[養成課程講習会]

その後、電話級の「養成課程講習会」の開催も重要な行事に組み込まれていく。この講習会はアマチュア無線の資格を簡単に取れるようにしようと、当時の郵政省の認可を受けてJARLがJAIA(日本アマチュア無線機器工業会)に委託して昭和41年(1965年)から実施されていた。「JMHC岐阜」は、昭和47年(1972年)7月から8月にかけて、岐南工業高校で第一回を開催した。

岐南工業高校は平光さんが当時勤めていたところであり、何かと会場提供に便宜を図ってくれた。その後、この講習会は「JMHC岐阜」の各支部でも開催されるようになる。藤井さんによると「予想外に講習会は盛況で、受け付け順のため深夜から会場前に受講者が並び始め、整理券を発行するなど大変な騒ぎになった」と言う。

このため次ぎの回からは受講者を抽籤で絞り込むようになったが「それが講習会とはこういうものだというパターンを作ることになった」と鈴木さんも語っている。現在では考えられない“受講人気”だったことが分る。

[豪雨をおして講習会]

養成課程講習会では当時の鈴木会長は講師として岐阜県下を走り回った。講習会は現在では2日間の日程であるが、当時は日曜日のたびに数回の講習が必要であった。このため、鈴木さんや、平光さんらは受講者の多かった昭和49年(1974年)から数年間は日曜日のほとんどをつぶしての“講師業”だった。しかも、遠隔地の場合は時間的にも制約されるスケジュールだった。

25周年の記念誌に投稿した鈴木さんの当時の苦労ぶりを紹介する。古川市が会場の場合は土曜日の正午に仕事を終えて岐阜駅に向かい、古川市で一泊して翌日午後5時まで講習し、急行の止まる高山駅まで車で走ることになっていた。「地元の腕利きのドライバーが待機していて、近道や混まない道を走ってくれた」と書いている。

昭和60年11月の「谷汲ファミリーミーティング」

また、日程が決まっているため受講者は必ずその日に集る。豪雨でも中止できない。郡上八幡市に日帰りで出かけた時には「講習中に集中豪雨となり、帰りの道に土砂が噴き出し国道が閉鎖され、やむなく一泊した。翌日も復旧せず高山回りで帰った」こともあった。

[クラブ局/レピーター]

「JMHC岐阜」の活動ぶりを示す例としてクラブ局の数がある。昭和49年(1974年)10月に一斉にクラブ局が認可された。その数は岐阜支部、東濃支部が各4局、飛騨支部3局であった。現在では1クラブに1局の条件であるが、当時の勢いがわかる。もっともその後、管理が大変という理由で各支部1局に減らしている。

一方、レピーター設置も積極的に進めた。「JMHC岐阜」のメンバーによる「レピーター設置実行委員会=平光委員長」を立ち上げ、設置場所、局舎建設、資金の調達などを検討しJARLに申請、岐阜県下で最初のレピーター局を設けている。

「局舎の建設には大変に苦労したが、会員の協力で開局することができた」と平光さんは言う。平成7年(1995年)の阪神淡路大震災での教訓を生かし、緊急時に役立つよう設置場所を当初の場所から、430MHz帯は県庁の屋上、1200MHz帯は岐阜市内の金華山山頂に移設している。周波数は439.68MHz、1292.52MHzである。

[活発なイベント]

「JMHC岐阜」は、発足後、本部総会、支部総会、忘年会を頻繁に開催し、同時に「リグ健康診断」「養成課程講習会」などを実施してきたが、昭和50年(1975年)前後には多彩な行事が行われるようになる。このころになると会員数も200名近くなり、ソフトボール大会、鮎釣り大会/鮎ミーティング、スノーミーティング、谷汲ミーティング、お千代保ミーティングなど集まりが盛んに企画されるようになる。

鮎は長良川などを控えて地の利を得た催しであり、スキーも飛騨地方など北部で楽しめる。谷汲、お千代保は地名。谷汲は揖斐郡にある温泉地で、この場所での秋のミーティングには地元の4人のハムが野山の野菜、果物などを大量に集めて景品として提供、楽しみな催しになっていた。

お千代保は、京都の伏見稲荷、愛知県の豊川稲荷と並ぶ3大稲荷といわれている「お千代保稲荷』でのミーティング。いずれも何度も行われてきた集まりである。ソフトボール大会についても会員の思い出は強い。どういうわけでソフトボール試合が始まったのか、昭和50年に「JMHC岐阜」の第1回支部対抗大会が行われ、その後は毎年企画され、長い間続けられた。

昭和48年の「鮎ミーティング」

[ソフトボール全国大会]

その成果はやがて表われ、昭和56年(1975年)8月に岡山県で行われた「全国70親睦ソフトボール大会」で優勝している。この大会は145.70MHzで交信しているハムグループの対抗戦であるが、参加チーム数は記録がない。「JMHC岐阜」の選手団はジャンボーモービルに乗って出かけたものの、しばらく走ると「酒が飲みたい」と言い出す仲間がおり、そのまま飲みつづけて夜中に宿についてもさらに飲み、ほとんど睡眠を取らずにフラフラになって試合をしたという。

強かったソフトボール

「JMHC岐阜」のメンバーは何かにつけて飲む話が多く、養成課程講習会にも2日酔いで講師を務めたり、ミーティングの帰りに乗り過ごして終電がなくなったなどの思い出話しも多い。全国でもっとも熱心でまじめな組織の一方ではこのようなリラックスする面があったことがわかる。

[会員みなが役員]

現在「JMHC岐阜」は、岐阜と高山支部の2支部になっているが、今なお100名を超える会員が在籍していることは先に触れた。「とにかく便利なのです。さまざまな職業の人が居り困った時には相談に乗ってくれる。生活に欠かせない」と平光さんは組織が継続している理由を説明する。

もちろん、その一方では「かってのような元気がない」との会員からの意見も多い。このため、現会長の川瀬善忠(JF2TMW)さんは昨年(2004年)に「役員だけに仕事をまかせないで、会員皆さんで分担しながら会の仕事をしよう」と「会員みなが役員」のスローガンを掲げた。