[放送大学]

松ヶ谷さんは、三重県教育委員会事務局に就職後、短大卒の資格を取得するため、働きながら三重短大に入学し卒業したことは、連載第3回でも紹介した。短大卒業後、40余年経った2001年4月、64才の松ヶ谷さんは、通信制の大学である放送大学に入学した。

60才で現役をリタイアした松ヶ谷さんは、両親の介護に専念していた。そのため遠出ができなかったが、息抜きとして、自宅から自転車で行ける三重県総合文化センター内の図書館に時々通っていた。その総合文化センターには放送大学の三重県における拠点である「三重学習センター」がある。そのため、松ヶ谷さんは、放送大学の存在は知っていたし、パンフレットなどにも目を通していた。

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放送大学のパンフレット。

[CATVを契約]

放送大学の授業を受講するには、UHF地上波(ただし首都圏に限られる)、衛星のCS、またはCATVで放送される番組を受信する必要があったが、松ヶ谷さんは、それらの何れも受信できなかったため、当初は入学意志がなかった。しかし、たまたまインターネット接続を、電話回線からCATVに切り替えた際、そのプロバイダーでは当時インターネット接続だけの契約はできず、CATVとセットで契約する必要があった。

松ヶ谷さんは、それまではTVのアンテナが台風などで倒れても、当然自分で屋根に登って修理していたが、アマチュア無線用のアンテナを含めて、高所作業は危険と感じる年齢になっていた。そのような理由もあって、インターネットの契約と合わせてCATVの視聴契約を結んだ。それによって、放送大学の授業放送が受信できるようになり、時々視聴しては「おもしろいなあ」と感じていたと言う。

[入学]

松ヶ谷さんは、50年近くアマチュア無線を楽しんできたが、電子技術に関しては、本などを読んで実践で身に付けたものであり、授業や講義を受けて学んだものはなかったため、原点に返って、電子技術の基礎知識を学んでみたくなったのが入学の直接の動機だった。

「近年の科学技術の進化の過程は、まず理論が提唱され、それが実験によって実証されるということが多い。その典型的な例がマックスウェルの電磁波方程式による電波の発見であった。まずその理論を理解したかった。また、ローノイズアンプに使うHEMTなどの半導体についても、原理的なところを詰めていくと、物性物理学、さらには量子論に行き着く。それらを理解することにより、すでに発表されている回路より、もっと良いものができる可能性があるからだ」と説明する。さらに、「理論と実際のギャップを実感し、自分自身がいかに基礎知識がないことを実感させられた」ことも動機となった。

放送大学の概略について説明すると、基本的にテレビ放送、ラジオ放送を通して授業を受講する通信制の大学で、学生の種類としては、大学の卒業(学位取得)を目的として必要な授業科目を履修し、最低4年間在籍して必要な単位を取得する「全科履修生」、その他、希望する1科目ないしは数科目の授業科目を選択して履修する「選科履修生」と「科目履修生」がある。さらには大学院も併設されている。

生徒は、松ヶ谷さんのようにリタイアしてから学び始める生涯学習型の生徒と、仕事上の必要で新しい資格を取るために入学する現役組の生徒(企業からの派遣も含む)の2つに分かれるが、リタイア後に入学する生徒の方が数が多く、生徒数は三重県だけでも1000人を超える。傾向としては、初年は、科目履修生としてとりあえず2、3科目取り、そこで興味を持ち、翌年から全科履修生として入ってくる人が多いと言う。

松ヶ谷さんは放送大学に入学後、毎日欠かさず勉強した。時には夜中に起き出して、水割り片手に録画しておいた番組(授業)を見たりした。また、しばしば学習センターに出向いて面接授業(スクーリング)を受けた。学習センターには、全ての科目の授業ビデオが置いてあるので、時間のあるときは、そのビデオを見に行って勉強したという。入学前、「生徒は若い人が多くて、浮いてしまうのではないかと心配していたが、いざ入学し、面接授業に出かけてみると、結構同年代の生徒も多く、安心した」と話す。

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放送大学のテレビ授業放送の番組表。-同校のHPより

[専攻科目]

放送大学は、正規の大学であるため、学位を取得するには、一定時間の面接授業に出席する必要がある。もちろん、試験を受けて単位を取得する必要がある。従って一般的な通信教育、また、寿大学や老人大学とは性格が異なり、必修科目もあって、全科履修生は語学や数学の単位も取得しなければならない。「語学は大きな問題はなかったが、数学は大変だった。時間をかければ理解できるのだが、一定時間内に問題を解くということが難しかった。そのためレポートを提出する課題に関しては、じっくり時間がかけられるので問題はなかったが、試験の時が大変だった。これが歳を取ったということか」、と実感したと言う。

松ヶ谷さんが専攻したのは、「自然の理解」で、科目として、電子物理、天体物理、物性物理などを選んだ。「天体物理における、月や人工衛星の軌道の計算方法や、電磁波による宇宙の観測などは、趣味と直結する部分なので、大変おもしろかった。またビッグバンから始まる宇宙の進化には大変興味があった。試験が通らなかった科目は、翌年に再チャレンジした。微分積分と線形代数の科目もおもしろかったが、この2つはどうしても単位が取れなかった」と話す。

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松ヶ谷さんが学んだテキストの一部。

EME用通信ソフトのWSJTの作者であるテイラー博士(K1JT)は、特殊なパルサーの研究によって、アインシュタインの提唱した重力波の存在を、観測と数式で証明したことにより、ノーベル賞を受賞したことは有名であるが、松ヶ谷さんは、相対論の中で、この理論も学んだ。「非常に難しい理論であった」と言う。

放送大学にはサークル活動もあり、松ヶ谷さんは「アートの広場」というサークルに所属した。そのサークルでは、毎年2回ほど、グループ内で作品を競う展示会を行っており、松ヶ谷さんは、自慢の天体写真などを出展した。最優秀賞を受賞したことも2回あった。なお、無線のサークルがなかったので、ぜひ作りたかったが、実現はできなかった。このように、「勉強以外の面でも結構おもしろかった」と言う。

[卒業]

ローカルの竹内博(JA2BVL)さんも、リアイヤ後、放送大学に入学していたため、一緒に面接授業や試験を受けたことも多かった。さらにお互いにすでに履修を終えた科目の教科書の貸し借りも行ったと言う。松ヶ谷さんは、短大卒の資格で入学したため、一部科目の免除は受けられたが、それでも、5年半かけて卒業するのに必要だった所定の単位以上を取得した。

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放送大学の卒業証書。

70才になった松ヶ谷さんは、2006年9月、放送大学を卒業した。その際、三重県の卒業生代表としてスピーチを行った。その中で、「卒業の連絡をいただいてから、教科書の整理をしている際、驚いたことがある。これだけ勉強したはずが、多くは記憶にない。忘れてしまったのである。しかし、放送大学で学習した知識を全部忘れた自分と、放送大学には入学しなかったと仮定した自分を、頭の中で比較してみたところ、何かが違う。言葉で表すことも文章に書くこともできないが何かが違う。何かが残っている。これがまさしく放送大学で得られた物だと気づいた」と述べている。