[JMHC福岡]

これまで全国14地区のJMHCの組織をその発足から、その活動まで調べてきた。地区により発足時期、設立の目的、活動内容が異なるのは当然であるが、なかにはJMHCの名称を付けてはいるものの、自然発生的にモービルハム仲間が集まり、規則に縛られず自由に行動した地区もあった。

昭和44年(1969年)に当時の「JMHC東京」が発行した「モービルハムコールブック」には、全国で17地区のJMHC組織が記載されている。「JMHC福岡」は、会員90名。代表者は師村定信(JA6FIC)さんである。コールサインがもっとも古いハムに戦後の九州アマチュア無線の中心の一人でもあった出田喜一郎(JA6AE)さんの名が見える。

3年後の昭和47年(1972年)~48年(1973年)のコールブックによると「JMHC福岡」は126名。このころの会長は森川昌彦(JA6JPR)さん、副会長森慎一(JA6JYM)さん。役員が山崎エミ子(JA6BJE)さん、福岡隆俊(JA6HNS)さん、三浦良一(JA6STK)さん、村上義和(JA6HZK)さんである。

[発足時期不明]

この6名のうち、昭和44年(1969年)当時の会員は村上さん一人である。その村上さんにしても「JMHC福岡」発足の記憶がない。さらに、森川さん、森さん、山崎さんなど、古いことを知っているであろう方に問い合わせしても、設立時の様子が全くわからないのである。皆、異口同音に言うのは「できあがっていた組織に入ったと思う」であった。

「JMHC福岡」の中心で活躍した村上さん

さらに、どうやら会報などの発行もなく、会費の徴収もなかったというのが共通の記憶である。九州地区は全国のなかでもJMHC活動が熱心な地域であり、昭和44年(1969年)当時にすでに、福岡の他、北九州、佐賀、長崎、島原、熊本、大分、宮崎、鹿児島の9つのJMHC組織ができあがっていた。全国17のうちの9つが九州である。

同じ福岡県の「JMHC北九州」は昭和41年(1956年)には誕生していた。隣県の「JMHC熊本」が発足したのは昭和42年(1967年)である。それぞれの組織に詳しい北九州の小野真佐彦(JA6LG)さんによると[JMHC福岡ができたのは我々より後なのは確かであるが、はっきりわからない]と言う。

[JMHC九州連合大会]

また、熊本の中野孝男(JA6HJI)さんも記憶していない。当時「JMHC熊本」は原田隆治(JA6GNI)さんが代表者であり、九州全域をリードする活動を始めていた。その原田さんは九州全域に呼びかけて昭和43年(1968年)6月に、大分県の久住高原で「全九州モービルハムの集い」を開催している。その折に翌年の開催地を福岡に決めている。

[全九州モービルハムの集い]は、その後、九州全域をまとめた「JMHC九州連合」が発足したのにともない「JMHC九州連合大会」と名称が変り、現在まで毎年開かれている。開催回数から推定して昭和44年に福岡で開催されたのは分っているが、その記録があったのかどうかも定かではない。

ただ、福岡でこのような「集い」が開催され、また、発行されているモービルハムコールブックに「JMHC福岡」のリストが掲載されていることからも、福岡に誰かまとめ役がいたことは確かであり、組織らしいものができあがっていたのは確かである。「JMHC福岡」の役員であった山崎さんは同時に事務局を兼務していたが[アマチュア無線機の販売をしていたので便宜上、事務局となっていましたが、当時のことはあまり知りません]と言う。

昭和48年に開催された「第6回JMHC九州大会」

[モービルハムクラブ]

36年前のメンバーのなかには故人となられた方もいる。しかし、ようやく代表者であった師村さんの居所を村上さんが見つけてくれた。師村さんはお元気で今でも「ウォッチだけは続けています」と言う。その師村さんによると、当初、高本義孝(JA6GO)さん、岡田政義(JA6GZ)さん、前田紘吉(JA6AXN)さんらが集って組織らしいものをつくったらしい。

車にモービル機を積んで交信していた福岡市に住んでいたこの3人が中心となって、最初は「モービルハムクラブ」を結成した。やがて、このクラブは「JMHC福岡」と名称を変えるが「どういういきさつで名称を変えたかについては分らない」と師村さんは言う。当時、全国、とくに西日本を中心に組織作りのために走り回っていた東京の柴田俊生(JA1OS)さんとの接触の記憶は師村さんにはない。

「モービルハムクラブ」結成時も「JMHC福岡」の発足時にも結成式とか総会などは行われなかったもようであり、それが設立された当時の記憶をメンバーがもっていない原因といえる。いずれにしても師村さんは「若い人の集まりのなかで私が年長者であったため代表者にさせられた」ことを覚えている。

師村さんの話しで、会報も作らず、会費も徴収しなかったことが正しかったことがわかった。集まりの連絡は「お得意の無線でやった」と言い、また、名簿作りをしたこともはっきり記憶している。名簿作りの時に「固定機でVHFやUHFをやっている人をどうするかが話題になった」らしい。結局「固定局もモービル交信の中継局の役割を果たすこともあるので加えよう」ということになった。