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No.190 「北陸ドライブ紀行1300km」
その昔、日本には25,000以上もの城(要害・砦・堡塁・陣屋・城柵などを含む)が存在し、現存する天守閣が残るのは12城とされています。現存天守、復元天守、外観復元天守、復興天守、模擬天守など様々ですが、テレビの旅番組に映し出された福井市の現存天守「越前・丸岡城」1576年(天正4年)の古風な建築様式に魅せられて、3泊4日の北陸ドライブを計画しました。
走行距離がおよそ1300キロに達するドライブは、体力的な面で心配がないわけではありませんが、体調を万全にして慎重な運転で乗り切ることにしました。クルマはニッサンのスカイライン250GT、これにHF+50MHz+144MHz+430MHz (SSB/CW/RTTY/AM/FM) IC-7000Mトランシーバー(50W)とアンテナ・チューナー AT-180 、それに430/1200MHz FMトランシーバー(TM-833)を搭載して移動運用を楽しみます。
5月18日
午前7時半、圏央道・入間ICから八王子JCTへクルマを進めました。この日は目的地の福井市まで約500kmを一気に走り抜けるため気持ちを引き締めてかかりました。もともとドライブが好きなので長時間の運転も苦になりませんが、1時間を目途にパーキングエリア(PA)やサービスエリア(SA)に立ち寄り体を休めることにしました。始めに中央自動車道の藤野PAに寄りました。ここのコンビニ(ファミリーマート)は軽食やドリンク類が充実していつも利用者でにぎわっています。
これより甲府、小渕沢を走行して諏訪湖SAで一休み。ここから木曽、恵那、土岐、小牧JCTで名神高速道へ進路を変えて大垣、関ケ原を走行、米原JCTで北陸自動車道へ入りました。琵琶湖を目前にして予定外の「長浜城」に立ち寄ることにして長浜ICで下りました。市街地を15分ほど走行すると湖岸(公園町)の「長浜城歴史博物館」に到着。豊公園大駐車場(無料)に車を止めて入館(400円)しました。
長浜城
天正(1573)の初め、羽柴秀吉が長浜城を築き約7年間居城した出世城として知られています。天正13年(1585)から同18年まで山内一豊が在城。元和元年(1615)廃城となり、建築物と石垣の大半は彦根城へ移され彦根城の天秤櫓は長浜城の遺構と伝えられています。現在の長浜城は昭和58年(1983)に再興の復興天守閣で長浜城歴史博物館として開館しました。2階展示「秀吉と長浜」、3階展示「湖北の村々と景観」を見学して天守へ。秀吉が見た琵琶湖の眺望を楽しむ。1時間ほど見学して長浜ICから北陸自動車道へ。福井ICで下りて約15分で「かんぽの宿福井」に17時着。この日の走行距離550km.
長浜城
5月19日
おさごえ民家園
かんぽの宿福井を午前9時出発。福井城址は石垣と堀を残すのみ。永平寺はすでに何年か前に参拝済みなので、今回は通過して「おさごえ民家園」に向かいました。江戸時代に建てられた越前・若狭の古民家5棟と板倉1棟を、県内各地から移築・復原し展示している。古いもので約300年前~150年前に建てられ、昭和50年代まで住宅として使用されていた古民家が6棟、興味深く拝見しました。入園料100円(70歳以上無料)、無料駐車場有。
福井市おさごえ民家園
養浩館庭園
福井県庁に隣接する福井藩主松平家の別邸「養浩館庭園」(ようこうかん)を見学しました。江戸時代には「御泉水屋敷」(おせんすい)と称され三代忠昌時代(1623-1645)に藩邸となり、城下を流れる芝原上水を引き込んで「御泉水屋敷」となったと伝えられ、数寄屋造りの建造物を備える回遊式林泉庭園として有名です。明治17年(1884)、松平春嶽によって「養浩館」と名付けられる。入園料100円(70歳以上無料)、無料駐車場有。
養浩館庭園
丸岡城
福井市から国道8号線で坂井市の丸岡城を目指しました。1576年に柴田勝家の甥、勝豊が築城し、別名「霞ヶ城」とも呼ばれています。外観2層、内部3層の望楼型天守で、現存天守閣としては日本最古の建築様式です。昭和9年国宝に指定されましたが、昭和23年福井大震災により倒壊、昭和25年重要文化財の指定を受けて昭和30年修復再建されました。望楼式天守閣へは垂直に近い階段の太いロープを手繰りながら登るスリル満点の体験をしました。現存天守12城のひとつ。(入場券300円)
1576年築城の丸岡城
越前丸岡城
白山スーパー林道
北陸自動車道の加賀ICから進入して小松ICで下りて国道360号を走行しました。ここから白山市を経由して「白山スーパー林道」へ。山岳ドライブを楽しみながら進むとカーナビに「通行止め」の情報が入りました。せめて「ふくべの大滝」だけでも見たいとドライブを続けて料金所ゲートに到着しましたが、ゲートに通行止めの看板がむなしく置かれていました。スーパー林道に入らなければ「ふくべの大滝」に行けないので引き返すしかありません。事前に立てた計画では白川郷-五箇山-南砺市-高山市-富山市を走破する予定でした。「かんぽの宿富山」に15時40分着。この日の走行距離207kmでした。
5月20日
富山城(郷土博物館)
午前9時かんぽの宿富山を出発。JR富山駅に近い富山城址公園に行きます。近世富山城を整備したは前田利長。大火で焼失した後、元和元年(1615)の一国一城令によりいったん廃城となり、寛永6年(1639)の富山藩分藩に伴い初代藩主前田利次が入城。その後、明治時代に至るまで富山前田家13代の居城となりますが、明治6年(1873)に再び廃城となりました。昭和29年、富山城址の一帯で富山産業大博覧会が開催され、記念して富山城天守閣(模擬天守)が建設されました。博覧会終了後に富山市立郷土博物館として開館しました。発掘調査が進む富山城址に当時の堀や石垣を展示していました。入館料210円。城址公園地下駐車場(320円/1時間)。
富山市郷土博物館
高岡山 瑞龍寺
加賀二代藩主前田利長の菩提をとむらうため三代藩主利常によって正保年間から寛文三年(1663)までの約20年の歳月を要して建立されました。中国の寺院建築を模して総門(重文)・山門(国宝)・仏殿(国宝)・法堂(国宝)を一直線に配列し、左右に禅堂(重文)と大庫裏(重文)を置き、四周を回廊で結ぶ壮大な七堂伽藍に魅せられました。参拝券500円、駐車料無料。
高岡山 瑞龍寺
高岡大仏
大仏寺(尼寺)の銅造阿弥陀如来座像。延享2年(1745) の創建。いく度かの焼失を経て昭和8年(1933)に建立されました。高岡銅器職人の傑作と言われ、総高15.85m、総重量65トン、4.54mの大円輪光背を持つ大仏は奈良の大仏16mと互角、鎌倉の大仏は11.3mとやや小ぶり。この後、北陸自動車道-上信越自動車道を走行して富岡ICで下りて16時20分「かんぽの宿磯部」に到着。この日の走行距離376km。
高岡大仏
5月21日
午前9時、かんぽの宿磯部をチェックアウト。近くの世界遺産「富岡製糸場」を通り過ぎて群馬県甘楽町の「こんにゃくテーマパーク」(入場無料)を訪ねました。こんにゃく工場見学と試食バイキングを体験した後、同じ甘楽町の国指定名勝の小幡藩邸庭園「楽山園」(観覧券300円)を見学しました。江戸時代初期に織田氏によって造られた池泉回遊式の借景庭園と現存する武家屋敷などを観光して旅の締めくくりとし、上信越自動車道の富岡ICから藤岡JCTを経由して関越自動車道の所沢ICに帰着しました。走行距離167km、4日間の走行距離1300kmの北陸ドライブを無事に終えました。
こんにゃくパーク
楽山園