16)村松さんのハム生活(5)

[万全の戦略]

秀島さんから届いたQSL電報。村松さんは電報電話局で受け取った

秀島さんは全国各地からの要請に対してスケジュールをつくり、公表していた。朝(0730〜0830)と昼(1200〜1300)が7MHz、夜(2300〜2315)が3.5MHzであった。7MHzしかもたない村松さんは、用心のためクロス交信も準備し同じ浜松の橋川政吉(JA2CN)さんと、守屋俊威(JA2EY)さんに協力を求めていた。

JA2とJA6の交信は比較的楽であり、事実、村松さんはその後17日から20日まで連続して秀島さんの試験電波を「57」で捕らえている。戦略通り進めばまずNO1になれる計画であった。当時、WAJA完成1番をねらっている他のハムも同様にさまざまな戦略をもっていたが、村松さんは立てた戦略に自信をもっていた。

「ネラカ作戦」
村松さんは、これら一連の戦略を「ネラカ作戦」と名付けた。ネラカとはQSLを和文で表現するとネラカになるためであり、「QSLをいかに早く届けるか」を最重要視した戦略だからであった。村松さんの「ネラカ作戦」立案にあたっての分析は「秀島さんからのQSLは速達で交信各局に配達されるだろう」「受け取った局は46枚のQSLを速達でJARLに申請するであろう」

さらに「そうであるならば、かりにQSOが半日や1日遅れであっても申請までの時間を短縮する方法はないか」と真剣に考えた。そこで、QSLを電報で受け取り、46枚のQSLを持って列車で上京し、申請することにした。しかも「QSL電報は、配達してもらわず、浜松駅前にあるNTT浜松電報電話局の窓口で直接受け取り、列車に飛び乗る」ことまでやってのける計画であった。


秀島さんからのQSLカード

12月20日、村松さんの分析は「九州電波監理局の岩下検査官らは、熊本から19日に長崎を経て、この日に秀島さんの落成検査を行う。したがって、試験電波は今日限りであると予想し、スケジュール確認の交信をし“無事合格を祈ります。さようなら”の交信をした」と言う。ところが素晴らしい分析力、発想力の村松さんに予想外のことが起きた。

[しまった。下りたか]
村松さんはこれまでの体験や情報から秀島さんの免許は25日に下りると予想した。このため22日には申請用の45枚のQSLカードを何度も見直し「万一のことを考え、各県のカードは2通り、3通りを持って行く準備をした」と言う。そして23日の夜、近くの細田徹(JA2FG)さんの家に行き送信機を話題に熱中していた。「24時少し前、何気なく受信機のスイッチを入れると3.5MHzが馬鹿に騒がしい。JA6CO秀島さんを呼んでいる声が盛んに聞こえる」


表には「WAJA NO1(交信)ができず残念」と書かれている

「しまった。下りたか。スケジュール時間も過ぎている。もう駄目か」とがっくりする。追い討ちをかけるように、出田さん、円間さん、高須良二(JA2DO)さんらがWAJA完成と興奮の交信をしている。急ぎ帰宅すると、秀島さん、出田さん、監理局からの電報が3通。「23日 6CO 6DM免許さる」の電文。「受信機にスイッチを入れ午前3時半ころまでコールするが、応答なし。油断だった」と村松さんは一睡もできなかった。

眠られないまま考えた。「すでに6時間から7時間の遅れ。しかし、こういうことも想定してのネラカ作戦。十分取り戻せる」と村松さんは気を取り戻した。24日午前7時35分。秀島さんとJA1局との交信終了を待って送信を開始。7時40分交信。正午、QSL電報とたくさんのQSLカードを持って列車に飛び乗る。夕方、庄野さん宅に着くが「残念ながら私は担当ではない。横浜の林一太郎(JA1BZ)さんが窓口。」と言われてしまう。

[よる10時の申請]
庄野さんは「遅くなってもよいように林さんに電話をしておきます。また、地理不案内でしょうから、横浜クラブの誰かを駅前に出迎えるように手配しましょう」と言われる。「涙が出そうな心配りに感謝して急ぎ横浜に。林さんのお宅には夜10時着。受け付け番号1番をもらう。この6カ月間1日たりとも忘れなかったWAJA挑戦が終わった」喜びがこみ上げてきたと言う。

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林さんは夜10時の時刻入りで「WAJA申請分QSL」の預り証を書いてくれた
しかし、WAJA賞の審査はややもめた。簡単に言えば46番目の局との交信完了時刻か申請時刻かであった。WAJA審査委員長の林さんは、関係者の意見を聞いた上で「当初から決められていた通り申請順に処理します」と決定。その後もJARLのアワードは申請順になっている。

林さんはWAJAの申請の審査の結果として「46枚のカード゛を揃えたものの、中には本免許以前の交信カードが混じっているなど、審査には時間がかかった。その中で、村松さんのカードは完璧なものであった」と言う。村松さんは「出力6Wの局がWAJAの上位争いすることになるとは思わなかった。」と後日つくづくと思い出を語っている。なお、WAJA賞の順位は、村松さんに次いで出田さん、鳥羽是鏡(JA1GO)さん、藤山義佑(JA2AS)さん、円間さん、となった。

WAJA達成で肩の荷を下ろし、就職のために名古屋に移る村松さんは「少なくとも当分はアマチュア無線はできなくなる。あるいは将来ともにできなくなるかもしれない」と考えていた。それを知った浜松の仲間が12月28日に別れの「ラウンドQSO」を催してくれた。その数10名。3時間に及ぶQSOとなった。村松さんは「浜松のハムの卵達も最後まで聞いていたらしく、もう思い残すことはない」と満足した。