[運営ボランティアの確保]

記念局ブースのめどは立ったものの、木村さんの心配事は家賃等の経費面の他に、運営ボランティアの確保があった。博覧会の開催時間は、9時~22時(4/26-9/25の期間)である。朝はブースの準備があるので8時にブースに入り、帰りは後かたづけがあり22時過ぎになる。そのため、1日を3つの時間に区切り、3交代でのローテーションを考えていた。また、無線運用をするだけの記念局とは異なり、「お客様参加型のイベントを実施しなければならない」という原則があるため、ブース内で工作教室などを開催することにしたが、そのための講師の確保も必要だった。その結果、1日に必要なボランティアの数は20~30人という計算になり、「実現は不可能ではないかと弱気になったこともある」と言う。

ボランティア説明会の様子

実行委員会で話し合った結果、インターネット上に記念局の専用サイトを立ち上げ、そこで運営に関するボランティアを募集することにした。もちろん手当は出せないため、手弁当かつ交通費も自分で負担してくれるボランティアの募集である。当初は思うように集まるか心配であったが、委員会の趣旨に賛同する多くのハムが名乗りを上げてくれ、ボランティア登録人数は最終的に250人となり、これで出展と運営に向けてのめどが立った。

[開局式]

事前に開局申請していた特別記念局の免許も無事に下り、コールサインは8J2AIと指定された。開会式をいつ行うか話し合った結果、博覧会開催初日の3月25日(金)に行うことにした。この日は会場に雪が舞うほど寒い日であった。それでも来賓の県会議員、東海総合通信局無線通信部長などが駆けつけてくれた。原JARL会長も名古屋市内で前泊し、当日は早々に会場に到着していた。幸運にも特別記念局は博覧会場の奥の方に位置していたため、一般ゲートオープン後、一般のお客様が記念局ブースに到着される前の30~40分ぐらいの間に開局式を行うことができた。その後、8J2AIから原会長が第一声を発し、9月25日までのロングラン運用がついにスタートした。

8J2AI開局式 左より種村実行委員長、波形愛知県議会議員、原JARL会長、横田総務省東海総合通信局無線通信部長、木村さん

余談ではあるが、外国ブースやメーカーブースでは、だいたいの開会の何日か前に開館式を行っていたようだ。また、愛知万博の開会式は、開催前日の3月24日に関係者だけを集めて執り行われた。この開会式には常陸宮殿下が出席された。要人が来場する日は特に入場のチェックが厳しかったことを、木村さんは憶えている。各出展者にはVIPが来場する旨、直前に連絡があったが、巡回コースの開示はもちろんなかった。

[ボランティアのローテーション]

ホームページでの募集の成果があり、ボランティアの数は集まったが、どのようにボランティアを回すか、つまりローテーションを組むかが次の課題があった。ボランティアのローテーションを管理するのは実行委員会スタッフであったが、スタッフの都合も様々で、毎日のように入れるスタッフもいれば、土日しか入れないスタッフ、また月に1度程度しか入れないスタッフもいる。

博覧会がスタートしてしばらくの間は、博覧会への来場者数※も多くなく、8J2AIへの来場数も徐々だったため、ボランティアのローテーションが完全に確立されていなかったにもかかわらず、なんとか回せていた。一方、協会側からは毎日、各出展者に何らかの連絡があることがわかり、協会との窓口となる常駐するスタッフが必要となった。この常駐スタッフは負担が非常に大きいため、木村さんは、常駐スタッフを任命することができないでいた。しかし、そんな木村さんを見かねてか、自発的に動き始めてくれるスタッフが現れた。副実行委員長の山本さん、ブース作りでも活躍した菅谷さん、それに村井千鶴(JO2MLC)さんの3名である。任命はしなかったが、気がついたらこの3人が自発的に常駐スタッフを担当してくれていた。 ※最高入場者数 9月18日 281,441名、最低入場者数 3月25日 43,023名 (2005年日本国際博覧会ホームページより)

8J2AIの主要スタッフ達(一部)

そのうち村井さんは、毎日ブースに来てくれた。会期中は車で会場に乗り入れられないため、村井さんは、日進市内の木村さんの自宅に車を停め、そこからバイクで会場まで通っていた。3月なのでまだまだ朝晩の冷え込みがあり、行きも帰りも大変寒かった。毎日毎日バイクを通う村井さんを見た博覧会協会は、途中から村井さん用に駐車場を1台分だけ確保してくれた。その後村井さんは車で会場まで来ることができるようになったため、工作教室の材料の運搬ができるようなり、他のスタッフも大変助かった。

その村井さんは、空き時間に、毎日、記念局の様子や会場の様子を写真撮影し、Eメールで東京のJARL事務局に送り続けた。JARLのHPに随時掲載されたそれらの写真をみて、「8J2AIは楽しそうだ」と来場するハムも多かったようだ。

[弁当の持ち込み]

一般来場者は博覧会場内への弁当の持ち込みが禁止されていたが、スタッフとボランティアはスタッフ通路からの弁当持ち込みが可能であった。また、スタッフ食堂も利用することができたので、ボランティアの昼食や夕食はさほど問題がなかった。そうこうするうちに、博覧会に来場した(当時の)小泉内閣総理大臣の一声で、自家製弁当に限って、お客様、スタッフ共々、持ち込みが許可となったことは記憶に新しい。

入退出がいかに厳しいかひとつエピソードを紹介すると、会期中にスタッフの1人を出迎えるために、木村さんはスタッフゲートから一旦会場の外に出た。暑い日だったので、そのとき木村さんはペットボルトに入った飲料を飲みながら警備員のチェックを受けてゲートを通過した。ゲートの外でスタッフと会い、すぐに再入場する際に、警備員に制止させられた。「ペットボトルの持ち込みはできません」と言われた。木村さんは「あなた、今私がこのペットボトルを持ってゲートを出るのを見ていたでしょう」と苦笑いしながらやり返したら、「お客様がご覧になっていますから」と、結局、持ち込みは許されなかった。木村さんはペットボトルをゲートのすぐ内側に置いて出ればよかったと後悔したが、それだけ入場のチェックは厳しかった。