[モルジブからの運用計画]

海老原さんはこれまでに合計5回、スリランカからの運用を行ったが、2回目の2002年は、搭乗したスリランカ航空の便がたまたまモルジブ経由だったため、モルジブのマーレ国際空港で、往路は7時間、復路は1時間の乗り継ぎ時間を過ごした。この時、一部のメンバーから、「せっかくモルジブで飛行機から降りたんだから、ここでも運用してみたいなあ」という声が上がった。

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マーレ国際空港。

これがきっかけとなり、その後モルジブでの免許取得条件などの調査を進め、2006年の5回目の訪スリランカに合わせて、モルジブからの運用を計画した。そして、全日程である2006年1月16〜25日のうち、前半の16〜20日をモルジブから運用する事とした。

免許に関しては、スリランカにある旅行会社を通して申請を行い、比較的スムーズに取得することができた。海老原さんの場合は、英文証明が不要なN3JJの免許をベースに申請を行い、8Q7KEのコールサインを取得した。しかし、この年始時期のモルジブは、クリスマスから新年にかけて長期滞在するヨーロッパからの客でどのホテルも満室状態になっており、無線用アンテナの設置、ならびに24時間運用が可能なホテルがなかなか見つからなかった。

[モルジブ]

モルジブはインドの南西に位置するインド洋に浮かぶ島国で、26の環礁があり、約1,200の島から成り立っている。この内約200の島に人が住んでいる。もともと、6世紀頃に、スリランカから仏教徒が移住してきたと言われており、その意味ではスリランカとは縁深い関係にある。その後12世紀頃にアラブ人がイスラム教を伝えて以後、イスラム教国家となっている。

この国の特長は、空港の島、工場の島、警察の島といった様に、一つの島が一つの役割を果たしている。ホテルも例外ではなく、基本的には島一つが丸ごとホテルになっており、ホテルから外に出るには、船を使うしかない。なお、首都のマーレは2つの島から成っていて、国の最高標高である海抜2.5mの地点は観光スポットにもなっている。この様な地形のため、地球温暖化現象によって海面が1m上昇すれば、国土が80%も減少してしまう恐れがあり、政府は海外の土地を購入して移住計画を進めている。

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船から見た首都のマーレ。高い陸地はない。

[フルムーンモルジブリゾート]

今回の参加メンバーは無線組、観光組を合わせて14人で、後で向かうスリランカでは、無線組6名、観光組8名に分かれて完全な別行動としたが、モルジブでは14人全員が同じ行動をとることにした。一行は1月16日の朝9時に関西空港で集合し、11時発のシンガポール航空機に搭乗し、シンガポールで乗り換えた後、同日22時10分にマーレ国際空港に到着した。

前述のように、なかなか滞在ホテルが確定しなかったが、最終的に北マーレにある「フルムーンモルジブリゾート」に決まった。このホテルは空港のあるフルレ島から高速ボートで約20分の距離にあり、もちろん島全体がこのホテルになっていた。日本人の女性スタッフが常駐していることから、日本からの利用者もそれなりにある様子だった。

このフルムーンモルジブリゾートの宿泊料金は、2人部屋使用でも4泊で1人あたりUS0と、これまで海老原さんが無線運用のために宿泊した海外のホテルの中ではもっとも高額であった。島内には5つのレストランを始め、ダイビングのプロショップ、プール等も完備されており、この島(ホテル)だけの滞在で楽しめるようになっており、「お金は全部この島で使ってくれと言わんばかりと感じたという。

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ホテルの水上コテージとビーチ。

[アンテナの設置]

幸いなことに、海老原さんらが滞在したエリアは1棟独立のコテージになっており、周囲には空地があってアンテナの設置には何の障害も無く、さらに隣のコテージ群までは少々距離があり、インターフェアの心配もなさそうであった。17日は朝からアンテナの設置に取りかかった。モルジブでは都合4基を建てることにして、14/21/28MHz用3エレメント八木、18/24MHz用の2エレメントHB9CV、7MHz用ワイヤーダイポール、1.8MHz用AKIスペシャルを設置した。

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海老原さんらが宿泊したコテージと2エレメントHB9CV。

このうち3エレメント八木はなぜか同調点がなく、試行錯誤の結果、反射器と導波器を外せば動作することが分かったので、最終的にシングルエレメントのトライバンドロータリーダイポールとして使用ことにした。AKIスペシャルは、海辺ギリギリにある金属製のフェンスを利用して設置した。このアンテナ用に2本用意した約100mのラジアルは、1本を海に投げ入れ、もう1本は海岸の砂に溝を掘りそこに埋設し上から砂を掛けて設置した。

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AKIスペシャル。

[運用]

アンテナの設置が終わると、すぐにシャックを構築し、メインシャックにIC-723+500Wリニアアンプを設置。他に、IC-7000とIC-706MK2Gでそれぞれ100Wのシャックを構築した。この17日は17時UTC(現地時間22時)頃から運用を始めた。JH3LSS宮川さん自作の1.8MHz用のAKIスペシャルは快調に動作し、300W程の出力でも、ヨーロッパからのパイルアップになった。

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メインシャックで運用中の海老原さん。

なお、海老原さんは、世界屈指のリゾート地であるモルジブまで来たのに、無線運用ばかりで過ごすのはもったいない気がした。さらに滞在中は天気にも恵まれたため、モルジブでの運用は他のメンバーに任せ、自分は海岸へ出てキャンバスチェアーで寝そべったり、海水浴を楽しんだり、プールサイドで過すなど、くつろぐ時間を多く取った。また、19日はホテルのボートをチャーターして、首都マーレの観光に出かけた。そんなこともあって、モルジブでのQSOは小数に留まった。

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マーレ市内の果物屋。

最終日の20日は朝から機材を撤収し、14時10分マーレ発コロンボ行きに搭乗してモルジブを後にし、スリランカに向かった。スリランカでの運用については、連載No.6263をご覧いただきたい。

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8Q7KEのQSO結果

[RSSLのメンバーをJAに招待]

話は前後するが、2004年12月27日のスマトラ沖地震による巨大津波がスリランカの西海岸地方を襲った。この地方は海老原さんらが何度も訪ねた町が沢山あり、その中でも津波が襲う3ヶ月前に滞在していたニゴンボのブルーオーシャンビレッジホテルは、津波によって全壊し、顏馴染みになったホテルスタッフ2人が犠牲になったと聞いた。

また、この津波でスリランカ西部海岸地方の通信網は壊滅的な被害を受け、4S7VKビクターさんをはじめとするRSSLのメンバーによる非常通信が行われたが、この時使われた機材は海老原さんらが現地に置いてきたHF機であった。そこで、彼等を一度日本に招き、2005年の関西アマチュア無線フェスティバル(関ハム)で、非常通信の様子などを講演してもらうことを計画した。しかし、外貨持ち出しに厳しい制限のあるスリランカでは自費渡航は難しく、日本側からの援助が必要ということが判り、残念ながら関ハムには間に合わなかった。

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講演中のビクターさん。

そこで、少し時期をずらし8月の東京でのハムフェアで再度計画を立てたところ、JARLからの支援も得られ、実現できることとなった。しかし、費用の半分を海老原さんら関西のメンバーで負担せねばならず、各方面に働きかけて何とか費用を捻出できた。招待者はRSSL会長の4S7VKビクターさん夫妻、RSSL顧問の4S7EAアーネストさん、RSSL庶務の4S7KEクザルさんの4名と決まった。

[非常通信の講演]

彼ら4名は、2005年8月19日に来日し、20日はハムフェアでビクターさんに講演を行ってもらった。日本も津波の被害を受ける国土であることから、興味深い内容だった。その晩はアイボールQSOパーティに招待した。21日と22日は名古屋に滞在し、一行は愛知万博の8N2AIなどを見学した。23日は大阪に移動して関西でも講演を行ってもらい、その夜は晩餐パーティを開催した。24日は和歌山に移動して、一行はアイコムの工場見学や高野山への参拝を行った。

25日は京都観光で、JARL京都支部長のJA3OIN橋本さんと海老原さんが案内した。橋本さんが手配した大型マイクロバスで、朝9時に京都駅で出迎え、金閣寺、竜安寺、昼食をはさんで二条城、清水寺、三十三間堂を案内し、17時頃に京都駅に送り届けた。途中アーネストさんが、連日の強行日程の疲労により、足の痛みを訴えたため、海老原さんがかかりつけの狭山医院(JA3ASU狭山院長)へ立ち寄り車椅子を拝借した。一行は26日9時46分関空発のシンガポール航空で離日した。

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金閣寺にて。左から橋本さん、長谷川夫人、ビクター夫人、長谷川さん、クザルさん、アーネストさん。