[和文電信]

松ヶ谷さんは、昨年2006年6月に開局以来50年が経過し、開局と同時に入会したJARLの会員歴も50年が経過したため、今年2007年5月の第49回JARL通常総会で永年会員表彰(50年)受けた。この50年間、アクティビティの上下はあったものの、電波を出さなかった年は一度も無かったと言う。50年間の運用での失敗談もいくつかあるが、その中からここで2例を紹介する。

本連載第4回でも紹介したように、松ヶ谷さんは1958年1アマ取得にチャレンジしたが、1アマの国家試験を受験するにあたり最大のネックは電気通信術和文の受信であった。それでも松ヶ谷さんは受験対策用レコードや、短波で新聞電報の通信を聞き、試験に合格する目的のみで和文電信をマスターし、その結果国家試験も無事にパスした。しかし1アマ取得後は、ほとんど和文電信を使うことが無かったため、そのうちに符号も忘れてしまったと言う。海外局との交信が多かった松ヶ谷さんには、実運用上で和文電信は必要が無かった訳である。

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1アマ国試の受験票

[8J1RL]

1960年代後半のある日、いつものように、ローカルの144MHzネットを聞いていたところ、南極昭和基地のアマチュア無線局8J1RLが電信で入感しているという情報を得た。昭和基地との交信は松ヶ谷さんがかつて1アマを受験する直接の動機であった。また8J1RLは、アマチュア無線の資格を持っている観測隊員が、少ない休み時間や休日などを利用して運用しているため、アクティビティは決して高くなく、どちらかというと珍局であり、松ヶ谷さんは是が非でもこのチャンスをものにしたかった。

すぐに周波数を合わせコールしたところ、運良く応答があった。相手は珍局なので、通常であればレポート交換だけで終わるところ、8J1RLはシグナルレポートに続けて、いきなり和文電信でパラパラパラと打ち返してきた。1アマを取得してから10年近くの間、和文電信を1度も使っていない松ヶ谷さんは、その内容を受信できるハズもなく「冷や汗をかいた」と言う。

結局、8J1RLが和文電信で送ってきた内容は、同時にワッチしていたローカル局から144MHzのネット経由で教えてもらい、なんとかQSOを完了することができた。「8J1RLのオペレーターが、相手は電信を運用しているJAの2文字局なので、和文電信は問題ないと思いこんでいたに違いない」と、笑いながら話す。

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その時交信した8J1RLのQSLカード

[KR8]

沖縄が日本に返還されたのは1972年であり、それを契機に沖縄に住む日本人アマチュア無線局のコールサインはJR6に変わったが、それ以前は琉球政府から免許を受け、KR8のコールサインでオンエアしていた。このコールサイン変更の経緯は週刊ビーコンの高良剋夫(JR6AG)さんの連載で詳しく触れられているので参照願いたい。

ある日、松ヶ谷さんは14MHzでKR8の局と交信した。KR8は日本人局であることをよく知らなかった松ヶ谷さんは、コールサインの頭がKで始まることから、米国の局であると思いこみ、交信相手に「日本語がとてもお上手ですね」と伝えたところ、相手局から「私は純然なる日本人だ」と、ひどく叱られたことがあった。

その時点で交信は途絶え、謝ろうと思って相手局に呼びかけても2度と返事が返って来ることはなかった。もちろん、QSLカードも送ってみたが、相手局からはついにカードは届かなかった。その後も、何度か、その局が出ているのを見つけ、謝ろうと思ってコールしてみたものの、一度も返事は返ってこなかったと言う。その後、松ヶ谷さんは、風の便りでその局が亡くなったことを聞いた。

それから約20年が経過した1991年、沖縄でJARL総会開催された。翌1992年に開催予定の三重県でのJARL総会副実行委員長が決まっていた松ヶ谷さんは、状況視察のため沖縄に飛びJARL総会に参加した。その際、地元のハムに前述の局の話をしたところ、「なにしろ頑固な方だった」という話を聞き、2度と応答してもらえかなったことを納得したと言う。

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1991年那覇市で開催された第33回JARL通常総会のスナップ

[日米TV中継]

1963年11月23日(勤労感謝の日)、日米間で人工衛星を使った初めてのテレビ中継が行われたのは有名な話であるが、この放送は朝の5時から始まる予定であったため、松ヶ谷さんは、世紀の一瞬を見逃すまいと、白黒TVの前には三脚を立て、前日から画面撮影の準備していた。そして、放送当日は、朝の4時ころには目をさましたが、放送(特別番組)が始まるまで時間があったので、14MHzのCWバンドをワッチしていた。するとその日は米国局同士の交信がやけに多かった。

現地米国は金曜日の午後で普通の平日であるのに、こんな時間にこんなに多くの電波が飛び交っているとは、なにか様子が違うと感じ、松ヶ谷さんは、CWで米国局をコールしてみた。応答があったので、「何かあったのか」と問いかけてみたところ、「Kennedy was slain」と打ってきたことを今でもハッキリと覚えている。この時、松ヶ谷さんはslainという単語の意味が分からなかったため、適当に返事をした。Slainが「暗殺された」という意味であることが分かったのはずっと後のことであった。

さて、日米TV中継の特別番組は、予定どおり朝5時から始まった。衛星中継に先立ち、まずは国内の番組がスタートしたが、一番に流れてきたのはケネディ大統領暗殺の臨時ニュースであった。松ヶ谷さんは「これは衛星中継どころではないな」と感じた。それでも、5時27分過ぎから衛星中継が始まった。「さすがにアメリカだ」と思ったと言う。まずNASAロゴマークとテストパターンが写り、次に米国側の送信所がある米カリフォルニア州モハービー砂漠の風景が映し出された。その後は、米国からの臨時ニュースでケネディ大統領が暗殺されたことを伝えてきた。

この時、衛星中継に使われたのは、リレー1号という名の人工衛星で、地球を約3時間で1周する低軌道衛星であった。そのため日米の送受信局双方から同時に衛星が視界に入るのは最大でも20分程度の短時間であった。そのためこの日は2回中継が行われ、1回目が0527-0548、2回目が0858-0915(何れも日本時間)であった。

なお、日本側の受信所は、茨城県にあるKDD茨城宇宙通信実験所(現KDDI茨城衛星通信センター)であった。同センターは今年(2007年)3月に閉所され、40年以上の長きに渡って日本の国際通信に果たしてきた大きな役割を終えた。閉所される直前、アマチュア無線家の有志によって、同センターが所有する直径32mの巨大カセグレンアンテナを使った月面反射通信実験(コールサイン8N1EME)が行われたことは記憶に新しい。もちろん、松ヶ谷さんも、月面反射によって430MHz帯で8N1EMEとの交信に成功した。

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2007年2〜3月、KDDI茨城衛星通信センターのカセグレンアンテナを使ってアマチュア無線による月面反射通信実験が行われた。(写真はJARLホームページより)

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