[オスカー6号]

スプートニク1号が打ち上げられた4年後の1961年、米国からアマチュア無線用の人工衛星が打ち上げられた。この衛星は、ビーコン送信機と一次電池を搭載したもので、電池が消耗するまでの約2週間、地球の周回軌道からビーコンを送信し続けた。この衛星は、OSCAR(Orbiting Satellite Carrying Amateur Radio)1号と名付けられ、その後打ち上げられたアマチュア衛星は一部の例外を除き、オスカー○○号と名付けられている。

松ヶ谷さんは、QST誌などを通してオスカーが数年おきに順次打ち上げられていたことを知っていたが、当時はSSBの自作に熱中していた時代であり、あまり興味が沸かなかったと言う。オスカー1号が打ち上げられた11年後の1972年、オスカー6号が打ち上げられるニュースが入ってきた。この衛星には太陽電池が搭載されて自家発電しながら電力をまかない、さらにAモードのトランスポンダー(中継器)も搭載されることが分かった。

Aモードというのは、地球上のアマチュア局は衛星に向けて144MHzの電波を発射し、その電波を受信した衛星はトランスポンダーにより144MHzを29MHzに自動で変換した後に、地球に向けて再送信するというもの。アマチュア無線局側では、144MHzで送信し、29MHzを受信するというクロスバンド運用になる。この144MHzアップリンク/29MHzダウンリンクのことをAモードという。

[144MHz用CW送信機]

松ヶ谷さんは、オスカー6号打ち上げの話を聞き、またまた実験の虫がうずいてきた。しかし、当時所持していた144MHz用のまともな送信機はAMしか対応していなかった。CWが発射できるものは、一応、双三極管6J6をファイナルにして作ったものがあるにはあったが。入力が5W前後、出力はせいぜい1Wぐらいのため、これではとても衛星まで電波が届かない。松ヶ谷さんは、すぐさま144MHz用CW送信機の製作に取りかかり、クリスタル発振、ファイナルには5933という真空管を使い、入力50W程度の送信機を、たった1週間で作った。これは、出力が20-30W出たので、衛星通信の目処が立ったと言う。

1972年10月16日、オスカー6号は無事に打ち上げられ軌道に乗った。松ヶ谷さんは、まずはビーコンを聞いてみた。ビーコンの受信に成功したので、次は、144MHzのCWで衛星に向けて電波を発射してみた。すると自分の発射した電波が衛星で中継されたものが29MHzで受信できた。それはかつてスプートニク1号を受信したときのようにドップラーシフトを伴って周波数がズレていった。この日から松ヶ谷さんは衛星通信の虜になったことは言うまでもない。

photo

オスカー6号で衛星通信を行う松ヶ谷さんを紹介した1973年8月28日付けの中日新聞(夕刊)

[軌道計算]

今でこそ人工衛星の軌道計算はパソコンで簡単に行え、ソフトによってはアンテナの自動追尾まで対応しているが、1972年当時はこの軌道計算がなにしろ大変であった。衛星通信を行うには、その軌道を把握してないと、目的の衛星がいつどの方角から見え、どのようなコースを通り、どの方角に沈むかが分からない。これが正確に分からないと、いつ運用したらよいかが分からないからだ。

たまたまローカルに、高校の物理の先生をしていた別所武(JA2INK)さんがいた。松ヶ谷さんは別所さんに軌道計算の方法を教えてもらった。しかし軌道計算の方法を教えてもらったまではよいが、電卓で計算すると結構時間がかかることが分かった。松ヶ谷さんは、手元にあるマイコンを使えないかと考えた。ただし純正のTK-80だけでは役不足なので、まずメモリー(RAM)増やした。次にインターフェースを作ってキーボードやディスプレイを取り付けた。特にディスプレイに文字を映し出すのには苦労し、ドライバーのプログラムまで機械語で組んだ。「これで、比較的楽に軌道計算ができるようになった」と言う。

送信用の144MHzのアンテナには、5/8ラムダのGP(グラウンドプレーン)を使用した。また受信用の29MHzのアンテナはクロスダイポールを使用した。この組み合わせによりアンテナを回転する必要が無かったためQSOに専念できたと言う。オスカー6号ではKL7(アラスカ)や、W7(米国北東部)などもギリギリのウインドウでQSOできた。松ヶ谷さんはますます衛星通信にのめり込んでいった。

photo

1974年当時の松ヶ谷さんとシャック

「2段中継」

衛星関連の情報源は、米田治雄(JA1ANG)さんが、海外からの情報をニュースレターにして流してくれたので、これを参考にした。オスカーはその後、1974年に7号、1978年に8号と順調に打ち上げられていった。松ヶ谷さんは、新しい衛星にももちろん挑戦した。ある日、前川公男(JA9BOH)さんと衛星の2段中継にチャレンジして成功した。これはオスカー6号と7号を使ったもので、2つの衛星が近くを飛んでいる時という数少ないチャンスを狙ったものだった。「両衛星の軌道から接近する日時を入念に計算してチャレンジしたため1発で成功した」と言う。

具体的には、松ヶ谷さんが発射した430MHzの電波をオスカー7号が受信し、オスカー7号はBモード(430MHzアップリンク/144MHzダウンリンク)トランスポンダーで144MHzで再送信。その144MHzの電波を今度はオスカー6号が受信し、オスカー6号はAモードトランスポンダーで29MHzで再送信。それを前川さんが29MHzで受けるというもの。逆の場合も同様に前川さんが発射した430MHzの電波を衛星の2段中継で、松ヶ谷さんが29MHzで受信した。

1974年、米田治雄(JA1ANG)さんの呼びかけで、主にオスカー6号を使って通信していた局が集まり、衛星通信愛好家の全国組織としてJAMSAT(日本アマチュア衛星通信協会)が設立された。松ヶ谷さんは創立時からメンバーとして加わった。もちろん前川さんもメンバーであった。

photo

JAMSATミーティングの様子

[テレメトリの受信]

オスカー7号は5単位のボドーコードでテレメトリ※を送ってきた。これは通常のRTTYと同じ型式のため、松ヶ谷さんは、手元のRTTY装置でこれの受信に成功し、プリンターからはテレメトリを示す4桁の数字の羅列が出てきた。一方、オスカー8号には、Jモード(144MHzアップリンク/430MHzダウンリンク)トランスポンダーを搭載しており、松ヶ谷さんは430MHzを受信した。「430MHzのSSBで海外局が聞こえるとは、新しい時代がきたなあ」、と感じた。

※人工衛星の内部温度、通信機器の出力や動作状態、太陽電池の発電容量、バッテリーの電圧や充放電電流などのデータのこと。

430MHzは半導体でコンバーターを作って対応したが、「AOS時にCWでループテストをすると、ちょっとだけ遅れて返ってくる。それがなにしろ楽しかった」と言う。