[WACを完成]

サイクル21では、ほとんど50MHzを運用しなかったが、松ヶ谷さんはサイクル22で復活した。1991年にはVK4ZAZと20年振りに再会した。1stQSOからはすでに32年が経過していた。「オレのこと覚えているか」と訪ねたところ、「もちろん覚えている。オレはまだ元気だ。」と返ってきた。続いて「親友のVK4NG・ボブはSK(Silent Key)になった」との悲しい知らせもあった。

サイクル22になってアフリカとの交信に成功し、WACまでヨーロッパを残して王手となっていた松ヶ谷さんは、1991年3月15日の朝8時過ぎ、ロングパスによる伝搬で、ついにヨーロッパ局との交信を成功させた。相手はマルタ共和国の9H1PAであった。運用を始めた当時、ローカル局との通信でしか使えないと考えていた50MHzで、世界6大陸との交信が達成できるとは夢にも思わず、感慨深かったと言う。この日は特にコンディションが良く、松ヶ谷さんは、9H1PAの他にも数局のヨーロッパ局との交信に成功した。

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9H1PAのQSLカード

サイクル22では、多くのヨーロッパ諸国で、50MHz帯の免許が下りるようになり、アクティビティが上がっていたことも、交信のチャンスを広げたようだ。松ヶ谷さんは6大陸からのQSLカードが揃った後、スグにWACを申請した。当時の50MHz帯の出力は50Wで、アンテナには6エレ八木を使用していた。

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50MHz特記のWAC

[アンテナ]

ここで松ヶ谷さんのアンテナの変遷について触れておくと、サイクル19時代はTV受信用の300Ωの平行フィーダーで作ったフォールデッドダイポールアンテナだった。折からの高コンディションの下、そんな簡単なアンテナでもオーストラリアまで問題なく飛んでいったと言う。サイクル20時代は、HF用の3エレトライバンダーの上部に設置した3エレ八木を使用した。

サイクル21を休んだ後、サイクル22の最盛期となった1991年、本格的にWACを狙うべく、衛星通信用アンテナを下ろして、代わりに50MHzの6エレ八木を上げた。サイクル22では、かつてHFで共にDXを追いかけ、競っていたローカル局も次々に50MHzに上がっていった。それも刺激となって松ヶ谷さんのアクティビティもますます上がった。

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1991年に上げた50MHz6エレ八木

松ヶ谷さんが50MHzで念願のWACを完成後、SSN(太陽黒点数)が下降期に入ってDXの入感が減ったことと、それに加え無線の興味がEMEに移っていったこともあり、50MHzのアクティビティは下がり、正月のニューイヤーパーティに顔を出す程度となった。アンテナについては、サイクル23になってもそのまま6エレ八木を使い続けた。

ところが2005年、「何か調子がおかしい、SWRが高いなあ」と思い、アンテナをチェックしたところ、リフレクター(反射器)が風で飛ばされて半分無くなり、5.5エレになっていた。2005年にはすでにサイクル23も終盤に入っておりSSNは低調で、DXはほとんど入感しなくなっていた。松ヶ谷さんは、アンテナのトラブルがきっかけで、それ以降は50MHzに出なかった。

[8エレメント八木]

サンスポットサイクル23のボトム期となった2006年、春から夏のEスポシーズンに希に見る異常伝搬が続き、50MHzでは連日北米や欧州が入感し大騒ぎとなった。この伝搬についてはまだよく解明されていないが、Eスポの複合による伝搬ではないかと考えられている。

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2007年に上げた50MHz8エレ八木

連日50MHzで超DXが入感するとあっては、松ヶ谷さんはいてもたってもいられなくなった。しかし、さすがにタワーに登るのはすでに体力的に困難なため、急にアンテナを取り替えることはできないので、翌2007年の夏のシーズンに備えるべく、アンテナ交換の計画を練った。そして2007年春、5.5エレになった6エレ八木を下ろして、新調した8エレ八木を上げた。「交換にはローカル局に手伝ってもらった」と言う。

[次なるチャレンジ]

2007年夏が来た。しかし、残念ながらこの年は、前年のコンディションの再到来はなく、寂しいコンディションで終わった。そのため数局のQSOに留まった。今後は仰角の可変装置(仰角ローテーター)を追加し、微弱信号通信用のソフトウェア「WSJT」を使ったEMEも視野に入れたいと考え、「現在リニアアンプのパーツを集めている」と言う。すでに松ヶ谷さんはドイツ・フリードリッヒスハーフェンで毎年開催されるヨーロッパ最大のアマチュア無線のフェスティバル「Hamradio」に2007年6月に出かけ、「リニアアンプに使用する予定で各種高圧部品を買ってきた」と言う。

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JT65Bモードを選択したWSJTのスクリーンショット

海外でのハムフェスティバルと言えば、米国オハイオ州デイトンで毎年開催される世界最大のハムフェスティバルである「Hamvention」に、2005年、行った時のこと、広大なフリーマーケットの会場で、柄の大きな米国人ハムから「Oh! JA2TY」と大声で呼ばれ、握手を求められたことがあった。松ヶ谷さんは、自分のコールサインを大きく表示した帽子を被っていたために相手が気づいた様だが、突然の事態に何事かと思った。するとそのハムから、「お前は50MHzでQSOした初めてのJAだ」、との説明を受け、松ヶ谷さんは大変感激したと言う。帰国したらそのハムからダイレクトでQSLカードが届いていた。

[出会い]

松ヶ谷さんは、「アマチュア無線の楽しみは出会いだ。電波での出会いだけでなく、このように直接会えるというのもまたアマチュア無線の醍醐味だ」、「さらに、人と人との出会いの他に、無線技術との出会いもある。ジャンクを買ってきて中を空けると、配線の仕方やちょっとした部品の配置、処理に匠の技を見ることができる。これもまた出会いだ。」と熱く語る。

「EMEをやっていると天文学の知識もいる。衛星通信では宇宙工学的な技術が必要。これらも出会いのひとつだ。アマチュア無線の一番のキーワードは出会いだ」と続ける。