2018年4月10日~17日の8日間、バルト三国を周遊し、リトアニアの世界遺産巡りを紹介しました。今回は【その2】としてラトビアとエストニア編をお届けいたします。

photo

ラトビアの位置を示す地図

バルト三国のQSLカード

バルト三国はソビエトの占領時(1940年~)にプリフィックスを変えなければならない歴史がありました。リトアニア編を書いた後、山梨県南都留郡山中湖村の松本正雄記念館を訪ねてex JA1AYC(1938-2003)が「世界1万局よみうりアワード」(第60号)受賞時のQSLカードからリトアニア/UP2BEI、ラトビア/UQ2AN、エストニア/UR2RKQの3枚を抜き出して撮影しました。

photo

バルト三国のQSLカード(左からリトアニア、上段がラトビア、下段エストニア) ex JA1AYC(1938-2003)の交信カード

ラトビアへ

4月13日午後、リトアニアとラトビアの国境へ向かいました。国境にパスポートコントロールはなく、かつての施設は休憩所に改修されてパーキングエリアに代わっていました。バスはスピードを落とさないまま国境を通過してラトビアへ入り、車窓から見る景色が変わることなく一気に首都・リガへ向かいました。ホテル(ラディソン ブル ダウガヴァ)に到着後、レストランで夕食。ラトビア共和国の人口約200万人、面積は北海道の60%、民族構成はラトビア人(61.8%)、ロシア人(25.6%)、ウクライナ人、ベラルーシ人など。

スィグルダのトゥライダ城

4月14日08:30、専用バスにてスィグルダへ。所要約50km/約1時間。ラトビアのスイスと呼ばれる深い渓谷と緑に囲まれたスィグルダにトゥライダ城を訪ねました。かつてこの地にはリーヴ人が住みガウヤ川を利用した交易を営んでいました。13世紀に帯剣騎士団によって占領された後は、川を境に西側がリガの僧正領に、東側が騎士団領となり、両者は城を築き、職人や商人が住み着いて町が作られました。

photo

トゥライダ城の入り口からの全景

photo

トゥライダ城一部

グートゥマニャ洞窟

ラトヴィアのガウヤ国立公園内にあるグートゥマニャ洞窟。高さ10m、幅12m、奥行19mの赤砂岩の洞窟。リーガから約50キロ離れたスィグルダにあり、市街地からロープウェイを使って川の対岸に渡る。内部の壁面にここを訪れた観光客の名前が刻まれていました。中には16世紀に刻まれた名前もあるという。

photo

神秘的なグートゥマニャ洞窟

その後、スィグルダからバスで約330km、約5時間30分、国境を通過してエストニアの首都タリンへ。ホテルRADISSON BLU SKYに18時30分着、中世の建物を利用したレストランへ移動して夕食。食後、フォークロアショー(民族舞踊と歌)を楽しみました。民族衣装とアコーディオンの演奏にエストニアらしさを感じました。

photo

中世の建物を利用したレストランでフォークロアショーを鑑賞

エストニア

面積は日本の約9分の一、人口132万人、民族構成はエストニア人69.1%、ロシア人24.8%、ほかにウクライナ人、ベラルーシ人、フィンランド人など。湾をはさみフィンランドから南に約90km、バルト三国の中で最も北の国に位置します。ヘルシンキと首都タリンの間にフェリーが一日5~7便でており、片道2時間、約30ユーロです。

エストニアは「Skype」を開発した国として知られ、マイクロソフトに買収された今でもタリンで一部開発が行われていると聞きます。なお、同国は国策でIT化を進めており、ネットで選挙を行い、95%の国民がネットで納税しているほど国民のIT意識が高いといわれています。Wi-Fiはホテル、空港、カフェやガソリンスタンド、スーパーマーケットなど、いたるところで使えました。因みにNo.212 「SharkRF openSPOTでつくるホットスポット」で紹介の"openSPOT"はエストニア製でした。

photo

エストニアを示す地図

4月15日、09:00 徒歩でタリン市内観光に出かけました。バルト海や旧市街地を見渡すトームペアの丘、ロシア正教のアレキサンダー・ネフスキー教会、聖ニコラス教会、旧市庁舎、ラエコヤ広場などを見学して、午後は自由行動となりました。

アレキサンダー・ネフスキー教会

1901年、帝政ロシアによって建てられたロシア正教教会です。教会に入ってすぐ右の壁に、日露戦争で沈没したロシア艦隊を記念したプレートがかけられていると言います。この教会と相対する形でエストニア議会の建物があります。ソ連に占領・抑圧されたエストニア人は、今もロシア正教会に対して微妙な感情のズレがあると聞きました。

photo

アレキサンダー・ネフスキー教会

大聖堂

1219年、デンマーク人がトームペアを占領してすぐに建設した大聖堂で、エストニアでは最古の教会です。聖母マリアの大聖堂とも呼ばれ、創設以来タリンの中心的教会の地位にあります。1684年の大火災により一度は焼失したが、その後100年の歳月をかけて現在の教会が再建されました。この大聖堂は壁に墓碑銘や墓標、石棺などが残る大規模な墓所であるところから、陰気な空気が漂っています。創設以来、主に貴族たちが葬られているということです。

photo

トームペアの中心にある大聖堂

旧市庁舎

北ヨーロッパに残る唯一のゴシック様式の市庁舎です。14世紀半ばに最初の建物が建てられ、1404年の増築後に現在の姿となりました。65mの塔の上からタリンのシンボル「トーマスおじいさん」が町の変遷を眺めているといいます。1248年、タリン自治都市の権利を得て、市議会を設立、「議会の間」は法廷としても使われたが、現在も政府のレセプションに使われているということです。

photo

ゴシック様式の市庁舎

トームペアの展望台

トームペアは石灰岩の層でできた高さ約24m(海抜47m)の丘で、市街を見下ろす権力者の居城となりました。神話では古代の王カレフが眠る墓陵とされており、彼の妻リンダの像がトームペア城の南側下にありました。

photo

トームペアの展望台から眺めた景色

城壁

旧市街を取り囲む城壁はタリンで最も重要な建造物です。13世紀後半に作られた三角屋根が特徴の塔が立ち並ぶ木造の城壁で14世紀から16世紀にかけて補強や塔の増築が繰り返されました。周囲には堀や陵郭も造られ、その一部が駅前などに残っています。城壁の長さ2.5km、そのうち約1.85kmが残っています。城壁沿いに歩くと壁際に沿って土産物屋が点在しているので、散策する日も多い。城壁に上ることもできるらしいが、体力がないので遠慮しました。

photo

ムーリヴァへ通りの城壁

4月16日、12:00、専用バスにて空港へ。タリン発14:50、FINAIR AY-1020へ搭乗して所要約35分、ヘルシンキ空港へ。乗継便17:00 AY-0073にて成田へ所要約9時間35分かけて17日08:55成田空港に到着しました。

おわりに

リトアニアとエストニアに関係するエピソードを紹介しておきます。リトアニアの女性大統領Dalia Grybauskaite(ダリア・グリバウスカイテ)氏(在任: 2009年7月12日~)がLY5Nのコールサインを持つアマチュア無線家として知られています。同大統領は、「鉄の女」とも呼ばれ、空手は黒帯の有段者、独身でリトアニア語のほかにも英語、ロシア語、ポーランド語、フランス語を操るベテラン政治家です。写真は2018年1月13日リトアニアを訪問中の安倍晋三内閣総理大臣とリトアニア大統領のツーショットです。

photo

グリボウスカイテ・リトアニア大統領と安倍総理大臣(写真提供:内閣広報室)
出典:外務省ホームページ(https://www.mofa.go.jp/mofaj/erp/we/lt/page11_000076.html)

把瑠都 凱斗(ばると かいと、1984年11月5日 、本名:カイド・ホーヴェルソン Kaido Höövelson )氏は、エストニア出身の元大相撲力士ですが、2018年春、「国会議員」を目指すとしてエストニアへ帰国しました。その時「大統領を目指す」と将来設計を報道陣に話して話題になりました。もしかすると10年、20年後に実現しているかもしれません。(おわり)

参考資料 :地球の歩き方 2017~2018「バルトの国々」エストニア ラトヴィア リトアニア (株)ダイヤモンド社 「バルト三国/ポーランド」クラブツーリズム株式会社 外務省ホームページ「安倍総理大臣のリトアニア訪問写真」