[第2回全国大会]

昭和42年(1967年)6月24日、熱海の「来宮ホテル」に、全国各地に出来あがりつつあったJMHC(日本モービルハムクラブ)の役員が集り「全国役員会」が開かれた。全国の役員といっても集ったのは東京、静岡、東海、岡山、北陸の5クラブであり、次回の全国大会を8月12日に静岡市の「日本平ホテル」で開催することを決めた。

日本平ホテルでの「全国大会」

実は前年に愛知県蒲郡の旅館「ふきぬき」で全国大会が開かれており、後に第一回全国大会と呼ばれるようになったこの集りには6つのエリアから81名が参加した。しかし、この時には「JMHC各支部合同ミーティング」と名付けられていたため、静岡の日本平ホテルの集りがその時点では文字通り初の「全国大会」であり、JMHC静岡が果たした役割は大きかった。

主催の中心となったJMHC静岡の会長は当時静岡放送勤務の岡本禎夫(JA2BZK)さんであった。岡本さんは昭和34年(1959年)ころに単車に無線機を積んで走り回っており、モービル無線に夢中になっていたハムの一人であった。岡本さんら静岡のモービルハムのグループが、JMHC静岡となり、JMHC全国連合に加盟したのは昭和41年(1966年)。その勢いが全国大会開催地にさせたものと思われる。

[モービルハム前夜]

岡本さんは戦前、戦後のアマチュア無線機を含めた通信機のコレクターでもある。このため、戦後のアマチュア無線が再開されるまでの通信機の流れについても詳しい。それによると「戦後、米軍放出の無線機器、旧日本軍の無線機が東京・神田、秋葉原、広島の松本無線、立川の杉原商会などに出回った。いずれも軍用だけに性能は良かった」と言う。

岡本さん自身「HF帯の受信機であるBC-610、ART-13などとともに、VHF帯FMのBC-659H、BC-1000を多数見かけた」と言う。昭和25年(1950年)に勃発した朝鮮戦争は3年後の昭和28年(1953年)に休戦となるが、それとともに米軍のPRC-6、PRC-10、RT-68、RT-70など50MHzのアマチュアバンドに使える戦車、装甲戦闘車のFM送受信機が放出された。

わが国のアマチュア無線再開は昭和27年(1952年)であるが、その後急速に増加したハムを含めてその多くは3.5MHz、7MHzのHF波帯で交信した。まれに50MHzに挑戦したハムもあったが、当時は送受信機の自作が難しかったことや交信距離が短かったことから敬遠されていた。

岡本禎夫(JA1BZK)さん

[モービルハムの誕生]

昭和30年(1955年)代になると50MHzの挑戦者達は一方ではDXに取組み、次々と交信距離の記録をつくっていった。その一方では、交信距離の短さを利用して車に通信機を載せる、いわゆる「モービルハム」が登場する。モービルハムは当初、やむなくHF機を搭載したが、米軍の放出機が手に入り出すと50MHz機に代えていった。

岡本さんは言う。「静岡でも当初、FMラジオ受信機を改造した機器を使い、50MHzのF3交信を行うハムが現れた。昭和34年ころだった」と約50年を回想してくれた。始めたのは岡本さん、柴主絢三郎(JA2OD)さんであり、車がもてない2人は2輪のスクーターやオートバイに改造機を載せたらしい。「周波数の不安定さはいかんともしがたく、移動局同士でようやくQSO出来た時は、相手が目で見える距離となっており、苦笑したのも昔話」と言う。

わが国のFMラジオ放送は昭和44年(1969年)3月にVHFで始められたが、実は実験放送は、それより約10年も早い昭和35年(1960年)4月にUHF帯で行われた。したがって、岡本さんらが交信し始めた時期については誤差があるものの、使った通信機は実験放送の時に使われたUHFラジオを改造したものと思われる。

[モービルハムの仲間増える]

その後しばらくして、岡本さんらは米軍放出のRT-68、PRC-6を入手して使うようになったが、その安定度と高感度について、岡本さんは「周波数標準器ともいえた」と感激している。そのため、当時としては驚くような体験もしている。「そのころのハム仲間である堀場敏之(JA2CGS)さんのもつPRC-6と交信した時、富士登山中と聞いて信じがたかった」と。

米軍の車載機、ハンディ機 --- 奈良の寺田薫(JA3AMQ)さん所有

PRC-6はわずか0.25W出力のサブミニチュア管を使用したハンディ機であり、米国のほか、カナダ、西ドイツでも生産され、わが国でもライセンス生産されたともいわれている。軍用ハンディ機としてのヒットトランシーバーであり、世界各国で活躍したが、今でもコレクターの間で人気があり、売買が行われている。

岡本さんらはその後、アマチュア無線雑誌「CQ ham radio」誌上の「ハム交換室」で大阪の「JARL泉州クラブ」が中古タクシー機、FM-10C、60MCを放出していることを知る。どんな商品かを知りたくて、岡本さんらはFM-10Cを使っている近くのタクシー会社「不二タクシー」に見学に出かけた。「いろいろ話を聞くと良さそうなので、仲間と一緒に10台ほど注文しました」と言う。

周波数変更や送受調整などの改造をして使ったが、12V、6Aの電力消費であり、ようやく買った三菱ミニカに積み込んだものの「軽自動車には電力消費が重荷であり、ライトを点けて走る夜間にはバッテリー上がりを心配しながらQSOした」らしい。いずれにしても岡本さんはリアバンパーに1.5mのホイップアンテナを取り付け、立派な「モービルハム」になった。