[アマチュア無線局を開局申請]

1965年12月、第1級無線通信士(現第1級総合無線通信士)に合格したことが分かると、東京に長居は無用のため、下宿を引き揚げて長崎に帰ることにしたが、帰る前にアマチュア無線の機器を購入するべく秋葉原に向かった。その時には、洋子夫人もすでに電話級アマチュア無線技士(現第4級アマチュア無線技士)国家試験の合格通知を手にしており、夫婦での交信の目処が立っていたからであった。送信機はトヨムラの「QRP-TWENTY」、受信機はスターの「SR-550」に決め、購入した。

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QRP-TWENTYのチラシ。

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SR-550の取扱説明書。

それらの機器を長崎に持ち帰り、まずは郡山さんが九州電波監理局(現九州総合通信局)に開局申請を行った。まだ1通の無線従事者免許証は到着していなかったが、手持ちの2通の資格で申請しても、アマチュア無線局の操作範囲は変わらないため、何も問題はなかった。現在でもそうだが、1通もしくは2通の資格は、第1級アマチュア無線技士の操作が許されている。

1月11日付でJA6FOFが免許されるが、1月7日から乗船しペルシャ湾に向かっていた郡山さんは、免許状を受け取ることができず、自局のコールサインを知ったのは、洋子夫人からの電報だった。免許内容は3.5〜50MHz帯のA1(現A1A)、A3(現A3E)の10W。1アマ相当の資格を持ちながら10Wで申請したのは、当時すでに10Wまでなら落成検査が省略されており、申請だけで免許を受けられたからだった。

その後、洋子夫人にも電話級アマチュア無線技士の免許証が到着し、開局申請を行うことになるが、郡山さんが船を下りて帰宅するタイミングで申請したため、ちょうど5ヶ月後の6月11日付けでJA6FXLが免許された。無線設備は同じもので申請したが、電話級のため、14MHzやA1は申請してない。

[半年間は受信のみ]

ペルシャ湾から帰り、2月28日にようやくJA6FOFの無線局免許状を手にした郡山さんであるが、それまでアマチュア無線の周波数帯は一度もワッチしたことが無く、どのように通信が行われているかを全く知らなかったため、まずは受信から始めることにした。とは言うものの、すぐに次の乗船が決まっていたため、自宅からは運用する時間はなかった。幸いにも勤務場所である、船舶の無線室には、アマチュアバンドも受信できるレシーバーが備え付けられていたため、それを使ってアマチュアバンドのワッチを始めた。

3月3日、川崎を出港してイランのカーグ島に向かったが、開局当時のログによると、3月3日に東京湾内にて、3.5MHzAMでJA1VMD-JA1HAU間の交信を受信したのが初受信と記録されている。その後、室戸岬沖、種子島沖、沖縄沖、台湾沖と南下しながら毎日少しずつワッチを続け、アマチュア無線の交信を覚えていった。モードは当初はAMを聞いていたが、その後はCWがメインになっていき、14MHzと21MHzを中心にワッチした。日本から離れて行くに従って、ログに記載される受信局は外国局ばかりとなっていった。その後、10月に初交信を行うまで、郡山さんは受信に明け暮れた。

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JA6FOFのログ1ページ目。(クリックで拡大)

[初交信]

船の無線室では業務用のレシーバーを使ってアマチュアバンドの受信はできるが、JA6FOFの送信機であるQRP-TWENTYは長崎の自宅にあるため、船の上からアマチュア無線の電波が出せない。そのため、郡山さんは、帰国した折に、秋葉原でトリオ(現ケンウッド)の送信機キット・TX-88Dを購入し、それを組み立てて船に積み込み、変更申請も行って送信する準備を整えた。

1966年10月2日 横浜から出航してペルシャ湾のカフジに向かう途中、南シナ海航行中に21MHzCWでJA1NUHと初交信を行った。アマチュア無線の初交信が海上移動からという例も珍しい。翌10月3日には同じく21MHzCWで韓国のHM9BZと交信し日本以外の局との交信を達成、10月4日には米国のWB6APXと14MHzCWで交信を行っている。

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初交信を記録したJA6FOFのログ20ページ目。(クリックで拡大)

10月4日からはAMモードによる運用も始め、JA6DAGと21MHzで行ったQSOが初めての電話によるQSOとなった。船で使ったアンテナは、業務通信に使用する逆L型のロングワイヤーかT型アンテナで、同調型のアンテナではなかったが、4〜22MHzはどこでもマッチングを取れるようになっていたため、14MHzや21MHzで使用する分には問題がなかった。

[簡単なアンテナ]

業務通信では、船舶局は海岸局と通信するのが主であるが、海岸局のアンテナに助けてもらうため、船舶局のアンテナは無指向性のものでよい。これは郡山さんのアマチュア無線の運用も同じ考えで、交信相手が高性能なアンテナを使っていれば、自局は小型のアンテナでよいと考え、現在でもワイヤーアンテナやグランドプレーンアンテナでアマチュア無線を楽しんでいる。

一方、洋子夫人の免許が6月に到着し、長崎の自宅にはツエップアンテナを設置し、割り箸で作ったはしごフィーダーで給電した。しかしながら、郡山さんはほとんど自宅にはいないため、常置場所で運用することはほとんど無かった。一方の洋子夫人は、自宅に送信機、受信機はあったが、それらの使い方や、アマチュア無線の交信の仕方を誰も教えてくれないため、開局当初はほとんど使うことがなったという。

郡山さんは、TX-88Dに続けて、同じくトリオのTR-1000を購入し、横浜にあった造船所の寮などから50MHzAMも運用したという。50MHzは、通常、あまり遠方には飛ばないため、船の上からはあまり運用しなかった。

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SR-550、TR-1000、TX-88D。