[なぜデジタルなのか]

D−STARについて長々と説明しすぎたが、まだ、大事な一点が残っている。「なぜ、アマチュア無線にデジタルなのか」の問いかけへの返答である。水島さんは、D−STARの普及に携わった当初「答えに窮したことがあった」という。しかし、今は即座に「狭帯域で効率の良い通信ができるから」と答えるようになった。

「電波の利用効率からいえばアナログは分が悪い。一方、雑音すれすれの信号を聞こうとする状況はアマチュア無線ならではの楽しみのひとつである。デジタルにはこのような状況が無いが、確実に相手と通信がすることが前提ならばデジタルは真価を発揮する」と。水島さんは「相手と通信できること自体がアナログの楽しみならば、デジタルは何を相手に伝えるかが楽しみになる」という。

デジタル化されても交信距離を競い合う楽しみは残っている。加えて、デジタル化によって生まれたコンテンツ(交信内容)を工夫する楽しみが生まれそうだ。「アマチュア無線にアナログの楽しさを保ちつつ、一方ではデジタルという新しい楽しみが始まった」と水島さんは総括している。

[PLC問題]

水島さんがD−STARとともに取り組んだのがPLC(パワー・ライン・コミュニケーション=電力線搬送通信)問題であった。家庭内の電灯線を電力の伝送だけで終わらせず、情報機器の信号を流しネットワーク接続などを行わせるものがPLCである。すでに家庭内に張り巡らされている配線を使え、しかも電源コンセントだけでネットワーク接続できる利点に、電機業界は注目していた。

総務省は平成13年(2001年)に2−30MHzの信号を電灯線に重畳させるPLCモデムの製品化の検討を業界に指示、産官学によるPLC研究会が発足したが、PLCがアマュア無線、短波放送、宇宙天文などへの妨害を引き起こすとして問題視された。このため、ARIB(電波産業会)とJARLは共同で実験を行ったが、混信がはなはだしい結果となり、実験のための法整備を行うにとどまった。

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PLCの最初の測定は赤城で行われた。データ集計中の水島さん

[進展するPLC]

これを受けて、電機メーカーなどのPLC推進派はPLC−J(高速電力線通信協議会)を設立し、実験を続けてきた。水島さんはJARLの電磁環境委員会に協力し、JARLのかかわる実験に参加するとともに、公聴会に出席したりして、動向を見守ってきた。このころすでに水島さんは、JARLの技術面に関しての活動には欠かせないメンバーとなっており、とくにその行動力は貴重な存在であった。

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赤城の屋外実験で立てられたアンテナ

PLCはその後、紆余曲折があったが、JARLなどが示す厳しい条件を受け入れての製品化が認められた。平成18年(2006年)年末、PLCモデムが発売され、各地で、アマチュア無線家によるモデムの影響実験が行われ、JARLはPLC−Jと共同で、またJARL関西地方本部は単独で実施をおこなった。関西地方本部の技術幹事である水島さんは大阪での実験で指導的な役割を果たした。

調査の結果は、PLCモデムはHFのアマチュア無線帯域(7帯域)と短波放送(ラジオNIKEI)帯域のみノッチにより何らの混信も起こさせないが、他の周波数帯域では漏洩電界を認めることとなった。一方、逆にアマチュア無線電波が発信されると、周波数や出力にもよるがモデムの伝送速度に影響を与え、場合によってはネットワーク伝送が停止することもあった。水島さんは「このデータは実験用に購入した国産PLCモデムを実験状況で使用した結果であり、あらゆるPLCモデムと動作環境にあてはまるものではない」ことを付け加えている。

[コミュニティFM局のパーソナリティ]

東京江東区に「レインボータウンFM 大江戸放送局」がある。東京地区に免許されている11のコミュニティFM局の一つであり、平成15年(2003年)7月に開局した。周波数は79.2MHz。水島さんはそこのパーソナリティとしてレギュラー出演も務めていた。もともとは水島さんが勤務してるユニバーサル・コンピューターがスポットCMを提供したことがきっかけであった。

勤務先の広報担当でもあった水島さんは、同FM局と接触するうちにIT技術を易しく話せるパーソナリティとして注目され、「そのままレギュラーとして番組出演した」と笑う。プロバスケットチームを支援する番組では、レコーダーを抱えホームゲームのコートに出向き選手にヒーローインタビューしたこともある。番組では「ヒルズ水島」の名前で出ている。語源は「六本木ヒルズに住みたい、と社内で言っていたら部下がその名前をつけてくれた」とのこと。

[著作活動]

SE関連の著書は共著も含めると4冊となったが、他分野の本もある。この(2007年)8月に発刊したのが「キミにもできるコミュニティFM」というタイトルの単行本。FM局出演の体験を元に「コミュニティFM局を開設したい、番組を作ってみたい、という人に放送する側の立場が疑似体験できるような本にした」とその意図を説明する。

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著作「キミにもできるコミュニティFM」

もちろん、アマチュア無線の執筆も多い。アマチュア無線雑誌CQ ham radioへの執筆では「D−STARインフォメーション」コーナーを長期に渡って連載。先に紹介した8月号の別冊の後、9月号ではバイクで無線を楽しむ「バイク・モービルを体験してみよう!」の特集を書いている。

[バイクとクルマ]

大学時代からクルマに凝った水島さんは同時にバイクにも大いに興味を持っている。バイクは大学時代に乗りだすが結婚前に降りた。ところが昨年(2006年)に虫が騒ぎだし中古のカワサキ・ゼファー750に乗るが年が明けて現在はイタリア製のドゥカティ。約300人の仲間を集めるクラブがあり、水島さんはツーリングを企画する幹事の一人。

クルマについても、その都度紹介してきたが、現在はスバル・レガシィB4仲間の「オフラインミーティング」で幹事を勤めている。もちろん、バイクにもクルマにも無線機は搭載されており、ツーリングなどで大活用している。「バイク仲間やクルマ仲間にアマチュア無線の免許を持っている人が結構いるんですよ。そんなひとにふたたび無線に出てきて欲しいと勧誘しているんですよ」と話す。

[マルチタレント]

ここまで水島さんの日常生活を紹介すれば、周囲から「マルチタレント」と言われていることが理解されると思う。おそらく毎日、隙間のない生活を送っているのではの質問には「そうでもありません。夜遅く帰ることもなければ、催し物や短大授業の無い土日はのんびりすることもある」と言う。「でもいまは、バイクでどこか行くことばかり考えてますね」とも付け加えた。

とはいうものの、休みの日に多いのがアマチュア無線の催し。関東や関西の大きなイベントには必ず主催者や出展者として加わっており、その多彩ぶりとバイタリティには、やはり「マルチタレント」の名称がぴったりするといえそうだ。周囲は水島さんの今後のマルチぶりの方向に注目している。

(完)