[愛知万博]

平成17年(2005年)、3月25日から9月25日までの185日間、愛知県で2005年日本国際博覧会(略称:愛知万博、愛称:愛・地球博)が開催された。JARL東海地方本部は会場内に特別記念局8J2AIを開設し、会期中に世界の33000余局との交信を行い、万博のピーアールを行った。

特別記念局8J2AIのパンフレット

この特別記念局の開設準備は開会の1年以上前からスタートしたが、木村さんは、まず実行委員会を立ち上げた。委員長は愛知県支部長の種村一郎(JG2GFX)さん、副実行委員長は山本永浩(JA2CME)さんと、瀬川明郎(JO2OTF)さんに決まった。当初博覧会は、瀬戸市の「海上の森」で開催される予定であったため、特別記念局の開設準備を進めるにあたり、木村さんら実行委員会のスタッフは瀬戸市にあいさつに行った。

その後様々な経緯があって、博覧会のメイン会場は長久手町の「長久手会場」に変更された。時間が経つにつれ、博覧会の会場内にアマチュア無線局を設置するための交渉相手もはっきりしてきた。その交渉相手である博覧会協会にあいさつに行ったところ、協会側もある程度のアマチュア無線の記念局に関する情報(大きな博覧会では、アマチュア無線の記念運用があるらしい程度)は持っていることが分かった。
[出展場所の確保]

まず博覧会協会から返ってきた返事は、「市民参加型の博覧会ですので、特別な待遇はできません」「金銭的な補助も一切できません」というもので、あまり歓迎されていない雰囲気があった。しかし話を進めるうちに、アマチュア無線(記念局)の出展自体は否定されていないことが分かったが、「建物は貸せない」という前提で話し合いが始まった。

当初、「車をブースにして、移動式の展示を行ったらいかがでしょうか」とか、「○×の場所ならテントが張れますよ。一日の展示が終わったら、テントを撤収したらいかがでしょうか」といった、現実的ではない話が出てきた。木村さんは「我々にも自負があります。様々な国際的な展示会におけるこれまでの実績もあります。毎日テントをたたむような待遇なら、世界各国から来場する仲間に対して恥ずかしいのでお受けできません」と返答して帰ってきたこともあった。

特別記念局が設置された「わんパク宝島」

そうこうするうちに、協会側がアマチュア無線の担当者を決めてくれ、徐々に話が進むようになった。また、その担当者を通して協会との話もスムーズに流れるようになり、軌道に乗ってきた。たとえば、「ログハウスを建ててはいかがでしょうか」といった提案も出てきた。その後「補助金はなし」、「終了後は原状復帰」という条件だったが、「既設の児童館の一角を使ったらいかがでしょうか」という提案をもらえた。ようやく話が現実味を帯びてきた。この児童館が最終的に特別記念局が設置された「わんパク宝島」である。

設置場所は決まったものの、「家賃は発生しますよ」と言われた。面積あたりの家賃に加え、光熱費、警備費など、合計するといくら請求されるか分からない。しかし、このような世界規模の博覧会でアマチュア無線の記念局がないのは前例がないし、期待して来場される国内外のハムに対して申し訳ない。木村さんは決断した。

[ブース作り]

ブース作りは1989年の世界デザイン博特別記念局設置の際にも大活躍した永井勝義(JI2AHC)さんが、再び力を貸してくれた。また新たにボランティアになってくれた、建築関係の仕事をしている(副実行委員長の)瀬川さんは、重機関係の手配をしてくれた。工務店関係の仕事をしている菅谷憲治(JL2JPH)さんは、部材の調達面で貢献してくれた。あとは実行委員の全員で協力してブースを作り上げた。もちろんブースの内装なども業者は使わず、すべて委員で仕上げた。

ブース工事の様子

ブース作りの作業期間中、協会側から安全管理に関しては特に厳しい指導があった。床に座った作業でも安全帯の着用を要求されるなど、ずいぶん苦労した。そのため、必須品である安全帯、安全靴、安全帽(ヘルメット)をメンバーが連れだって日曜大工センターへ購入に行った。ひととおりの工事が終わって、仕上げにニスを塗っていたところ、臭いが協会の管理事務所に流れ込んで大騒ぎになったことがあった。換気不足が原因であったが、これは違反事項であったので厳しく注意された。その際、近隣の実行委員に扇風機持参で集合の指示が出され、床は扇風機だらけになった。

博覧会の会場内では、外国ブース、また大手企業の出展ブースが連日の作業で着々と完成に向けて近づいていく中、特別記念局のブースは、作業スタッフが全てボランティアのため、基本的には土曜日、日曜日しか作業を行えなかった。さらに、土日でも協会側の都合で作業に入れない日もあったが、みなで協力して作業を進めていった。ブースがある程度完成し、アンテナ用の鉄塔を建てるころには、「安全管理にはもうずいぶん慣れてきた」と言う。

余談ではあるが、テロ対策のため、作業に従事するスタッフのリストと車両ナンバー、車種を、作業日毎に作成して事前に協会に提出し、入構許可証を入手する必要があった。さらに当日は入場ゲートで一人一人厳しいセキュリティチェックが行われた。もちろん退出時も人数確認等のチェックが行われた。一方、記念局のブース作りは1月に着手した後、一致団結して作業を進めた結果、3月中旬には何とか仕上がり、3月25日の開局を無事に迎えることができた。それでも、現場は名古屋市東部の丘陵地頂上に位置しており、伊吹山から吹き下ろす寒風には4月に入っても悩まされた。

アンテナ工事の様子