[新市サービスを継続]

郡山さんの新市移動はまだまだ続いた。2006年1月1日には佐賀県嬉野市が誕生したが、さすがに元旦当日は忙しく数日後に移動運用を行った。この時も早朝に自宅を出発し、長崎から嬉野市は高速道路(長崎道)1本で行けるため、1時間程度で到着した。冬場のため、7MHz中心の運用を行った。

photo

嬉野市で新市サービス中。

同年3月31日には島原半島の南部に南島原市が誕生した。誕生当日は全国から移動局がやってくるため、郡山さんは雲仙市の時のようにあらかじめ下見を行っておき、他局がやって来そうもない場所、かつトイレのある海岸で運用することに決めた。31日は早朝に自宅を出発し夕方まで運用したが、至近距離で他局に運用されることはなく、快適に運用が行えた。

移動先でのログの記載は、郡山さんは紙のログブックに直接記入しているが、洋子夫人は交信しながらログブックには直接記入せず、まずはコピー用紙などに仮記入して、帰宅後にコールブックを確認しながら紙のログブックに清書を行っている。その後のQSLカードの発行も、手書き発行をモットーとしているため、一度移動運用に出かけると、帰宅後の処理は、郡山さん以上に時間がかかっている。

[南九州市]

鹿児島県南九州市は2007年12月1日に誕生した。郡山さんは、あらかじめロケーションの良さそうなコテージに3泊の予約を入れておき、前日から出発してコテージに宿泊し、揖宿郡頴娃町のさよなら運用から行った。この時は薮の中まで入って行って7MHzのダイポールを設置。さらに、そのダイポールの両端に3.5MHz用延長ワイヤーを取り付け夜間運用に備えた。11月30日の24時までは頴娃町をサービスし、0時になると南さつま市の新市サービスに切り替えた。

photo

コテージを借りた南九州市の移動運用。

朝からは7MHzの運用を開始したが、コテージからの運用は洋子夫人に任せ、郡山さんは車に乗って1km位離れたところに移動し、車内から電信のサービスを行った。1kmくらい離れれば、同じバンドの電話と電信に出ても問題はなかった。日中に2局同時運用も行った結果、QSO数は2局合わせて1000を超えた。4日間の運用を終え、自宅に帰ったところ、すでに数通のSASEが届いていたという。熱心なJCCハンターは、新市のQSLカードを一刻も早く手に入れたいためダイレクトでQSLカードを送ってくることがよくあるという。

[伊佐市]

2008年11月1日には鹿児島県伊佐市が誕生した。郡山さんはその年の9月頃、出水市のサービスを行ったついでに、現地の下見を行ってきた。伊佐市になる予定の伊佐郡菱刈町の町役場に出向いて話を聞いたところ、町営コテージを紹介してくれた。しかも、職員が親切にその場所まで連れて行ってくれた。郡山さんは現地を確認し、アンテナを展開するのに一番条件の良いコテージを予約した。

前日の31日から出発しコテージに到着すると、まずはその日限りで消滅となる菱刈町からさよなら運用を行った。その際、同日に消滅して伊佐市になる予定の大口市をサービスして欲しいとリクエストされ、わざわざ車で大口市まで出向いて、その局のために運用を行ったという。コテージでは洋子夫人が菱刈町のサービスを行っていたが、エアコンを稼働するとノイズが出て受信障害となったため、エアコンが実質的には使用できなかった。11月と言えば、鹿児島でも暖房が必要な時期だったが、管理人が電気ストーブを貸してくれた。

伊佐市移動では、そのコテージに4泊したが、人里離れた場所にあって、レストランはもちろん、スーパーすら近所になかった。そのため、カップヌードルなど特別な調理を必要としない食材を宿泊日数分持ち込み、新市サービスを続けた結果、さよなら運用分と併せて、郡山さんが約600局、洋子夫人は1000局以上という大量のQSO数を記録した。

photo

伊佐市では600局できたため、専用のQSLカードを制作した。

[糸島市]

福岡県糸島市は2010年1月1日に誕生した。嬉野市の時と同様に元旦は忙しく、そのため誕生した日の運用はあきらめ、1月10日の日曜日に行ってきた。大変寒い日だったという。この時も、あらかじめ糸島郡二丈町の時に下見をしておき、運用場所の目星を付けておいた。その際、たまたま現地のお巡りさんと顔なじみになり、糸島市の新市運用する際には、先に駐在所に立ち寄って、運用することを伝えた。

さらに翌週の17日にも2回目の移動運用を行い、再度全国からパイルアップを受けた。「日が違えばコンディションも変わるため、バンドによって違った地域が開けます。そのため前週にできなかった局から呼んでもらえました」と郡山さんは説明する。

[姶良市]

2010年3月23日には鹿児島県姶良市が誕生した。誕生の日はたまたま都合が悪かったため、誕生後の初めての週末となる3月26〜28日に遠征した。姶良市ではビジネスホテルに泊まったため、運用は日中に限られたが、地元在住の友人局にアマチュア無線の運用に適した埋め立て地を教えてもらった。

photo

姶良市のサービス中。後方に桜島が見える。

26日は午後から運用して夕刻に一旦撤収、27日は朝から再度アンテナを展開して終日運用した。途中宮崎県在住の局がその埋め立て地に姶良市サービスにやってきたが、郡山さん等が運用していたため、アイボールQSO後に、他の場所に移動して行ったという。最終日の28日はあいにく朝から雨天だったため、姶良市からの運用は取りやめ、自宅への帰路、阿久根市の道の駅、長島町の道の駅、水俣市の道の駅で運用して帰ってきた。