[行動範囲を広げる]

本格的にHFの移動運用を始めると、どんどん呼ばれておもしろいので頻繁に移動するようになり、長崎市周辺の市町村はほとんどサービスした。長崎市周辺の市町村を回り終えると行動範囲を広げ、県内の遠方地や島、さらには隣の佐賀県からも運用するようになった。島から運用する際はフェリーに乗って車で渡った。

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2006年10月、離島の小値賀島(北松浦郡小値賀町)にて運用。

その当時は、1999年から始まった「平成の大合併」の真っ最中で、消滅する市町村、誕生する市町が多くあり、入れ替わりが激しかった。そのため、それら消滅または誕生の対象となる市町村からの運用に対して、JCC/JCG/町村ハンターのニーズが極めて高かった。郡山さんは、「リタイアして時間もあるし、各局にサービスしてあげよう」、と思い、新市誕生と聞けば、遠征して運用した。

[小城市]

郡山さんが始めて移動運用を行った新市は、2005年3月1日に誕生した佐賀県小城市になる。その日、郡山さんは朝4時に張り切って自宅を出発した。しかし、運用予定地であった標高800m位ある天山の駐車場に到着するとすでに別の局が運用していた。たまたまその局は知り合いだったため声をかけてみると、「昨晩から運用していますのでもう帰ります。どうぞここでやってください」と快く場所を譲ってくれた。

郡山さんは7MHzのダイポールを設置してその駐車場で運用を始めた。後で分かったことだが、その局は、天山から下山後、小城市の海岸縁で引き続き運用していたことから、「おそらくもっと運用したかったのでしょうね。気の毒なことをしました」と話す。運用はまず洋子夫人がSSBで始めたが、新市移動なので全国からコールを受け快調に運用していると、1時間もしないうちに別の局がその駐車場にやって来た。さらに「自分は電信をやるから電話なら問題ない」、と勝手に決めつけ、7MHzのアンテナを張って電信の運用を始めた。

モードが異なっても至近距離で同じバンドを運用すればやはり被る。仕方がないので、郡山さんはアンテナをたたみ、少しロケーションは悪い別の駐車場に退散して運用を続けた。この日は結局、2人合わせて300局くらい交信して15時頃に撤収した。高所移動ではあったが、この頃になると144MHzはもうほとんど運用していなかった。

[西海市]

新市移動第2段は2005年4月1日に誕生した長崎県西海市だった。西海市は、郡山さんがそれまでに何度も運用した西彼杵郡西彼町、西海町、大島町、崎戸町、大瀬戸町が合併して誕生した新市で、このときも郡山さんは誕生の日の朝から夫婦で出かけた。西海市は自宅からも近く、特にセカンドシャックからは10km程度の至近距離のため、自分は後日の単独移動を計画し、初日の運用は洋子夫人に任せた。

その日は少し離れたところから別の移動局が同じ7MHzに出ていた。直線距離は1kmくらいあったが、湾を挟んだ見通し距離だったため少し妨害を受けた。それでも至近距離で出られた小城市の時と比べると被害は少なく、撤収までに洋子夫人は200局程度交信した。

[単独移動]

翌4月2日、郡山さんは予定どおり単独で移動した。アンテナは自作の10MHz用ホイップアンテナを使用し、その後コイルのタップ位置を切り替えて、14MHz、18MHz、21MHzも運用した。バッテリーをセーブするため、出力は10W前後で運用したが、電信のため充分にサービスが行えたという。「50W出すと1時間くらいしかバッテリーが持ちませんから」と話す。

郡山さんは、QSLカードは今でも全部手書きで対応しているが、移動運用では通常のQSOデータに加え、自局の移動先も記入しないといけないので、「新市移動ですと大量のカードの発行が必要になりますし、記入するデータが増えるので特に大変です」と話す。

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移動運用専用のQSLカード。移動地は手書きで記入する。

[雲仙市]

2005年10月11日には長崎県雲仙市が誕生した。ここも長崎市の自宅からは比較的近距離にあるため、あらかじめ下見をしておき、他の移動運用局が行きそうもない所に目星を付けておいた。他局とあまり接近すると、小城市や西海市の時のように妨害を受けるからだ。前日10月10日は例年のように全市全郡コンテストに参加しながら、11日は朝早く暗いうちから出かけていった。

行き先は、目星を付けておいたシーズンオフの海水浴場であった。しかし、その海水浴場に到着すると、風が強くて7MHzのダイポールが展開できなかった。そのため、そこでの運用を断念し、防風林の風下にあたる場所まで移動してダイポールを設置して運用したという。

翌々日の10月13日に2回目の移動運用を行い、さらに22日には3回目の移動運用を行った。22日は日曜日で呼んでくる局も多かったため、郡山さんは、車外にテーブルを置いて、洋子夫人とは別のバンドで5Wで運用した。コンディションや天候に応じて、このように車の中、車の外に2つシャックを作って運用することもときどきある。

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雲仙市での車外シャックの様子。電源にはポータブルバッテリーを使用。