第18話 親バカが狂わせた人生 〜入試問題密売事件〜



自転車、バイク、マイカーが並び、活気に満ちた大阪市大杉本町キャンパス。ここに 7人の不正入学者がいた。「大学紛争より憂鬱」だったあの事件から、もう30年になる。(大阪市住吉区で)

大阪市立大学の渡瀬譲学長が記者会見で、小がらな背をまるめて切々と語る。「声涙ともに・・・・」とは、こんな言葉をいうのだろう。昭和46年(1971年)3月10日、薄ら寒い午後だった。

「学生諸君・・・・、私は刑吏ではない。ひとりの教育者として、君たちの良心を信じる・・・・。身に覚えがあるのなら、自ら名乗り出てほしい。ひとりの人間として自分自身で出直してほしい・・・・」
「身に覚えがあるのなら・・・・」とは、穏やかでない。学長がこんな言葉を使ってまで呼びかけるとは、学生たちは一体、何をしでかしたのか。記者たちは、殺気立っていた。

この事件は“殺し”から始まった。大阪市西区新町の路上に駐車するサンダーバードのなかで、宅建業社長の姜旭生が殺されていた。1月30日の朝だった。各社の捜査1課担当が、ラジオカーでかけつける。刺し傷が42カ所、ポケットに10万円。40歳、派手な女性関係、出所不明の預金が1200万円、犯歴が5つ・・・・。

恨みかいざこざか、大金の出所がわかれば解決は早い、誰もがそう思った。だが、箝口令が出たのか、大阪府警の捜査本部の口が異様に堅い。夜討ち朝駆けを続けて1カ月、朝日の1課担がこんな話を聞きこんできた。

「新聞に出たら消されるヤツがいる・・・・、おミヤになってしまう・・・・」
おミヤとは、迷宮入りのことだ。なにっ、そんなに怖い金なのか。あせり始めた直後、M紙とY紙に大見出しですっぱ抜かれた。3月5日の朝だった。

「大阪刑務所で入学試験問題抜き取る」「社長殺し、大学不正入試事件に発展か」
大学入試は始まっている。“殺し”どころではない。「おまえら、たるんどるっ・・・・」と、桑野キャップが怒鳴った。第13話「よど号」、第17話「甲子園」に登場したあの桑野将記者である。府警グループに遊軍、教育、大学担当まで加えた特別取材班をつくり、翌日の朝刊で追いついた。

「阪大と大阪市大、入試問題の売買自供」「大阪刑務所で抜き取り」
刑務所で姜の仲間だった2人が、こんな自供をした−−。大阪刑務所で印刷した大阪大学と大阪市立大学の入試問題を、43年度から45年度まで3年間にわたって盗み出した。その問題を500万円から1000万円で、50数人の受験生の親たちに買ってもらった。うち10数人が合格している、というのである。

刑務所から盗んだ、というだけでも大事件なのに、大金を積んでその問題を買ってもらい、入学したヤツがいる。入学定員は決まっているから、不正入学の人数だけまじめな受験生が弾き出されたことになる。そんなバカなことがあっていいのか。

前例のない不祥事だった。文部省と法務省が緊急調査を始める。参院予算委員会での緊急質問に、坂田文相は「言語道断。不正入学者が判明すれば、大学当局は当然、退学処分にすると思う」と答えた。釜洞醇太郎阪大総長はさらに「阪大に在籍した事実も認めない」と強調した。学籍からの抹殺である。全国の国公立大学に衝撃が走った。

刑務所内の印刷作業は服役者の仕事だが、厳しい監視の目をくぐって、一体、どんな方法で入試問題を運び出したのか。犯行グループは5人。首謀者が殺された姜で、仮出所中の2人と服役中の2人が仲間だった。4人は、こんな自供をした。

服役中の2人が印刷した問題を製本前に抜き取って、バレーボールのなかに隠す。30分の運動時間中に、看守の目を盗んで高さ5メートルの塀の外に放り出す。外で仲間が受け取る。深夜に、はしごとロープで塀を乗り越えて問題を運び出す。

出所した仲間が「忘れた日誌をとりに来た」と刑務所を訪れる。看守が服役中の仲間から受け取って渡す。その日誌のなかに、入試問題を隠していた。姜は2人の看守の家族にまで金品を届けて、協力させていたのだった。

待兼山の緑に包まれた大阪大学豊中キャンパス。江戸時代の「懐徳堂」以来伝統の自由な学風を汚した10人の不正入学者も、ここで教養課程を修めた。(豊中市で)

受験生の親を姜に紹介した仲介者が浮かんだ。医師、歯科医師、接骨医、医療器具商、診療所長ら10余人。こんな人が、なぜ、と信じられぬ思いで取材を始めたら、とんでもない名前がとびだした。大阪の衛星都市の教育委員長で、医院を経営するAだった。阪大医学部をめざして浪人中の息子に、知人の医療器具商Bの仲介で姜から問題を買ったという。そして、息子は合格した。この事件を象徴する組み合わせだった。

「よしっ、A父子とBに単独会見、これでいこう・・・・」。出足で完敗したこの事件、巻き返すにはこれしかない−−。桑野キャップの執念が乗り移ったように、ベテランの事件師・E記者が「まずBをつかむ・・・・」と腰をあげた。3月8日の昼過ぎだった。

同じ思いなのだろう、B宅には各社が張り込んでいた。夕刊が終わったころに出直す。「主人の行方がわからない」と、奥さんが青ざめている。なんとか、玄関わきの居間にあげてもらった。朝まで待とう、とEは腹をくくった。

奥さんに嫌われたら勝ち目はない。子供の勉強、物価高・・・・。3時間も話し続けた。四国の寺が実家と聞く。何げなく口ずさんだのが、大学時代に仏教青年会で覚えた般若心経。奥さんの表情が、ふっと柔らぐ。何度も玄関のベルが鳴る。各社の府警メンバーに違いない。奥さんに目で合図して、追い返してもらう。「あくどすぎるか、いや、これは戦争や・・・・」。自問自答しながら、Eは待ち続ける。

午後7時半、やっとBが帰ってきた。手にM紙の夕刊。「A教育委員長も」という大見出しに赤線が引いてある。「Aさんは、自殺するかも・・・・、そうなれば、私も・・・・」。何を聞いても反応がない。「わかりました。朝日の通信網で2人を捜しましょう」。奥さんも「そうしよう・・・・」という。Eがまた、つぶやく。「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦・・・・」。ふっきれたように、Bが立ち上がった。

Bと2人でA宅に。やはり各社が張り込んでいる。こっそり裏口から入る。暗闇のなかで、奥さんが泣いている。「助けて・・・・」とすがりつく。連絡があれば、Bさんの家に来るように、と頼んで引き返す。9時すぎ、やつれきったA父子が来た。「こわい、真実を書いてほしい・・・・」と、Eにすがりつく。車でホテルへ。桑野らが待っていた。

ホテルの一室でA父子とBは、桑野の質問に答えて入試問題売買のいきさつを赤裸々に語った。Eら3人が交替でメモをとり、別室から電話で社会部に送り続けた。語り終えたAが、ポツリとつぶやいた。「無人島へ、行きたい・・・・」。

翌9日の朝刊3面は、こんな見出しで埋まった。

「入試問題 いもづる式 次々と買う」「本社記者と会見」
「教育委員長が一役」「長男に500万円 はじめは半信半疑」
「1000万円に値上がり」「東大は5000万円との話」
事件の全容を伝える決定的な特ダネだった。同じ朝のY紙に、こんな見出しがあった。

「自殺のおそれ A教育委員長保護願い」
抜いたものと、抜かれたもの・・・・、乾杯と、やけ酒と・・・・。事件記者の哀歓は、いつもむごいほどくっきりと分かれる。Eはその朝、疲れ果てたAと2人で携帯無線機を持って北陸に向かった。食い下がる各社を避けるための2〜3日の温泉逃避行で、捜査本部にはもちろん桑野キャップがひそかに連絡ずみだった。


入試問題密売ルート

A父子とBが語った内容を、紹介しよう−−。

「試験問題が買えるツテがある」と、BがA宅を訪ねたのは42年の暮れ。半信半疑で会った男が姜。「全国どこの大学でも入れてやる。阪大なら500万円」という。そんなうわさは聞くが、まさか・・・・。Aは信じなかった。

翌年3月、入学試験の2日前に再び姜が来た。「阪大の入試問題や。違ってたら金はいらん」と、白い封筒を見せる。ぐらっときたAはついに「本ものなら、落ちても金は払う」と受け取る。入試問題のコピーだった。「アテにならん」といいながらも、息子は回答を考える。試験で、そっくり同じ問題が出た。3日後に現れた姜に、Aは500万円を渡した。息子は念願の阪大に入学した。

44年度入試でAは「娘を医者にしたい」という岡山の友人を姜に紹介した。こうしてAも仲介者になり、Bと2人でこの年に10人集めた。値段は800万円から1200万円。箕面のホテルで試験前日まで合宿し、問題のコピーを配って模範回答を教えた。阪大に7人、大阪市大に2人が合格、落ちたのは30代後半の男性1人だった。

45年度には、Bが4人集めた。値段は計2700万円。合宿はしたが数学と英語の模範解答がそろわず、全員が落ちた。それでも姜は、5000万円出せば東大の入試問題が手に入る、と話していた。

「お世話になったA先生に、恩返しをしたかった」とB。「医者の子は医者になるのが一番いい、ワラにもすがりたい気持ちで・・・・。親バカだった」とA。そして息子は「医学部は、もうあきらめる。ブラジルへでも脱出しようかな」と、寂しく笑った。

事件の記録によると、結局、3年間の不正受験者は35人、うち17人が合格した。阪大が10人、大阪市大が7人で、全員が退学または除籍処分になった。そして、次点で不合格になった気の毒な受験生たちが、救済された。

裁判では、入試問題を盗み出した4人が懲役4年6月から1年2月の実刑判決。2人の看守には懲役2年と1年6月、執行猶予4年と3年、という判決が出た。大阪刑務所でも、所長以下19人が管理責任などを問われて減給、戒告、訓戒などの処分を受けた。

当時の新聞を読み直して驚くのは、入試問題を買った親のほとんどが医療関係者か教職者、その子も大半が「医学部志望」だったことだ。「医は仁術でなく算術」「医院経営こそ安定産業」などと酷評された世相が、この事件に凝縮されていたように思う。

金さえ出せば何でも買える、わが子さえ幸せになればいいと大金を積んだ親と、姜から多額の報酬をもらった仲介者たちの罪は「カンニング程度、偽計業務妨害にはあたらない」ということで、結局は問われなかった。しかし、世論は彼らを許さなかった。


この不況、失業率7%というのに、いまもなお「満足な教育は親の財力次第」だそうだ。書店には、早くも大学入試参考書の特設コーナーができた。親バカが子の人生を狂わせたような事件は、2度と起きてほしくない。(大阪市阿倍野区で)

教育委員長を辞任して医院を閉鎖したA、病院を廃業した理事長、辞職した総合病院の部長、医師会を除名された開業医、諭旨免職処分になった小学校長・・・・。これが親たちのエゴの代償だった。子供たちもまた、被害者だったのである。なんとも暗いこの事件は、実に多くの人生を狂わせてしまった。

それにしても殺された姜は、親バカを手玉にとって一体、何億円稼いだのか。入試問題を密売したのは本当に3年間だけか、売りつけた受験生は35人だけだったのか。いまとなっては、もはや知るよしもない。

大学もまた、被害者だった。ただひとつの救いは「君たちの良心を信じる」という渡瀬学長の呼びかけに応えて、大阪市大で5人がいさぎよく名乗り出たことだろう。あの青年たちもすでに五十路、挫折を超えて、いまは王道を歩み続けていると信じたい。



◇参考資料・文献◇
朝日新聞記事、大阪大学ホームページ、大阪市立大学ホームページ