[電話級アマチュア無線技士を受験]

余談ではあるが、三重県支部長になる前、評議員時代の1975年、松ヶ谷さんは電話級(現:四級)アマチュア無線技士の国家試験を受験した。第一級アマチュア無線技士の資格を持つ松ヶ谷さんにとっては、もちろん取得する必要のない資格だが、理由があって受験した。その理由とは、長男が国家試験を受験する際の付き添いの暇つぶしだったと言う。

この年の4月、松ヶ谷さんの長男・和沖さんが、電話級アマチュア無線技士を受験したが、まだ和沖さんは小学生であったため、松ヶ谷さんが名古屋にある試験場まで付き添いで行くことになった。ついて行くのはよいが、会場ではやることがないので、それなら一緒に受けてやろうと決め、長男の願書の提出に併せて自分の分も提出した。

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幼少の頃の和沖さん

松ヶ谷さんにとって、電話級の試験問題を解くことなど何ら障害はなく、簡単に回答できたという。6月頃に試験結果通知が送られてきた。心配だった和沖さんの合格通知も無事に届き、親子そろっての合格を祝った。松ヶ谷さんはすぐに長男の為の10W局の開局申請書を用意し、免許申請を行った。まもなくして和沖さんにJE2CHGのコールサインが指定された免許状が届いた。

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電話級の無線従事者免許証

さらに、数年後、松ヶ谷さんは奥様にも受験をすすめ、奥様もJG2DXPで開局した。これで松ヶ谷家では、まだ幼かった長女を除く親子3人がハムになった。

[ビーコン]

1977年、JARLは三重県伊勢市の朝熊山に50MHz帯のビーコンを設置した。ビーコンを設置した局舎はもともと朝日新聞の無線中継所として使用されていたが、時代の流れでこの無線局を引き揚げることになった。もちろん中継所として使用されていただけにロケーションは最高であり、当時の東海地方本部長であった森一雄(JA2ZP)さんが交渉して、建物を譲渡してもらうことになった。ただし、土地は金剛證寺という地元の寺院の所有物であったため、以後はJARLが賃借料を負担することになった。

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朝熊山にあるIA2IGYの局舎

局舎を譲渡してはもらったものの、はじめの1、2年はハッキリとした使用目的がなく、自動温度記録計を置いて、将来の活用ために温度条件の観測を行った。1977年の松ヶ谷さんが支部長の時に、ここに50MHz帯のビーコンを上げようという話になった。日本の50MHz帯のビーコンは、国際地球観測年(IGY)であった1957年、当時日赤本社内にあったJARL無線室から、JA1IGYのコールで運用が開始されたが、この無線室の移設に伴い、一時的に電波が途絶えていた。

朝熊山ビーコン局のコールサインは、JA2IGYと決まった。ビーコンを設置するにあたり、まず送信機を用意したが、法律上の無線局なら受信機もいる、送信機だけではおかしいということになり、あわてて受信機も用意したと言う。アンテナについては、無指向性という条件があり、グランドプレーンアンテナを用意した。

ビーコン(ID発生)装置はダイオードマトリックスで松ヶ谷さんが組んだが、よく故障して停波した。故障する度に現場に向かう必要があったが、津市から朝熊山までは相当な距離があるため、地元伊勢市の林洋一(JA2JVT)さんにもJARL三重の役員になってもらい、度々現地への出動をお願いしたと言う。局舎に行くにはなんとか車であがれる道が付いていたため、現地で修理ができなかった場合には、車に積んで山を下りてきた。

[朝熊山レピータ]

1982年、日本でも法制度が整い、アマチュア無線用のレピータが許可されるようになった。すぐに三重県でもレピータを上げようじゃないか、という話になった。レピータ局を開設するには管理団体を組織する必要があった。松ヶ谷さんは、三重県支部長を1期2年で辞した後、再び評議員になっていたが、三重県で初めての広域レピータ設置に力を貸してくれないかと頼まれ、この管理団体の代表者を引き受けた。

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朝熊山に設置されたJR2WV。左の装置がレピータで、右の装置はJA2IGYのビーコン発生装置

レピータを設置する場所は、朝熊山のビーコン局舎に決まった。そんな高いところに設置すると飛びすぎるのではないか、という意見もあったが、松ヶ谷さんの考えは、高いからこそ広範囲をカバーできる。だからいいんじゃないかというものであった。実際、松ヶ谷さんは、JARL本部に対し、富士山頂にもレピータを設置することを提案した。しかし、管理の問題があって富士山頂への設置は断念せざるを得なかったと言う。

朝熊山のレピータのコールサインはJR2WVと決まり、1983年10月より稼働を始めた。管理団体の代表者は松ヶ谷さんであったが、緊急時の連絡者は、ビーコンの管理もお願いしている地元の林さんに依頼した。JR2WVはロケーションの良さから、東海地区の広い範囲をカバーでき、利用者も多かった。当初は430MHz帯だけだったが、その後1200MHz帯のレピータも増設し2波体制となった。

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JR2WV管理団体のメンバー。前列中央が松ヶ谷さん

1985年、全国的にレピータの数が増加してくると、各レピータを広域レピータ(計画レピータ)と地域レピータに分ける制度ができた。そのため、JR2WVは地域レピータにして津市内に移設し、代わりに名古屋市に設置されていたJARL直轄局のJR2WAが広域レピータとして朝熊山に移設された。このJR2WAは今でも人気の広域レピータとして順調に稼働している。一方、津市に移設されたJR2WVは、松ヶ谷さんが緊急時の連絡者になっており、日々動作を見守っている。