ホームアマチュア無線機器トップBEACONトップOnlineとーきんぐ > No.204 「東欧、ルーマニア・ブルガリア紀行」その2

Onlineとーきんぐ


前の記事  | 

No.204 「東欧、ルーマニア・ブルガリア紀行」その2

6月16日
9時、ホテルを出発してブカレストの町を通って南下。国境の町ジュルジュに入りました。ブルガリアの北の国境であるドナウ川に面し、ジュルジュとは「ジュルジュ=ルセ友好記念橋」で結ばれています。 11時過ぎに国境を越えてブルガリアへ。まわりの看板はキリル文字になりました。

※主にスラヴ諸語を表記するのに用いられる表音文字の体系の一種。ブルガリア語やセルビア語、ロシア語など多くの言語に使われている。

パスポートを現地ガイドから審査官に渡し入国スタンプを押してもらい、両替所で50ユーロをブルガリアの通貨の"レフ" (複数はレヴァ)に両替しました。ブルガリアは1ユーロを1.955831レヴァに固定しているため、約97.5レヴァを受け取りました。1レフは約66円と覚えて買い物に備えます。因みにブルガリアの平均年収は約53万円、物価はヨーロッパで一番安いと言われています。

photo

ブルガリアと周辺国のマップ (※クリックすると画像が拡大します。)

ブルガリア
日本の3分の一の面積(北海道よりやや広い)に717万人(2015年、世銀)、首都ソフィア、冬は寒くて夏は暑い国柄です。宗教はブルガリア正教。中央アジアの遊牧民のブルガール人とスラヴ人を祖先にもち、オスマン朝に14世紀から約500年間支配されるなど異文化が混ざり合い、ヨーロッパでありながらアジアの雰囲気を漂わせています。

ブルガリアといえばヨーグルトをイメージしますが、ここで日本とのつながりを示すエピソードを紹介しておきます。1960年代半ば園田天光光氏が駐日ブルガリア大使夫人から自家製の種を使ったブルガリアヨーグルトの作り方を習得し、日本では馴染みのなかったプレーンヨーグルトが健康に役立つことと作り方をテレビなどで披露して主婦層へ広めました。1970年、大阪万博のブルガリア館でヨーグルトを試食した明治乳業の幹部がその味わいに感銘を受けて、1973年ブルガリア政府との長い交渉の結果、国名ブルガリアを商品名に使用した「明治ブルガリアヨーグルト」を発売するに至りました。

※園田天光光(そのだ てんこうこう、1919年1月23日‐2015年1月29日)。政治家、日本初の女性代議士の一人。ブルガリアへの医療物資の支援と交流により、2009年5月ブルガリアにおける外国人に贈られる最高位の勲章「スタラ・プラニナ」を受章。夫は元外務大臣・園田直氏。

国境を越えてブルガリアのイヴァノヴォへ。所要約4時間30分/約290km、昼食はTEODORA PALACE HOTELにてギュベチ(ブルガリアの煮込み料理)とプリン。食後、イヴァノヴォに移動、国立公園の細い山道を歩いて"岩窟教会群"へ。13世紀半ばに硬い岩を切り出して造られた教会"主の渓谷聖堂"があり、その内部に聖人を描いた壁画(フレスコ画)遺されています。中世ブルガリア美術の傑作と評価されて1979年に世界遺産に登録されました。

photo

イヴァノヴォ岩窟教会群の壁画

13時40分、イヴァノヴォを出発。15時10分ヴェリコ・タルノヴォに入りました。ブルガリア最大のバルカン山脈の東部にある人口約7万の地方都市です。森と丘、ヤントラ川の切り立った美しい崖を見ることができました。1187~1393年、第二次ブルガリア帝国の首都「タルノヴォ」として栄えました。イヴァン・アセン王治下の最盛期にはバルカン半島のほぼ全域を支配したこともありました。周囲を蛇行するヤントラ川沿いに広がる町並みとアセン王のモニュメントが見られます。16時10分~16時25分、"ツァレヴェッツの丘"を見学。第二次ブルガリア帝国の時代に丘全体が宮殿でしたがオスマン朝の猛攻によってがれきの山となり、現在は頂上に大主教区教会が建てられています。

photo

アセン王のモニュメントと町並み

photo

ツァレヴェッツの丘

16時32分、早めにホテル(MERIDIAN BOLYARSKI)に入りました。夕食は生演奏が流れる中、ビーフのデミグラスソースがけとサラダ、クレームブリュレを食しました。

※カスタードプディングに似たデザート。カスタードの上面に砂糖をグリルやバーナーで焦がした硬いカラメルの層が乗っている。

photo

ビーフのデミグラスソースがけ

6月17日
8時45分ホテルを出発。ヴェリコ・タルノヴォからシプカ峠へ向けてバスを進めると、峠の小さな村に高さ32mの巨大な自由の碑がそびえていました。露土戦争の激戦の場所で後方の玉ねぎ型の金色のシブカ僧院と共に戦死したロシア兵を悼んで建てられました。地下の墓標にロシア「ロシア・ブルガリア連合軍の勝利により、ブルガリアはオスマン朝の支配から脱することができた。」と記してあります。

※露土戦争 (1877年-1878年)(ろとせんそう)は、ロシア帝国とオスマン帝国(トルコ)の間で起こった戦争のひとつ。ロシアが勝利してバルカン諸国が独立を回復しました。

photo

シプカ僧院

11時30分、バラの谷として有名なカザンラクへ移動しました。バラ祭りは6月第1週末にパレードやイベントでにぎわうが、6月中旬はバラが摘み取られた直後とあって辺りは静まり返っていました。唯一、バラ製品のお土産屋さんが観光客でにぎわっており、ローズオイル、ローズハンドクリーム、バラエッセンス入り石鹸、バラの香水入り人形の置物などに人気がありました。

photo

バラエッセンス入り石鹸とブルガリアのショットグラス

11時40分カザンラクへ到着。町の北東トュルベト公園内にある "トラキア人の墳墓"を見学しました。1944年、防空壕建設中に偶然発見されました。大規模なトラキア人共同墓地の一部をなしており、狭い回廊と丸い埋葬室とから成っています。紀元前4世紀後半から紀元前3世紀ころのフレスコ画で戦闘場面や葬送儀礼の様子が色彩豊かに描かれています。オリジナルの墳墓は非公開で、その隣に忠実に再現されたレプリカを見学することができます。1979年には世界遺産に登録されました。

photo

"トラキア人の墳墓"のフレスコ画

12時過ぎにレストランで昼食。ブルガリアの代表的なサラダ、ショプスカサラダ(キュウリ・トマト・チーズ)とピーマンの肉・米詰め)。車窓からバラ園、ラベンダー畑、ひまわり畑を見ながら西へと移動しました。時折、雨が降る中、首都ソフィアへ入り、16時40分ごろホテル(SUITE HOTE)に到着しました。

photo

定番のショプスカサラダ(白チーズがかかった一般的なサラダ)

6月18日
8時30分ホテル出発。ソフィアの南約65km、リラ山脈の山深くにひっそりと佇むブルガリア正教の総本山"リラの僧院"を訪ねました。10世紀ころ、僧イヴァン・リルスキが隠遁の地としてこの地を選び小さな寺院を建立したのが始まりとされます。現在の形になったのは14世紀、時の王の庇護のもとで僧院文化が花開きました。1983年、世界遺産に登録。

photo

リラの僧院

photo

リラの僧院のフレスコ画は美術的な価値が高いと言われている

昼食後、ソフィア中心部から南西に8km、ヴィトシャ山麓に建つ"ボヤナ教会"を見学しました。11世紀に創建された後、13世紀と19世紀に2度増築を行い、建物は3つの部分からできています。内部のフレスコ画は写実的で表情豊かに描かれていることから有名です。内部は撮影禁止なので写真はありません。1979年世界遺産登録。

photo

ボヤナ教会(11世紀に創建、13世紀と19世紀に増築した)

この後、ソフィア中心部を歩いて観光し、セントラル・ハリ市場でお土産のチーズを買い、19時ごろ中心部を出発してソフィア空港へ。トルコ航空TK1030に搭乗して21時40分出発、23時05分イスタンブール空港に到着しました。

6月19日
TK-52便に乗り継いで1時40分出発、6時間の時差を乗り越えて19時30分成田空港に戻りました。

おわりに
日本から直行便のないブルガリアとルーマニアは行きにくい国の一つですが、それだけに見るべき世界遺産(ルーマニア9か所、ブルガリア7か所)が多くあるのにもかかわらず、観光地としては未開発のような印象でした。1000年前の貴重なフレスコ画が目前で見られる体験と共に加えて歴史の多様性に感銘を受けました。東欧の民族と国家の成り立ちついても考えさせられました。ブルガリアでは「はい」が首を横に振り、「いいえ」で首を縦に振るしぐさが日本と全く逆でしたし、お土産に買ったブルガリアの民族CDを聴くと日本民謡に似た旋律を見つけて、親しみを感じました。

参考資料:地球の歩き方2015~2016 ブルガリア ルーマニア
クラブツーリズムの旅、同旅のしおり


前の記事  | 
←記事一覧