5)戦前の静岡のハム達(1)

[わが国のアマチュア無線]
浜松クラブのメンバーには横山さんのほかに、西田亮三さん、岡本忍さんの2人の戦前のハムが加わっていた。これまでの調べでわかった結果では、戦前、静岡県には一時的に在住した人を含めると23名の個人無線局があった。静岡県は戦前は東京逓信局管内に属し、戦後の再開後は東海電波監理局に属した。このため、この「週刊BEACON」で連載を終えた各エリア単位の戦前のハムの歴史では静岡県に触れていなかった。

そこで、静岡県の戦前のアマチュア無線についてできる限り追いかけてみた。わが国の個人による無線通信は大正14年(1925年)ころに始まったといわれている。現在のNHKである東京放送局がラジオ放送を開始したのが、大正14年(1925年)であることを考えると早いように思われるが、大正の始めに個人で電波を出していた米国と比較するとやはり遅い。

わが国で無線通信を始めた最初の個人は誰かということになると正確には特定できない。これまでのところは、中波では東京、短波では神戸・大阪というのが定説になっている。その後、両地区が短波でつながり、しばらくして両方の人々が東京に集り「日本アマチュア無線連盟」を設立することを決めた。発足は大正15年(1926年)6月であった。

この時の最初のJARL会員37名は2人を除いて関東と関西の人達であった。2人とは三重県の山口喜七さんであり、もう一人は上海の佐藤俊秀さんであった。山口さんについては、この別の連載である「東海のハム達。森さんとその歴史」に詳しく書かれている。いずれにしても、その後のしばらくの「アマチュア無線」の歴史は関東、関西の歴史であった。ただし、浜松に転勤してきた佐藤謙次さんはJARL創立時の会員で、J1FMという非公認コールを当時もっていた。


静岡県の戦前のハムリスト
氏名 戦前コール 戦後コール 生年月日 免許取得日 住所
静岡逓信講習所 J1AM 2.3.1 静岡市北安東 J2OA
浜松高工 J1BF T14.6.25 浜松市広瀬町 J2BD
長田祝太郎 J1EQ M44.9.22 6.3.25 浜松市常磐町 J2HOJ3FC
山尾善一郎 J1FY T4.1.12 7.10.27 浜松市広沢町 J2JL
杉山兼吉 J1FO M44.4.12 7.7.1 静岡市三番町 J2IF
黄 泰永 J1GI T4.2.20 8.3.31 浜松市広瀬町 J2IQ
山崎 孝 J1GJ T4.8.10 8.4.28 静岡市春日町 J2IR
大幸理作 J1GP M45.5.20 8.8.16 浜松市外入野村 J2IT
櫻田政雄 J1HQ T2.11.2 8.12.15 静岡市受新川 J2JQ
平尾 康 J1IA T6.1.31 8.12.15 磐田郡中泉町 J2JR
佐藤謙次 J2IN M36.12.20 7.12.15 浜松市上池川町 J1GA
静岡工業 J2JT 5.9.2 静岡市東鷹匠町
酒井理一 J2KO M44.1.6 9.4.12 静岡市下石町 J2KO
西田亮三 J2LV T4.5.1 9.12.19 浜松市砂山町 J3GA
三宅三郎 J2MO T5.5.15 10.7.23 浜松市広沢町
横山正巳 J2OD T6.5.16 11.12.15 磐田郡豊濱村
湯山寿一 J2OI JS1MBB T10.10.2 12.1.20 沼津市四本濱
鈴木定雄 J2OL 12.2.4 浜松市 J3CD
大坂 朗 J2OY M44.9.2 12.4.14 浜松市名残町
栗田 稔 J2OO 12.2.15 浜松市外入野村
崔 邦鎭 J2OR 12.2.15 浜松市広沢町
岡本 忍 J2XB T8.4.19 12.12.8 磐田郡東浅羽村
小林俊二 J2XC T4.2.2 13.2.8 清水市清水
小林 寔 J2XE M28.6.13 14.4.21 志太郡焼津町 船舶用
仲川鈴夫 J2XF JA2AB M43.9.28 15.6.7 清水市櫻ヶ丘
清水無線電機 J2YA 13.6.7 清水市松原町
小林英太郎 J2YB 14.8.15 船舶用


[J1からJ2への変更]

浜松クラブの会報第1号

昭和2年(1927年)9月10日、わが国初のアマチュア無線局が許可された。当時は「短波私設無線電信無線電話実験局」という長い名称の許可であり、8名に与えられた。その後もしばらくは東京逓信局が、東京府、千葉県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県、山梨県、静岡県の1府8県の行政を取り仕切ったが、静岡県にハムが誕生するまではもうしばらくの時間が必要であった。

東京逓信局管内の静岡県もJ1のプリィフィックスとなり、その後プリフィックスは昭和9年(1934年)2月1日付けでJ1はJ2に変更される。昭和7年(1932年)にマドリッドで議定された「国際電気通信条約付属一般無線電信規則」変更により、私設実験局には「0」「1」の使用が禁止されたためであった。このため、J1局はすべてJ2局となったいきさつがあった。

この結果、従来からの名古屋逓信局管内のJ2局と合わせると、膨大な数のJ2局が生まれたことになる。名古屋逓信局管内は愛知県、岐阜県、福井県、三重県、石川県、富山県、長野県であったため、1府15県の広大なJ2エリアが誕生した。掲載した「静岡の戦前のハム」リストには、J1からJ2に変更されたコールサインも記載している。また、転勤、転属により一時的に静岡に居を構えたハムも合わせて載せた。

[活発だった浜松地区]

村松さんのSWL時代の受信機と集めたQSLカード

戦前のハムの数を都市別に概観すると東京市、大阪市、神戸市、仙台市に次いで浜松市が多いことに驚く。神戸市はアマチュア無線発祥の地としての伝統があり、仙台、浜松両市もそれなりの理由があった。浜松市と隣接の磐田郡を加えるとハムの数は14名におよび、静岡県の3分の2を占めるが、村松さんは「周辺の軍事施設に勤務した軍人グループと浜松高等工業の高柳健次郎さんの門下生がハムとなったのが理由」と説明する。

村松さんによると「大正末期から浜松の北部にある三方ケ原台地には陸軍最初の爆撃隊ができ、それにともない通信、高射砲、気象の各隊が置かれ、有線、無線の通信が盛んに行われた」と言う。当時の無線は技術面で改良の余地が多く、多くの通信兵や教官が熱心に勉強したらしい。尉官クラスの教官は近くに下宿しており、その当時の様子の一部は村松さんも聞いている。