[自力でスキー場]

受川さんらが発足させた「能登シーハイル」は、やがて「七尾市スキー協会」へと発展してきたが、その課程でメンバーの技能も向上、石川県体育大会で上位の成績を収めるようになった。受川さんは「回転」「大回転」を得意とし、平成3年(1991年)の県大会では「大回転」で優勝したほか、毎年入賞する選手だった。

昭和50年(1975年)3月に七尾市内の城山にスキー場が開設される。スキー場のなかった能登にスキー場を作ろうと、当時の「能登シーハイル」のメンバーが自分たちで作り上げた施設だった。このスキー場を活用して市民スキー大会などさまざまなスキー競技が開かれた。

平成10年(1998年)12月には市営の「七尾コロサスキー場」がオープン、それにともない城山スキー場が閉鎖される。受川さんはこの年の3月にスキー場を含む「湖畔公園コロサ」を監理する管理組合理事に就任。このように受川さんのスキーとのかかわりを眺めてくると、能登のスキースポーツを育て上げたのは受川さんであったことがわかる。

昭和56年(1981年)に受川さんは「七尾市テニス協会」の顧問ともなっている。さらに平成2年(1900年)には、スキー、テニスの振興の功績が評価され「七尾市体育協会」の副会長に就任、平成12年(2000年)には「七尾市スポーツ賞選考委員」に選ばれている。

自宅のアンテナ。今でも軽々と昇り降りする

[クルーザー名はアイコム号]

受川さんが活動したのは陸上だけではなかった。海上無線通信士の資格をもっていた受川さんは、平成2年(1900年)に小型船舶の免許を取得、平成4年(1992年)には「七尾海上保安庁指定海上安全指導員」となったが、同時に所有の小型クルーザーが同保安庁指定の「安全パトロール艇」に指定された。

「安全指導員」「安全パトロール艇」はともに、周辺海上での海難事故防止を目的に船舶の安全運航を指導するのが目的。受川さんはクルーザーを「アイコム号」と名付けて、七尾港内を巡航して指導に当たったりした。その後、クルーザー仲間で子供たちに舟遊び用の「たらい舟」数隻を寄贈したこともある。

繋留されている「アイコム号」右奥の小型クルーザー

[オートバイ]

アマチュア無線、スキー、テニス、ヨットの趣味を紹介してきたが、まだある。オートバイである。受川さんの車との出会いは東京での修業時代、近くの医者がスクーターに乗っているのを見て興味をもち、昭和27年(1952年)自動4輪の免許を、金沢時代の昭和30年(1955年)に自動2輪の免許を取得、七尾に来てからはオートバイ仲間の組織化に乗り出した。

メンバーは約30名。クラブの名称は「グリーンホース」月2回程度の遠乗り(ツアーリング)を行なっているが、最初に出掛けた飛騨・高山の国民宿舎で、会の名前を聞かれた。とっさに出たのが「グリーンホース」だった。ハーレーダビットソンのオートバイが鉄の馬(アイアンホース)と呼ばれたのにちなんだ命名だった。

[常にアマチュア無線を奨励]

このような活動をしながらも受川さんはアマチュア無線を忘れたことはなかった。スキー、ヨット、オートバイでは連絡用に無線機は必需品である。ハム仲間を趣味に誘ったこともあるが、新に加わった仲間にはハムになることを勧めた。「海上を航行するマリンクラブではどうしても無線が必要。スキーでも石川県スキー連盟はもちろん、傘下の各クラブではアマチュア無線や業務用の無線機を便利に使っている。私の加わっている組織ではメンバーの80%がハム」と、受川さんは言う。

「倉屋」には一時5、6名の従業員がいた。当然、全員がハムになった。受川さんの家族も同様である。奥さんの貞子さんがJA9CLAとなったほか、長男、長女も免許を取った。「一家がアマチュア無線家」として昭和43年9月にNHKテレビの「今日のインタビュー」で紹介されたこともあった。

現在使っている車

[ハムの育成に尽くしたい]

平成11年(1999年)受川さんは「倉屋」を後任に譲り、その後、スキー協会や体育協会の役員からも退く。ただし「倉屋商事・無線部」は引き続き受川さんの経営である。今、受川さんの生活の場には6台の無線機が置かれている。家の茶の間、寝室、トイレ、同じ敷地内にある無線機の店舗、そして車とオートバイにそれぞれ載せている。交信は主にV、Uを使っての仲間内が多い。

「HFで頑張るとつい熱中して一晩で100局から200局と話しをしてしまう。なるべく早くQSLカードを届けたいと思うので、翌日はカード書きになる。仕事をもっていた時はそれで時間がつぶされるのが困った」ことから、DXは避けるようになった。

受川さんが今、真剣に考えているのはハム人口の増加とJARLの発展である。温めている構想はいくつかあるが、その一つが昔に戻ってのフォックスハンティング。「手持ちのFMラジオを使い小学校の低学年でも楽しめる競技をやりたい。そこから無線に興味を持ってもらえそうだ」と入門者養成の夢をもつ。

一方、受川さんの対外活動はまだまだ活発である。「フォーラム七尾・生活文化講座」では「プロから学ぶ寿司アラカルト」の講師として教えている。その半面で受川さんの勉強も続いている。七尾市シルバー人材センターの会員として、樹木の「剪定」講座を受講中でもある。「人の3倍働きたい」というのが受川さんの口癖である。

受川さんの手元には、これまで受け取った表彰状が数え切れないほどもある。スキーでの成績表彰を除いても日本アマチュア無線連盟、日本赤十字社、石川県、七尾市、七尾市体育協会、七尾市海上保安部、七尾市ボランティア協会、社会福祉法人などである。ついに、平成16年(2004年)には文部科学大臣表彰のリストに載った。が、受川さんは辞退した。

受川さんのQSLカード