[宇宙通信]

1930年頃、アメリカのベル電話研究所で無線通信の妨害となる空電現象を研究していたカール・ヤンスキーという科学者がいた。彼は現在のFM放送帯、80MHzあたりの周波数でワッチを続け、空電と思われるノイズの状態を観測していた。すると毎日、ほぼ同じ時刻に大きくなるノイズがあることに気づいた。さらに、詳しく追跡調査すると、そのノイズのピークの時刻は、毎日少しずつズレていく、周期は24時間ではなく23時間56分、つまり星座の周期であり、しかも天の川がアンテナの正面に来たときに最大となることを確認した。

この事実から、彼はその雑音電波が、地球以外の宇宙空間から来ているのではないかと考えた。しかしその説は、当時の常識からあまりにも飛躍していたため、学会では注目されなかった。しかし、アマチュア無線家がその説を追跡観測したところ、確かにそれは宇宙から飛来していることを確認した。「なるほど、地球以外から電波が来ているのか。それなら、こちら地球から電波を出せば宇宙に飛んでいくんだ」と考えた。これが宇宙通信の起源のようだ。

しばらくして、観測機器の進歩もあって、その電波は天の川の中、白鳥座から来ていることが突き止められ、電波星「白鳥座A」と名付けられ、電波天文学の夜明けとなった。その後この分野の発展は著しく、現在では大規模な電波天文台が各地に建設され、長波からミリ波に至るあらゆる周波数に渡って観測が続けられ、新しい発見が相次いでいる。

[プロによるEME]

太平洋戦争前、米国では軍事目的でレーダーが発明された。戦後、米軍はレーダーの電波を月に反射させる実験を行った。その結果、1946年ついに反射波の受信に成功した。使用した周波数は111.5MHz、出力は3kW、アンテナには24dBのゲインがあったという記録がある。

その後、松ヶ谷さんがSWLの時代、自作の1-V-1を使ってVOAのスペシャルイングリッシュによるニュースを聞いていた頃、たまたまEMEに関するニュースを放送していたことがあった。その番組では、実際の月からのエコーを放送した。それはAMモードによるもので「GOOD MORNING」と地球から送信したところ、2.5秒後にノイズに埋もれながらも「GOOD MORNING」という月からのエコーが返ってきた。この時の出力(ERP)は100kWだった。これを聞いた松ヶ谷さんは、「言いしれぬ感動を憶えた」と言う。

それら軍によるEMEの実験を行ったスタッフにハムがいたこともあり、その後、アマチュアレベルでもEMEの実験を始める局が現れはじめ、パイオニア達のチャレンジが続いた。松ヶ谷さんは144MHzでエコーをキャッチしたという記事をQST誌で読んだ。しかし、それは月からの反射波をオシロスコープの画面で確認したものだった。この方法では確かにシグナルの確認はできたが、交信とは認められなかったと言う。

[アマチュアによるEME]

1960年、ついにアマチュア無線のEMEによる交信が成功した。成功させたのは、W1BUグループとW6HBグループだった。彼らは、ファラデー回転の影響を受ける144MHzを諦めて、1200MHzでトライして成功したものだった。このニュースもQST誌に掲載され、当時すでに開局していた松ヶ谷さんは、「いつかは自分もEMEにトライしてみたいという夢を持った」と言う。

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EMEの成功を報じたQST誌1960年9月号(松ヶ谷さん所有)

その頃、松ヶ谷さんは、時々近所の青山高原で移動運用を行っていたが、一緒に移動していたローカル局と、「ここでEMEができないか」という話をしたことがあった。「200m位の電線を月の出の方向にVビームアンテナ(100波長!)として張り、KWの発電機を持ち上げて」と話は盛り上がったが、結局は夢に終わったと言う。当時は、松ヶ谷さん達のグループの他にも、EMEを狙っていたグループも国内にあったようだ。

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青山高原への移動運用

1975年、カリフォルニア州にあるスタンフォード研究所のクラブ局・WA6LETが直径45mの巨大パラボラアンテナを使ってアマチュア無線によるEMEの実験運用を行った。国内の有志各局もこの局の受信にトライし、そのうち何局かは実際にWA6LETのエコーを捉えた。松ヶ谷さんは、このニュースをNHKのラジオ放送で聴いて、「ますますEMEに対する意欲を高めた」と言う。

日本で初めてEMEの交信に成功したのは、福岡県久留米市の隈本堯(JA6DR)さんであった。隈本さんは、1973年に144MHz帯500Wの免許を受け、トライを続けてきたが、2年目となった1975年8月、米国カリフォルニア州のW6PO局との交信を成功させた。このW6PO局は、奇しくも世界初のEMEを成功させたW6HBグループのメンバーの1人であった。

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1975年当時の松ヶ谷さんのシャック

[EME計画スタート]

松ヶ谷さんは開局以来、常に新しいものにチャレンジを続け、アマチュア無線のあらゆるジャンルを経験してきた。HF帯のDX、RTTY、SSTV、V/UHFのSSB、オスカー6号に始まる衛星通信、パケット通信やRBBS、さらにはレピータの開設まで経験した。それでもEMEだけは、とてつもないパワーと、巨大なアンテナというイメージが先行し、まだ手を出せないでいた。

しかし技術の進歩のおかげで、HEMTなどの高性能半導体による受信性能の向上、コンピュータによるアンテナの最適化設計、またインターネットの普及による関連資料やデータ入手等の環境が整い、「ハム生活最後のテーマとして、60才を迎える1996年までに実現しようと挑戦を決意した」と言う。

1995年となり、松ヶ谷さんはついに計画を始動した。まずは、日本におけるEMEのパイオニアの1人であり、かつJAMSATの仲間であった前川公男(JA9BOH)さんに相談し、JA9BOH局の設備を見せてもらいに、福井県まで出かけた。そこで実際のシャックやアンテナを見学し、色々な話を聞き、トライするバンドを430MHzと決めた。「144MHzだとアンテナが大きくなり過ぎる、また144MHzは誰でもやっている。一方、初めから1200MHzというのは不安がある」という理由で、430MHzを選んだと言う。430MHzならリニアアンプも真空管で作れるとの判断もあった。

EMEの設備をそろえるのに先がけ、アンテナをどこに建てるかを考えた。クランクアップタワーの上には、すでにHFや50MHzのアンテナが乗っており、そこにEME用のアンテナを追加するのはとても無理。また、EMEをやるには月さえ見えれば良いので、地上波による遠距離通信とは異なり、高いタワーの上にアンテナを設置する必要無い。そこで松ヶ谷さんは、EME専用に10mのコンクリート電柱を建てることにした。

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10mのコンクリート電柱に載せたEME用アンテナ(4x33FO)