7)日本のお家芸「小型・軽量化」技術を育てたビデオカメラ開発

ビデオデッキの次は家庭用のビデオカメラ開発が大きなテーマに
ビデオデッキの次の開発テーマはVTR一体型ビデオカメラの開発であった。そして、このビデオカメラの開発競争が日本のお家芸である「小型・軽量化」技術を育てたのである。そして、CCDイメージセンサーやC-MOSイメージセンサーなどの撮像素子の技術進歩をもたらし、今日のデジカメやカメラ付き携帯電話などを生み出すエレクトロニクス技術の源流ともなっている。

「子供の成長記録や結婚式、旅行など楽しい思い出を記録しておきたい」という要求は、フイルムカメラしかなかった時代には、写真か8ミリカメラで撮影するしか方法はなかった。しかし、動画を記録できるビデオデッキの普及にともなって、家庭用のビデオカメラへの要求も強まってきた。テレビ局でしか出来なかったビデオカメラによる撮影を個人が自由に行なえる家庭用のビデオカメラの開発が電機業界の大きなテーマとなった。

2s以下に小型・軽量化することが必要に
「VTR一体型ビデオカメラ」などと言うと、今では「なにそれ?」と聞かれそうだが、当時は記録するVTRと撮影するカメラは、それぞれ別物というのが常識だった。テレビ局のスタジオで撮影する場合も、また屋外でロケーション撮影する場合でもVTRとカメラは別コンポーネントだった。

屋外の撮影では、ポータブルタイプのVTRとビデオカメラをケーブルで接続して使っていた。しかもポータブルタイプVTRと言っても、重量は10kgを超す非常に重たいもので撮影は、カメラ係り、ポータブルタイプVTR係り、それに照明係りと最低3人は必要で撮影チームを組んでいた。家庭用ビデオカメラとなると全てを1人でできるよう2s以下に小型・軽量化を図らなければならない。

ビデオデッキ部とカメラ部の“セパレート型”からスタート
家庭用ビデオカメラの開発の歴史を振り返ると、1978年(昭和53年)1月に、日本ビクターがVHS方式のカセットを使ったポータブル型ビデオカセッター「HR-4100」を発売している。さらに、翌1979年7月に世界最小・最軽量の家庭用カラービデオカメラ「GX-V3」を発売した。

1970年代後半はVHS方式カセットやベータ方式カセットを使ったビデオデッキ部とカメラ部が別々で、これをケーブルで繋いで撮影するといった“セパレート型”が主流だった。またカメラも撮像管を使用していた。まだ、この時代は、家庭用と言っても名ばかりで“大きさ”“重量”“扱いづらさ”のいずれからも業務用主体の使われ方が中心だった。

VHSコンパクトビデオカセット(VHS-C)を開発
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VHS採用12社が規格決定した「VHS-C」カセット

1980年代に入るとビデオカメラに使用するにはVHS方式カセットでは小型化に限界が見えてきた。そこでVHS採用12社は1982年5月、より小型のビデオカメラに適したVHSコンパクトビデオカセット(VHS-C)の規格を決定した。これ以降VHS陣営は、VHS-C方式ビデオカセットを使用したビデオカメラの開発に力を入れていくことになる。 そして日本ビクターは、1982年7月にVHS-C方式ビデオカセットを使ったポータブルビデオデッキ「HR-C3」とビデオカメラ「GZ-S3」を、さらに翌年コンパクトビデオカメラ「GZ-S5」を発売した。またこの頃になると家電メーカーだけでなく銀塩フィルムのカメラメーカーもビデオカメラ市場に参入し始めた。

ビデオデッキとカメラを一体化した“ベータムービー”「BMC-100」登場
家庭用ビデオカメラとなれば1人で持ち運べる重量とサイズにしなければならない。それもセパレート型ではなくVTR一体型ビデオカメラにしなければならない。そこで、ソニーは1983年、ベータ方式のビデオデッキとビデオカメラを一体化した“ベータムービー”「BMC-100」を発売した。

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「VHS-C」カセットを使用した日本ビクターのビデオムービー「GR-C1」のカタログ

翌1984年1月に入ると日本ビクターは世界最小・最軽量をうたったVHS-Cムービー「GR-C1」を発売し、ソニーの“ベータムービー”「BMC-100」を追撃する。その後VTR一体型ビデオカメラにおいて、ソニーは「カメラ」と「レコーダー」を一体化した意味で“カムコーダー”という名称を使い始め。一方の日本ビクターは“ビデオムービー”という名称を使い始める。

8ミリ幅のテープを使ったビデオカセットの開発がスタート
VHS-Cカセットに対して小型化で遅れたソニーだが、井深名誉会長は「ベータマックスが過去のものになるような開発をやりなさい」と技術陣に指示していた。そこで木原主任研究員をはじめとする技術者達は「ベータマックスの2分の1を目指そう」と、より小さな8ミリ幅のテープを使ったビデオカセットの開発を目指すことになり、1979年初めに「80(ハチマル)プロジェクトチーム」を結成し本格的な開発体制を整えた。そして1970年初頭から開発を進めていたCCDを撮像管に代えて採用した小型・軽量の“カムコーダー”を商品化する計画がスターとした。

ソニーがニューヨークと東京で8ミリビデオムービーを同時発表
その開発プロジェクトチームの努力の結果は、わずか4カ月後の1980年7月、ニューヨークと東京で8ミリビデオカセットデッキとCCDビデオカメラを一体化したビデオムービーの同時発表という形で現れた。それまでのポータブルビデオシステムが総重量10kgであったのに対し、5分の1の約2kgという驚異的な軽量化を実現したものだった。

しかし、商品化の時期は明確にされなかった。それは、ベータマックスの規格統一を急いだ結果の反省があったからである。ソニーでは、その時の教訓から8ミリビデオカセットの規格統一には時間をかけてじっくりやろうと考えていたからだ。

世界の122社が参加して「8ミリビデオ懇談会」を設立
同じ頃、日立や松下電器も独自の小型VTR一体型ビデオカメラを発表していた。そこで、日立、松下電器に日本ビクター、フィリップ、ソニーを加えた「5社委員会」を発足させ、規格統一の話し合いが進められた。やがて、これが「8ミリビデオ懇談会」に発展することになる。そして、1982年3月に世界の122社が参加する「8ミリビデオ懇談会」が設立された。すでに技術開発を終え、試作品を発表していたソニーだが、規格統一を呼びかけていたこともあり商品化を控えていたのはこうした背景があったのである。

そして、8ミリビデオ規格が決まったのは1984年だった。ソニーが8ミリビデオムービー発売を正式に発売したのは、翌1985年の「CCD-V8」でこれが8ミリビデオムービーの第一号機であり、実に試作品発表の5年後のことだった。撮像素子に25万画素CCDを使い、6倍電動ズーム搭載で重量は1.97kgと2kgを下回る小型・軽量モデルだった。

パスポートサイズの“ハンディカム”「CCD-TR55」が大ヒット
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パスポートサイズのキャッチフレーズで大ヒットしたソニーの“ハンディカム”「CCD-TR55」

さらに、ソニーは1989年に画期的な小型・軽量化を実現した“ハンディカム”「CCD-TR55」を発売、「パスポートサイズ」をキャッチフレーズに大ヒット商品となる。パスポートと同じサイズで重量は790gと超軽量化を実現し、折からの海外旅行ブームとあいまって小型ビデオカメラの代名詞となったほどで、発売直後から人気を呼び数カ月間、品不足をきたすほどの大ヒット商品となった。

これに対してVHS-C陣営でも日本ビクターが新たな需要を狙って「ネットワークビデオ」を発売した。カメラ部、デッキ部、モニター部を独立させ、これをシステム化して様々な使い方を提案するものだった。カメラ部をヘルメットに付けて撮影したり、長い棒の先にカメラ部を付けてまったく違ったアングルから撮影したりと、新しいビデオカメラの使い方を提案したが、残念ながら市場に受け入れられずに終わっている。しかし、ビデオカメラを様々な分野へ応用できる可能性を示したことは大きな功績だった。

エポックメイキングなシャープの“液晶ビューカム”
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シャープの液晶ビューカム

ビデオカメラの歴史において、もう1つ忘れてはならないエポックメイキングな製品がある。それはシャープが1992年10月に発売した“液晶ビューカム”「VL‐HL1」である。それまでのビデオカメラは撮影時に小型CRTを使用したビューファインダーで被写体を確認しながら撮影していた。液晶技術で先行していたシャープだけに、ビューファインダーの代わりに液晶ディスプレイを本体外側に搭載し、この液晶画面を見ながら撮影できるようにしたもので、それまでの撮影スタイルを一変させた画期的な商品だった。

実は、ビューファインダーを覗くという操作は、眼鏡をかけている人には非常に使いづらく、また女性にとってはアイシャドーを汚したりすることから嫌われていたのだった。液晶ディスプレイの搭載は女性のビデオカメラユーザー拡大に大きく貢献した。特にビデオカメラは若いお母さんたちが子供の成長記録に使いたいと思っているだけに液晶ディスプレイの果たした役割は大きいものがある。そして、“液晶ビューカム”の登場以降はメーカー各社がビューファインダーの代わりに液晶ディスプレイを搭載するようになり、現在のビデオカメラやデジカメもこのスタイルを踏襲、そのルーツとなった商品だ。

ビデオカメラがその後の様々な映像機器への発展を促す
そして、ビデオカメラの記録方式はアナログの8ミリから、デジタルのDV方式へと移行してゆく。さらにデジタル化の波は8cmDVDや小型HDD、フラッシュメモリを採用した固体記録媒体の採用へと進化して行く。ビデオカメラのサイズも手のひらにすっぽり隠れるような小型・軽量タイプへと技術の進歩はとどまるところを知らない。ビデオカメラ開発の歴史は、その後の様々な映像機器への発展を促し「エレクトロニクス立国日本」を確固たるものにして行くのである。

『参考文献』 日本ビクター創業70周年記念史、Web:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、Web:Sony Japan|Sony History