[デジタル通信の実験]

PRUG96βシステムは新しい電波型式のため免許申請を行い、京都府相楽郡の鷲峰山から伝送実験などをおこなう一方で、デジタル通信移動局のデモを平成11年(1999年)6月に尼崎で行われた「関西ハムの祭典」の会場で実施している。

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PRUGβシステムの実験情景

余談であるがこの「関西ハムの祭典」は、イベント会場の近くの人から「たくさんの人が集っていますが、ハムの大安売りですか」と間違われたこともあり、やがて「関西アマチュア無線フェスティバル」と名称が改められた。いずれにしても会場に登場した移動局の佇まいは来場者に大きな話題となり、次々と質問を浴びせられた。

[奇妙なスタイル]

PRUG96βの機器構成は無線機やアンテナ、ネットワーク機器、パソコン、電源であり、会場では移動局とするため登山に使う背負子(しょいこ)に無線機、アンテナ、ネットワーク機器を括りつけ、パソコンを手に持ち、電源はカートに載せて動き回った。この異様な姿によるPR効果は抜群であり、新しい技術に興味をもつハムの関心を呼んだ。

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関ハム会場でのデジタル通信移動局人間

その後、この移動局はイベントがあるたびに現地に出向いて活動し、そのたびに軽量化が図られ、またコンパクトになったが、それでも水島さんは「かつての(アナログによる)移動運用が、同じように多くの機材を揃えなければならなかったことを考えると、将来は小型化されるだろうと期待をもった」と言う。

[子供への啓蒙]

水島さんのデジタル通信への思いは、その後JARLが推進していた「D−STAR」システムと巡り合うことにより具体化する。それについて触れる前にKDCFが進めてきた子供達への啓蒙活動に触れてみたい。KDCFの活動の目的が「アマチュア無線の活性化」であり、そのためには子供達に科学への興味、無線通信への関心をもってもらう必要があると考えた。

KDCFは、インターネットと連携した新しい分野を開拓する一方で、直近の課題として子供達に科学に興味をもつ機会を作ることを進めていた。最初のイベントは日本物理学会の会員であったJA3DKW永井暉久さんから「学会が夏休みの子供向け企画としてイベントを募集している」という話しがキッカケとなった。

[電波を見てもらおう]

欧州では権威者の集っているレベルの高い学会が、子供達や一般国民に役立つ催しを全国各地で行う習慣が早くからあった。日本物理学会もそれを見習ったのかどうか分らないが、KDCFは「これは絶好のチャンス」としてとらえた。そして「目に見えない電波を、見える形で知ってもらおう」というテーマが出された。

そこで、KDCFのメンバーのひとり、JA3CHS小永井貞夫さんは鉄道模型を用意し、左右の車輪に豆電球を取りつけた電車を走らせた。レールに電波を流すことにより、波長に応じてランプが明滅する現象が見てとれる。また、ビームアンテナを使用して電波の直進性を分りやすく説明した。水島さんによると「この実演は集った子供達よりも、来場された物理学の学者達に人気があった。おお、教科書どおりだっ、と言われて」という。

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「コナ爺」小永井さんによる電波実験教室

[ラジオの製作・電子工作]

子供達を対象にしたゲルマニウムラジオ受信機の製作や、生活にも役立つちょっとしたエレクトロニクス工作物の製作などの「子供教室」が、各地でさまざまなハムがボランティア活動として行っているが、KDCFの活動はJARL関西地方本部の活動として徐々に定着していった。

その後、KDCFが解散した後も、その精神を引き継いだメンバーがそれぞれ活躍するようになる。さきの小永井貞夫(JA3CHS)さんは、電波の性質を目に見えるような仕掛けを工夫した「おもしろ電波教室」を企画した。中井啓二(JA3GWE)さんは、不要になった電子部品で昆虫の模型を作る「メカ虫」を編み出した。

小永井さんは、自らを「こな爺」と名付けて子供に親しまれている。中井さんは「ICチップを見た子供が『虫みたい』と言った」ことに触発されて、コンデンサー、抵抗器などにエナメル線などを取りつけて、さまざまな昆虫を作り上げる。あまりにも似ているために好評であり、その作り方も教えている。

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ラジオ製作教室で指導するKDCFのメンバー

[各地の催しに引っ張り凧]

毎年開催される「関ハム=関西アマチュア無線フェスティバル」は、JARL関西地方本部が主催しているもので、ここ数年は池田市の池田市民文化センターと、その周辺で開かれている。このイベントで子供達に人気があるのが「ラジオ製作教室」などと並んでのこれらの催しである。このため、エリア内各地で行われる地域クラブの催しなどにも請われて出かけている。

KDCFは解散したが、一連の活動で触れておかなければならない方がひとり居る。物心両面で一貫して活動に参加し、支援されてきた坂井紀久男(JA3ATJ)さんである。坂井さんは全国レベルでJARLの活動を行ってきたが、同時にパケット通信の時代から新しい通信に挑戦してきた。このため、水島さんとの交流は長く、現在でもアマチュア無線のためには寝食を忘れるほどの活躍をされている。