1941年、当時5才の松ヶ谷卓平さんは日米開戦の報道を聞き、はじめてラジオの存在を知る。その後受信機を自作し、改良を重ねながらSWLを10年経験した後にライセンスを得てJA2TYを開局する。

その後アクティブに無線活動を行う一方、自作が好きで、早期にSSBに挑戦したほか、様々なジャンルに挑戦する。その傍ら、JARLの評議員、三重県支部長なども歴任し、アマチュア無線の普及、活性化にも熱心に取り組む。

また、アマチュア無線以外にも天体観測、写真、パソコンなど多彩な趣味をもち、最近ではピアノも始めるなど、チャレンジ精神が旺盛で、リタイアした現在でも妥協することなく挑戦し続けている。

※掲載内容は取材当時のものです。