[観察を再開]

松ヶ谷さんが再び望遠鏡に興味を持ったのは、1986年のハレー彗星回帰がきっかけであった。この年はふじ1号(JAS-1)が打ち上げられた年でもあり、松ヶ谷さんは衛星通信に熱中していた。それでも同時にカメラにも興味を持っており、「カメラの望遠レンズで、うまく月を撮影できないかなあ」と常々考えていた。

ある日、いつものように天文雑誌を読んでいた松ヶ谷さんは、三重県の西崎さんという天文マニアが、自ら撮影した天体写真を雑誌に投稿しているのを見つけた。この西崎さんとは、昔からの無線の知り合いである西崎琢二(JA2JN)さんではないかと思い、無線のミーティングで本人に会った時に声をかけてみた。すると松ヶ谷さんの予想は的中し、天体写真を投稿していたのは、JA2JN西崎さんだった。

[76mm]

それをきっかけに、松ヶ谷さんは西崎さんから色々と教えてもらった。「本格的に天体観察をしたいのなら、赤道儀(台座)を1つ買った方がいい」とアドバイスされ、すぐに購入した。また、望遠鏡は口径76mmのフローライトのものを購入した。撮影するカメラは、当時まだデジカメは誕生していなかったため、手持ちの一眼レフのフイルムカメラを使った。そのカメラと望遠鏡のインターフェースを工夫して、まずは、試しに月の写真から撮り始めた。

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ベランダに設置した76mm望遠鏡

フイルムにはミニコピーという粒子の細かいものを使った。このミニコピーは複写用のフイルムのためコントラストは高かったが、中間色を出すのに現像液の工夫が必要だった。そのため、松ヶ谷さんは、無線のシャックを夜は暗室に流用し、フイルムの現像から引き延ばしまで全て自分で処理した。しかし、このミニコピーを使用することで、望遠鏡のレンズの性能を最高までに引き出せる非常に細かい写真が撮れた。「写真を引き延ばしても細部までくっきりと写った」と言う。

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76mm望遠鏡で撮影した太陽黒点

[150mm]

それ以降、松ヶ谷さんは天体の写真を撮りつづけきた。熱中していくに連れ、さらに口径の大きな望遠鏡が欲しくなり、口径150mmのレンズに相当する反射鏡を自分で磨いてみようと考えた。中学生の時、図書館で「反射望遠鏡の作り方」という本を読んだことがあり、その頃から、「いつかは挑戦したい」と考えていた。ちなみにその本は、後にその筋では世界的に有名になる木辺ミラーの木辺氏が書いた本だった。

反射鏡を磨くのは一種の職人芸と言えるもので、磨いて行く途中でミラーが歪んでいないかなどを慎重に測定しながら進める必要があり、完成するのに半年かかった。しかし、「完成後が楽しみで苦はなかった」と話す。反射鏡を磨き始めて半年後に150mmの反射望遠鏡は完成した。しかし、この1986年に回帰したハレー彗星は、前回の1910年の時と比べると観測条件が悪く、あまり明るくなかった。

ハレー彗星の淡い光を見るには、松ヶ谷さんの住む津市の市街地では、夜でも周りが明るすぎて、ほうき星の尾の部分まではとても見えないため、初めからあきらめていた。「10分以上露光したら写真が真っ白になってしまう」と言う。ハレー彗星の回帰が天体観察への復帰のきっかけとはなったが、松ヶ谷さんは月や火星、木星、土星などを観察して楽しんだ。

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150mm反射望遠鏡で撮影した土星

[200mm]

その後も松ヶ谷さんは天体観測を続けていたが、150mm反射望遠鏡を作った8年後の1994年、さらに大口径となる200mmの反射鏡を本格的に磨き始めた。このミラーも磨き終えるのに半年ほどかかったが、大口径だけあって、これまで以上に天体の詳細まで観察が可能になった。「完成直後には、運良くシューメーカー・レヴィ第9彗星(SL9)が木星に衝突した痕跡をハッキリとカメラで撮影することができた」と当時を振り返る。

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SL9の衝突痕が見える木星。200mm反射望遠鏡で撮影

天体の撮影に関して、150mmまでの時代は、より解像度の高いモノクロフイルムを使用していたが、200mmの反射望遠鏡が完成した後は、カラーフイルムも使い始めた。松ヶ谷さんは引き続き木星、土星などを撮影して楽しんだ。やがて時代は流れ、デジタルカメラが主流になっていく。本連載を掲載中の2007年8月28日、日本では6年振りに皆既月食を見ることができた。「今回はもちろんデジタルカメラで撮影したが、6年前2001年の皆既月食の時はアナログのフイルムカメラだった」と当時を思い出す。

さらに最近は、デジタルカメラではなく、デジタルビデオを使って天体を連続的に撮影し、その中から比較的きれいに写ったフレームを、たとえば10枚、あるいは20枚選び出し、選んだフレームを画像処理ソフトでアベレージング処理して、1枚の鮮明な画像に仕上げるという方法も行われていると言う。

[天体の追尾]

松ヶ谷さんは、「自分で作った望遠鏡でこんなのが見えた、といのうが天体観察の醍醐味。今でも天体に関するイベントがある毎に望遠鏡を覗いている」と言う。ところで、天体は地球の自転に伴い、時間の経過と共に動くので、長い時間観察するには、望遠鏡を天体の動きに合わせて動かしてやる必要がある。松ヶ谷さんは、西崎さんに勧められた赤道儀を使って、目的の天体を追尾している。この赤道儀とは、極軸を中心として望遠鏡を回転するようにした架台で、天体観察には非常にポピュラーなものである。

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赤道儀に載せた200mm反射望遠鏡とカメラ

現在ではコンピューターが発達し、経緯台式の架台を使った自動追尾の方が主流となっている。この方式だと高精度で追尾でき、プロ用だとその精度は今や秒単位以下に達していると言う。(1秒は、1度の1/3600) この方式は、アマチュア無線におけるローテーターのAZ(方位角)/EL(仰角)制御と同じで、衛星通信でのアマチュア衛星の追尾、月面反射通信での月の追尾などに応用されている。

[デジタルカメラ]

松ヶ谷さんがフイルムカメラからデジタルカメラに切り替えたきっかけは、デジタルカメラの性能が向上したためだ。デジタルカメラの性能は年々向上し、画素数も飛躍的にアップしている。「300万画素ぐらいでなんとか実用的なレベルに達した」と判断し、1999年、松ヶ谷さんはついにデジタルカメラを購入した。しかし、当時のデジタルカメラは、たとえ上位機種でも望遠鏡と接続して使用することを考慮した設計ではなかったため、露光やシャッタースピードはオートマチックが基本、さらにマニュアルでは設定できない商品がほとんどであったため、「機種の選定には苦労した」と言う。

現在松ヶ谷さんは、800万画素で一眼レフのデジタルカメラ(Canon製EOS 20D)を使っている。これは、マニュアルで焦点やシャッタースピード、露光が変えられるものだ。それでも、「今はさらに性能の良いものが出ている」と新機種を欲しがっている。フイルムカメラの時代は中古カメラでも程度が良ければ十分に使えたが、デジタルカメラについては、まだまだ進歩の過程にあるので、「古いのは性能が悪くて使い物にならない」、「50年前の真空管式のコリンズがいまだに現役で使えるというアマチュア無線機のようには行かない」と笑う。