[平光さんの活躍]

GMHC発足時に事務局長になった平光さんは「JMHC岐阜」になってからも、昭和48年(1973年)と49年(1974年)に再び事務局長、54年(1979年)に副会長となる。この間、会長は鈴木さんから吉田さん、河合正雄(JA2DGL)さん、藤井さんと変遷し、55年(1980年)から3年間、平光さんが会長を務めた。

昭和54年に創立10周年の思い出を語る座談会が開かれているが、その席で鈴木さんは発足時の不安を赤裸々に披露している。発会式に招いた細野さんが「JARL登録クラブが続々と誕生するが長続きしない。このクラブだけは尻つぼみにならないで欲しい」と激励。発会式に集ったのは数人。鈴木さんは「この挨拶が発奮材料になったとはいえ、先行き不安だった」と振り返っている。

その時に、活躍したのが平光さんであり、多治見に「JMHC多治見」があると聞くと飛んで行き、同クラブの長谷部栄(JA2AUE)さん、水野基男(JA2NAD)さんを説得して傘下に加えている。さらに高山に行き住奥久隆(JA2OL)さん、樋田孜(JA2CBX)さんに話して了承を取りつけている。このような活動が、4支部体制につながっていく。

[全国大会への参加]

昭和46年(1971年)8月、長野県で開かれたJMHC全国大会に初めて参加する。この大会は8月21日に白樺湖畔の白樺湖観光ホテルで開催され「JMHC岐阜」は藤井さんが代表で出席した。全国のJMHCの活動はピークを迎えているころでもあり、また、主催した「JMHC長野」が熱心だったこともあり、全国から16クラブ、280名もの参加があった。記念誌の年表には参加記録のない年もあるが、平光さんは「毎年参加している」と言い、単なる記録洩れと思われる。

「JMHCX岐阜」として初めて参加した長野・白樺湖でのJMHC全国大会

昭和49年(1974年)2月に名古屋市で初の全国JMHC連合役員会が、10名を集めてが開かれ、さらに6月に再び名古屋でJMHC全国連合会クラブ代表者会議が13名の出席で開催された。「JMHC岐阜」は、クラブ代表者会議に当時の副会長である故・青木郁夫(JR2EIF)さんと平光さんが出席している。

この年の8月愛知県犬山市で開催予定であった第9回の全国大会は台風に見舞われて中止となるが、翌昭和50年(1975年)からも全国大会には参加を続け、昭和55年(1979年)群馬・館林市で開催された全国大会で、翌年の第16回大会を岐阜で行うことを決めている。岐阜で初めてのJMHC全国大会の開催である。

[JMHC・岐阜全国大会]

大会は8月8、9日に長良川畔の十八楼を会場に開かれ、地元「JMHC岐阜」の会員30名強を含め約100名が参加した。この大会は「JMHC全国組織立て直しの大会」ともいわれた。詳しい内容はわからないものの、それまでJMHC全国組織の確立を目指し、精力的に活動していた館林市の大亀昭夫(JA1FMR)さんが居なくなったことに関係があると見て良さそうだ。

このため、大会パンフレットに当時「JMHC岐阜」の会長であった平光さんは、開催までの1年間のJMHC全国の動きを「掴みどころのない1年でした」と表現し、大会実行委員長の大鼓留次(JE2BGE)さんは「前回以降発生した種々の問題を解決し、さらに団結・発展しなければならない課題を抱えている」と書いている。

この大会では岐阜の「国立療養所長良病院」のアマチュア無線局を招待し注目された。この療養所にはアマチュア無線従事者免許を持ちながら無線機をもてない患者が少なからず居る。岐阜支部の渡辺二郎(JA2JDQ)支部長は「今年は身体障害者の年。免許を持ちながら開局できない身障者のために少しでもその機会をもってもらえればと思い招待し、今後の各局のご支援をお願いしたい」と要請している。なお「JMHC岐阜」は10月に、この「長良病院」に50MHz無線機、アンテナ一式を寄贈している。

[リグ健康診断]

この間、昭和47年(1972年)平光さんは第2級アマチュア無線技士の免許を取得。「本当はDXをやりたいが、JMHCの活動をしなければならない」と悩みの時期を過ごしたようだ。昭和46年(1971年)1月に会誌を創刊した「JMHC岐阜」は、徐々にクラブとして行うべき行事を決めていく。

行事の中で他のJMHC組織ではほとんど行われていないのが「リグ健康診断」である。最初のリグ診断が行われたのは昭和46年(1971年)6月。会員が使っているリグをもちより、業務無線を運用しているいわゆるプロに性能や機能をチェックしてもらう催し。精巧な測定器を使う場合もあり、技術に自信のあるハムでもこの診断には”襟を正した”らしい。

昭和58年(1983年)から7年間会長を務めた渡辺二郎(JA2JDQ)さんも「JMHC岐阜」が発足して間もなくこの診断を受けた。「岐南工業高校でのリグ診断はそのころの行事の一つであり、今でも鮮明に頭の中に残っています。JA2HJ、JA2IKW(若原茂樹)両局長さんによるプロのリグ診断は大変素晴らしく驚きでした」と、25周年の記念誌に投稿している。

当の若林さんは、そのころの思い出として仕事に使っていた測定器が活躍してくれた、ことを座談会でしゃべっている。「70(145.70MHz)といってもF(周波数)ずれの大きいリグばっかりでした」と発言している。その後もこのリグ健康診断は定期的に続けられ好評になっていた。

好評だった「リグ診断」