[アンテナ]

松ヶ谷さんは、当初、「まずはアンテナを作って受信にトライしよう」という考えであったが、計画は一気に進み、リニアアンプの制作も同時に進行させた。アンテナは、K1FOタイプのデータを手に入れ、アルミニウムのパイプを購入して、ブーム長7.5mの33エレ八木を4本、完全に自作した。パイプへの穴開けにはボール盤を使ったと言う。この頃、アンテナのシミュレーションソフトが登場したので、さっそく手に入れ、ビームパターンを調整するために計算させてみた。計算は丸1晩かかったが、それでも「凄いなあ」と思った。この頃、松ヶ谷さんのパソコンは、もうWindowsマシンになっていた。

アンテナの製作中は、「自宅のガレージがアルミ工場になってしまった」と言う。「その頃は仕事も忙しかったが、アンテナ作りはとても楽しかった」と当時を振り返る。4本のアンテナに電力を分配する4分配器も自作した。これはRSGB(英国のアマチュア無線連盟)が公表しているデータを参考にした。この分配器の特性測定と調整には50オームのダミーロードが4つ必要であったが、手持ちが無かったので、松ヶ谷さんは「ローカルを回ってかき集めた」という。

[リニアアンプ]

430MHzの出力は500Wと決め、どんな真空管を使用するか、どんな回路で作ろうかと考えていた折、たまたまQST誌にK1FOのキットの記事が掲載されていた。キットであれば、見てくれも良いし動作も間違いはない。松ヶ谷さんは、当時、すでに430MHzのEMEでオンエアしていた多富敦志(JA5OVU)さんに仲介してもらって、そのリニアアンプを購入した。

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JA2TYのEME用設備。アイコムのIC-375DとK1FOのリニアアンプ

ただし、キットには送信管は付属されていなかったため、2本の3CX800A7を米国の電子パーツ販売店から別途購入したと言う。「当時は円高で1ドル80円台だった。そのため真空管と一緒にバード社のパワー計用のエレメントも各種購入した。あの時まとめて買っておいて良かった」と当時を振り返る。「一つのことをやると、その過程が楽しい。特にリニアアンプのキットやアンテナを組み立てている時が一番楽しかった」と言う。リニアアンプは完成までに1ヶ月ぐらいかかった。

[変更検査]

アンテナとリニアアンプが完成したため、松ヶ谷さんは変更申請を行った。当初、HF帯の1kWも同時に申請しようかと思ったが、一刻も早くEMEを運用したかったため、430MHz帯を500Wに増力する変更だけにしておいた。これは、目標にしていた60才の誕生日が迫っていたたことも理由であった。松ヶ谷さんの60才の誕生日は1996年5月1日であったが、残念ながら変更検査は5月11日になってしまったと言う。

検査当日は名古屋にある東海総合通信局から総務技官、総務事務官が来訪した。インターホンが鳴ったので玄関を開けたところ、「息子さんはおられますか」と言われびっくりした。松ヶ谷さんは「僕ですよ」と即座に答えたが、「こんなじいさんがEMEの変更検査を受けるとは予想されていなかった」ようだ。検査官は、「東海総通局の管内で、430MHzの500W検査はお宅が最初ですよ」と話したと言う。検査には問題なく合格した。

[ファーストQSO]

初めてのQSOは、開局に関して色々とアドバイスをもらった、JA5OVU局とのスケジュールQSOであった。このEMEでのファーストQSOに成功したときは、「キーを打つ手も震えるほどの感動を味わった」と言う。2局目も、お世話になったJR9NWC局とのスケジュールQSOであった。

その後、3局目にして初めてランダムQSOに成功した。相手はドイツのDL9KR局であった。ランダムQSOとは、事前に交信に関するスケジュールを持たず、自局からCQを出して応答を待つか、あるいは他局のCQを見つけて応答する、という偶発的なQSOのことを言う。そのため交信成立の時はスケジュールQSOより感動が大きい。

このDL9KR局は設備が特に大きく、いわゆる「ビッグガン」と言われている局で、松ヶ谷さんは、変更検査を受ける前に、すでにDL9KR局の電波は何度も受信に成功していた。「相手がビッグガンだけあってQSOは難しくなかった。DL9KR局のCQに応答すると、すぐにコールバックがあった。それでも初めてのランダムQSO、しかも初めての海外局とのQSOであり、すごく感動した」と言う。

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始めて交信した海外局DL9KRのQSLカード

それ以降、松ヶ谷さんは、コンテストを中心にEMEの運用を行った。しかしハード面のトラブルは多かったという。「同軸リレーは何度交換したか数え切れない」、さらに「プリアンプも良く故障したが、故障する度に改良を重ねていった」と言う。「米国で行われているプリアンプの性能を競うコンテストに、一度自作のプリアンプを出品してみたところ、結構良い成績で帰ってきた。おそらくNFは0.3台だったと思う」と話す。

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改良を重ねていった自作のプリアンプ

[自局のエコー]

松ヶ谷さんは、トラブルが発生する度に、持ち前の技術力で克服し、QSOを積み重ねていったが、当初、なかなか自局のエコーが受信できなかった。計算では聞こえるハズのものが聞こえない。しかしそれは、コンディションや偏波面の回転などが原因ということがだんだん分かってきた。そうこうするうちにコンディション、偏波ともにベストな時があり、ついに自局のエコーを捕らえることができた。「月に反射して2.5秒遅れて返ってくる自局の信号に感動した」と言う。

その後もEMEの運用は全てCWモードで行ったが、自分のエコーが特によく聞こえる時に、SSBでもエコーの受信にトライしてみたことがあった。その結果、「信号が返ってきていることまでは確認できたが、うまく復調できなかった」と言う。EMEを始めて約10年経過した現在、イニシャルQSO数は100局弱まで達した。1局を除いて全てCWモードでのQSOだが、除いた1局とはJT65モードでQSOした、BIG DISHプロジェクトの8N1EMEである。

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始めてJT65モードでの交信に成功した8N1EMEのQSLカード

[サンノイズ]

松ヶ谷さんは、EMEを運用するようになって、初めてサンノイズを受信できたときにも感動したという。これは地球以外から到来した電波を受信したという理由からだ。「今でもサンノイズはプリアンプを調整するのに使っている。サンノイズの信号強度には強弱があって、太陽活動と比例する」と言う。ある時サンノイズがすごく強力になったことがあった。松ヶ谷さんは「ひょっとして」と思い、望遠鏡を覗いてみたところ、太陽の表面に大きな黒点が見えた。

サンノイズの他には銀河ノイズも受信できた。「このノイズもプリアンプの調整に丁度良い信号だが、近年人工ノイズが多くなってきたので、このノイズを受信するのはなかなか難しくなっている」と言う。

[今後の目標]

今後の目標は、まずはJT65モードの本格運用である。JT65モードはCWモードより10dB以上弱い信号でも解読できるとされているデジタルモードで、現在、EME通信の主流モードとなっている。JT65モードの運用には、WSJTというデジタル通信用のソフトウェアを使用するが、このWSJTはノーベル物理学賞受賞者で同時にハムでもある米国のテイラー博士(K1JT)が、微弱電波での通信用に開発したソフトフェアである。

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WSJT(Ver.4)のスクリーンショット。2006年11月12日、OH2POがJA2TYをコールしているところ。残念ながらこの時はQSOできなかった

次の目標は50MHzでのEMEにチャレンジする事だ。連載第20回でも紹介したように、すでに50MHz用リニアアンプ作りのためのパーツを集めているところである。さらに、アンテナは今の8エレ八木を2スタックにしたいと考えている。松ヶ谷さんは、「年齢に限界を感じる。この頃、新しいものに挑戦する意欲が確かに減退していると感じる。70才を超えたら、現状を維持するために、多大な努力がいる年になってきたと感じる」と話すが、新しいものへのチェレンジ精神は、全く失っていない。