[マイクロソフト、シスコの認定資格] 

このころ、企業社会では「IT(情報技術)」の言葉が盛んに使われ出し、パソコン、インターネットを自由に使いこなし、それにより企業経営を革新する動きが活発化してきていた。高良さんのSEとしての業務はまさにそれに結びつく内容であった。このため、高良さんはマイクロソフト社やシスコシステムズ社の資格制度に挑戦した。

両社は世界的なIT技術者を対象とした資格制度を設けていた。マイクロソフト社は「マイクロソフト認定制度」として、多彩な技能レベル認定を行っており、高良さんはウィンドウズの実戦的スキル、幅広い知識での最上位クラスの資格、MCP(マイクロソフト・サーティフィールド・プロフェッショナル)を取得した。

一方、シスコシステムズ社では「シスコ技術者認定」制度の上級資格CCNP(シスコ・サーティフィールド・ネットワーク・プロフェッショナル)を取得した。大規模ネットワーク、インターネット、VPN(仮想私設網)などのシステム構築、管理・運営ができる資格であり、仕事上関係ある分野の認定ではあるが「この認定そのものが役立ったことはなかった」と笑う。

[サミット記念局] 

平成12年(2000年)からの2年間はアマチュア無線関連のさまざまな行事で、高良さんは多忙となった。まず、6月に1年後に控えた沖縄アマチュア無線40周年記念事業のための実行委員会が発足し、高良さんはその委員長に就任する。7月には「サミット記念局」8J6SMTが開設され、5月8日から7月23日まで県内各地からの運用が行われ、海外60局を含めて14367局との交信が行われた。

「沖縄サミット」は、国内の多くの都市の開催誘致を押しのけて開催が決まり、7月21日から23日まで開かれた。8カ国の首脳は日本の中でも異なる歴史、悲惨な歴史をもつ沖縄の姿を知るとともに、復興した現状や米軍基地の多さも刻み込んだ。マチュア無線もまた、このサミットを通してハムに沖縄への関心を高める役割を果たしたといえる。

[40周年行事] 

40周年記念行事の計画は積極的に進められた。8月にはJARL沖縄県支部のホームページが立ち上げられて、40周年行事準備の進捗状況を広く伝えることになった。翌年の1月には沖縄総合通信事務所を訪問、記念行事、記念局開局への協力要請を兼ねてのあいさつが行われた。次いで2月18日には支部のグランドミーティングが開かれ、SSTVやATVのデモが行われている。

記念局8J6FTYは、4月から8月までの運用が決まり、その開局セレモニーが4月7日に開かれ、内間、長嶺、又吉、久場、仲地さんら40年前に免許を取得した仲間が集り、なごやかな集いとなった。5月12-13日には第10回沖縄コンテスト行わたが、台風一号の影響で高良さんはあまり交信できなかった。

40周年記念局8J6FTY局の開局式

6月の1カ月間には「QSOパーティー」が開かれ、16日にはラジオ沖縄の「パーソナルクラブ」に出演し、行事をPRしている。最大の行事である「記念パーティー」は6月23日に西原町の「かねひで都パレス」で開催された。原JARL会長、総合通信事務所関係者らが来賓として出席、140名が集るイベントとなった。

40周年記念の年の忘年会 前列左から5人目高良さん、ひとり置いて島さん

これらの一連の行事を高良さんが陣頭に立って指揮し、また、催しでは実行委員長としてあいさつした。高良さんがぜひ実施したかったのは「なつかしのリグ展」であり11月3、4日の2日間開かれた。多くの仲間からかっての自作機や、使ったリグや測定機が展示され、集ったハムは懐かしく、また、若い人たちは知ることのなかった往時を偲んだ。そして、最後のとどめの行事は12月1日の「40周年さよなら忘年会」だった。この忘年会には大阪から島さんらも駆けつけた。

[高良さん再び大阪へ] 

平成14年(2002年)は沖縄の本土復帰後30年。沖縄支部は4月15日から5月31日までの間、記念局8N6THYを運用した。ところが、その期間中、高良さんは大阪への転勤となる。定年まで後3年。「沖縄でのSEの仕事がなくなっていた。定年まで大阪で最後の仕事をしたい」と、半ば手を挙げての異動であった。大阪では曽根崎に1年、茨木に2年勤務した。

仕事は引き続きSEであった。豊中市の寮からCWで時々電波を出したが、もはや猛烈な熱意は消えていた。その代わり、毎年開かれている「関西ハムフェスティバル」や「807の会」に顔を出し、また、平成16年(2004年)に池田市で開かれたJARLの総会などに参加し、懐かしいハム仲間と会っている。

[雄大な構想] 

平成17年(2005年)4月、高良さんは定年を迎え沖縄に戻る。NTTとの成長とともに歩んできた人生であったが、今また、高良さんは雄大な計画をもち燃えている。すでに那覇市から約80km、車で2時間半ほどの東村に1000坪(3300平米)の山間地を購入、大型トレーラーを運び込み、電源用の太陽電池、風力発電用風車、大型鉛蓄電池などを揃え、現地で運用できる準備を進めている。

インフラがないため、風力で400W、太陽電池で200W(将来は1kw)発電し、500AH容量のバッテリーに蓄電、1kwのインバーターを使用して冷蔵庫の使用も可能とし、ガスはボンベを計画しているが、問題は水。「雨水をためるしかない」と言う。完成した後は周辺に草花や果物を植える計画であり「10年計画で取り組んでいる」と意欲的。

東村に置かれた大型トレーラー。着々と運用準備が進められている

トレーラーの下にはバッテリー、インバーターが組みこまれている

高良さんにとってアマチュア無線はなんだったのだろうか。「アマチュア無線をやっていなければ仕事についていけなかったと思う」と断言する。「ただ、夢中のあまり子どもは放任していた」と反省。また「趣味は押しつけるべきでないという考えで、家庭でも外部にも接してきた。」だから「アマチュア無線をキング・オブ・ホビーと言うのは好きでない」と言う。

そして今「アマチュア無線は私の青春であった。今後も続けていくが、これからは自然の中でのんびりと楽しみたい」と言うものの、沖縄のハム仲間はそれを許してくれない。新しいイベントにも取り組まざるをえなかった。今年(2006年)6月22日の「沖縄アマチュア無線の日」を中心に特別局8N6HAMの運用が始められた。沖縄でのアマチュア無線再開45年の節目の年でもあり、若い人たちに科学の面白さを知ってもらうねらいもあり、運用の他に楽しい展示実演も企画された。