブがかなりあり、開局準備、運用計画は順調に進んだ。最終的な運用会場は全部で26会場となった。

わかしゃち国体記念QSLカード

運用に際しての、運用会場との折衝、運用場所の確保は、担当の登録クラブに一任したため、この面での準備は楽であったが、遵法運用を管理する面では大変だったと木村さんは言う。なお、JARLが開設する特別記念局であるため、会員ならだれでも運用できることが原則であり、そのため、基本的に個人宅での移動運用は許可しないこととした。運用を任された登録クラブは、例外なく積極的に運用してくれため、持ち回り運用の結果は大成功に終わった。実際の運用では、機材と一緒に(使い捨て)カメラも持ち回りにしたため、これで各地の運用記録を撮ることができたと言う。

[デザイン博]

話は少し過去に戻るが、平成元年(1989年)7月15日から11月26日の4ヶ月間、名古屋市内の3会場で、「世界デザイン博覧会」が開催された。このイベントは名古屋市制100周年を記念した博覧会で、3会場合わせた入場者数が約1518万人になったビッグイベントであった。

当時の木村さんは支部長になる前の支部幹事の時代であったが、特別記念局(8J2DEP)の設置、運営に奔走した。記念局は3つあった会場(白鳥会場、名古屋城会場、名古屋港会場)の中で、メイン会場の白鳥会場内にあった展示集合パビリオンである「夢集合館Σ21」の中に設置された。

木村さんは、配置図面の作成、無線機の構成の策定、アンテナの組み合わせの策定、実際の無線機の設置などを担当し、ブースの内装や受付カウンター、運用机などは、全てUSOハムクラブの永井勝義(JI2AHC)さんがボランティアで作り上げた。会期中は、もちろん運用の管理、指導も行った。この記念局は、ブースが金魚鉢のような形なっており、来場のお客様は、ガラス越しに無線機の裏側とオペレーターの顔が見えるようになっていたようだ。

ねんりんピック98記念QSLカード

[ねんりんピック]

平成10年、第11回全国健康福祉祭(愛称:ねんりんピック)が愛知県・名古屋市にて開催された。ねんりんピックは、長寿社会開発センターと厚生労働省、開催都道府県、政令指定都市が共催で開催する、高齢者向けのスポーツ、文化、健康と福祉の祭典である。愛知県支部はこの祭典においても記念局(8J2NPA)を開設した。この記念局もわかしゃち国体記念局と同様に、登録クラブの持ち回り運用の形態をとり、成功を収めた。

[日新市制記念運用]

平成6年10月1日、愛知郡日進町が市制を施行し日進市となった。愛知県の新市誕生は、豊明市が誕生して以来、実に22年ぶりの出来事だった。市制施行に関して、当時の町長は、反対する町民に配慮しながら慎重に進めており、「極力お祭りは無しにしてやりたい」、という意向を持っていた。

それでも、木村さんらアマチュア無線家は、アマチュア無線の記念運用をとおして全国に日進市のPRを行いたいとの思いをもっていた。同時に全国の多くのJCCハンター達に新市をサービスしたいと考えていた。そこで、市に相談に行ったところ、了承が得られた。さっそく進めることになり、当初は愛知県支部の活動として実施する案もあったが、地元のクラブやボーイスカウト日進第1団・第2団が共同で記念局運用委員会を作り、ともに協力して運用しようということになった。


日進市 市制施行記念運用の様子と記念QSLカード

最終的に、JI2YNHという地元のボーイスカウトのクラブ局を運用することになり、市になる前の日進町からの最後の運用を狙い、市制施行日前から役場前にテントを張って大々的に運用した。市制施行日には他に目立つ行事がなかったため、記念運用はマスコミの注目を集め、各紙が取材に来てくれたそうだ。

そのとき運用を行ったボーイスカウト達は、先に木村さんが講師を務めた養成課程講習会にて免許を取得したスカウトが中心だった。最終的には約17000局との交信を達成し、全国に日進市誕生のPRができた。17000枚の記念QSLカードは市が費用を負担してくれた。