[33名の合格] 

約2週間後の12月8日に合格発表があった。合格者は1級4名、2級8名、3級21名の合計33名。高良さんは3級を受験して合格する。高校1年での合格は「はっきりしないが第1回の試験では最年少だった可能性もある」と高良さんは言う。

このころ、合格者の一人である照屋朝篤(当時KR8AW)さんは「CQ誌」に沖縄の状況をレポート、昭和35年(1960年)12月号に「1961年早々にKR8の電波が発射されるだろう」と掲載されている。これを受けて庄野さんらは「ようやく沖縄の同朋にもアマチュア無線が許可された」と喜びのコメントを書いている。

高良さんの所に第3級の従事者免許証が届いたのは昭和36年(1961年)の2月1日であった。すぐに無線局開局の準備を始める。受信機は高1中2、送信機は6AQ5終段6V6ハイシング変調、入力10Wを自作した。4月10日に7MHz、14MHz、電波形式A1、A3で無線局の免許申請を行い、5月29日にKR8AGの予備免許が下りる。

高良さんの無線局開局申請書

[目的外通信] 

実は高良さんは予備免許の後に試験電波を出したが、それに応答した局からの呼び出しに応答してしまった。このために「赤紙」をもらったことがあったが、学生だったため不問に付された。最近になって高良さんは当時のQSLカードを探し出した。「思ったよりたくさんの局と交信しており、たぶん私のほうからもカードを送っていると思う」と言う。

見つかったカードによる記録を見ると6月24日にJA1ANP、27日にJA6AFG、28日にJA4OK、そして8月6日にJA3CHDなどである。「水晶は7MHz1個でしたが、7MHzと14MHzとのクロス交信もあった。さすがに、同じ予備免許中の沖縄同士は無かった」と言う。いずれにしても「予備免許中の交信は目的外通信ということでお目玉でした」と、当時を懐かしげに思い返している。

[KR8局 初の電波] 

KR8局の始めての電波を出したのはKR8ABのコールサインを受けた石橋さんであった。周波数14、21、28MHzで、昭和36年(1961年)6月22日。8月号には「KR8AB、AF、AJの3局がラウンドQSO(複数交信)をしていた」との報告が「CQ誌」に掲載されるなど、沖縄のハム開局が本土の仲間にも知られ始めた。

OARLはJARLに「沖縄にアマチュア無線局が誕生し、開局した」と挨拶・案内状を送るとともにJA局コールブックにKR8局のリスト掲載を依頼。しばらくすると米国のコールブックにもKR8局が紹介され「ようやく世界の仲間入りができた」とOARLのメンバーは喜びの声をあげたという。

[高良さんハムに] 

高良さんも本土と同様に無線局の複雑な免許申請に苦労した。当時、電務課にいた真喜屋さんに「開局時に申請など大変お世話になった」と言う。しかし、それができない人は試行錯誤を繰り返したようだ。石橋さんは「申請用紙はもちろん、様式も全く知らないのでみんな紙の質、大きさ、様式もばらばらだったようだ」ことを後に語っている。また「予備免許のコールサインは申請順ではなく、年齢の順に決まったようだ」とも言っている。

高良さん自作の無線機で構成した初期のシャック

[初交信] 

高良さんの局設備の落成検査は検査官2名によって行われた。「業務局と同じような検査であり、重い周波数測定機を持ち込んでの検査であったが、BCI(ラジオ妨害)TVI(テレビ妨害)の調査をし、和気あいあいと3時間程度で終わった」と当時を語る。

落成検査に合格し、即本免許となった高良さんの初交信は北海道・岩見市の原保昌(JA8AKB)さんであった。「JA8と聞き、びっくりした」のは高良さんである。「北海道から届くとは思っていなかった」からである。印象深かかったせいか高良さんは「原さんは昭和18年生まれであった」ことまで今でも記憶している。

[DXに熱中] 

その後の高良さんは暇があれば無線機の前に座り、交信に没頭する。翌昭和37年(1962年)1月にVFO(可変周波数発振器)使用の変更届を出し、程なくしてDU7RS(フィリピン)と14MHz、CWで交信したことからDXに興味をもつ。夢中になった結果「その後のわずかな間に30カントリー程度と交信した」と言う。

9月には周波数21MHzを追加申請するとともに、終段、変調に807真空管を使用した自作機の変更申請を出す。より、遠方との交信がしたかったためであるが「入力10Wでは限界」と、10月には第2級を受験し、12月に従事者免許をもらう。

[RARCの発足] 

ハムとなった仲間は盛んにPR活動に乗り出した。昭和37年(1962年)の4月1日、沖縄は琉球政府創立10年を迎えた。政府は記念行事の一環としてアマチュア無線の公開実験を計画し、開南小学校を会場にして行われた。皆、始まった趣味に燃えていた。正式な無線クラブを結成しようとの意見がですぐにまとまった。

RARC(琉球アマチュア無線クラブ)結成大会での記念写真

クラブ名は琉球アマチュア無線クラブ(RARC)と決まり、昭和38年(1963年)1月27日に与儀にある「那覇琉米文化会館」で発足式が行われた。参加ハムは41名、来賓には新城電務課長、真喜屋電波監視係長、新城沖縄無線専門学校長らが出席。この席で内間伸(KR8AL)会長、石橋勇(KR8AB)副会長、和宇慶朝一(KR8AR)副会長以下の役員が決まり、会則、会費も決定する。ちなみに会費は20セント(正会員)5セント(準員)だった。