中国・上海からアマチュア無線家7人を迎えてSEANETコンベンション大阪大会が盛り上がった翌週、上海ラジオスポーツ協会(SRSA)の招きでラオポンユウ(老友)と親交を深める目的で経済発展が著しい上海を訪ねました。2001年、上海市同州模範学校のクラブ局BY4CTZに無線設備を援助し、2003年BY4BSJに技術援助を行うなど濃密な交流を続けていましたが、その後の老友たちの消息と上海アマチュア無線界の様子が気がかりでした。

1977年、上海のリーダーBY4AAの台長(局長)徐儒(シュル)さんとBZ4AYL陳蓉女史が上海から船で神戸港へ、ここで新幹線に乗り換えて東京へ。JARLを訪ねて歓迎会が開かれました。このとき雑誌編集者として両OM/YLに初体面、それから20年近い交友になります。因みに徐儒先生はSRSAの副会長を経て現在は上海ハム通信設備公司の総経理(社長)を務める傍ら個人局BA4AAを開局してアクティブ、陳蓉女史は上海先鋒模型広告センターの副総経理として活躍されています。

都市水郷”朱家角”ののどかな風景

上海のまとめ役BA4AA徐儒先生

アクシデントに見舞われる

成田空港からノースウェスト便で2時間半、上海の浦東空港へ降り立ちました。税関検査を済ませて到着ロビーへ。SRSAのチェンさん(BA4EH)とヒョウさん(BG4BWH)が迎えに来るはずが30分たっても現れないので、なにかの行き違いとあきらめて、自力でオリンピックホテルに行くことにしました。一度乗ってみたかったドイツ製の高速モノレールは営業を終わっているらしく、仕方なく高速バスを利用することにしました。

バスの案内所で「オリンピックホテル」と言うと、「3番路線に乗れ」、バス停で乗務員に確認すると乗るように指示されて市の中心部へ向かいました。乗務員の目配せを頼りにバスを降りて、タクシーに乗り継いで5分でホテルに着きました。チェックインを済ませて部屋でバゲージを広げていると、空港にいるヒョウさんから電話がかかってきて、飛行機の到着時刻を間違えてごめんなさいと謝るので、出迎えの労をねぎらっておきました。旅にはアクシデント(予期しないできごと)がつきものですから責めたりしません。

めざましい経済発展

走行中のクルマを眺めると車種と年式から豊かな経済状況を知ることができました。上海製のサンタナ、ゴルフをはじめベンツ、米国製ビュイック、キャデラックの高級車が見られ、トヨタ、日産、ホンダなどあらゆる日本車が走行しているのですから、経済力の伸びとバイタリティーに驚くばかり、昔、道路を埋め尽くした自転車の群れが半減して、モーターバイクが目立つようになったのも大きな変わりようと受け止めました。

市中の道路はどこも渋滞している

多くの人が自動車運転免許教習所に殺到して、個人所有の乗用車が爆発的に増えた結果、2005年は初心者ドライバーの急増で交通事故が多発したといい、2006年は少し落ち着いていると聞きました。普通乗用車が日本円換算で400万円~500万円、これにナンバープレートが50万円、市政府が車の台数を制限している事情からナンバープレートがないクルマも存在するらしい。高価なクルマが増える背景に経済の過熱を指摘する向きもあり、内陸部の生活水準の向上がこれからの大きな課題と思われます。

SRSAのメンバーで通訳を務めてくれたヒョウさん(BG4BWH)は、中国製のワンボックスカーにHF帯とVHF帯の2台のトランシーバーを搭載してモービルハムを満喫、自宅に大型液晶テレビと日本製の衛星チューナーを備えて日本語を忘れないようにBS放送を視聴しているという、いわゆる富裕層に属する方とお見受けしました。日本の大学を卒業した後、日系貿易会社に勤務するヒョウさんが「SEANET2006大阪大会」に旅費を自ら支払って参加したと聞いて、中国経済の豊かさを信じないわけには行かなくなりました。

BG4BWHモービル

モービルハム全盛の上海

中国のハムライセンスはBA(一級)、BD(二級)、BG(三級)、BZ(四級)の4種類。個人所有のクルマの普及にともないモービルハムの愛好者が爆発的な勢いで増えました。7.050MHzを連絡周波数に小型のHFトランシーバーを搭載して遠距離交信を好むモービル局を目の当たりにしました。市内の430MHzFMリピーター(439.625MHz、439.650MHz)の運用もあり、モービル局やハンドへルドでの運用が楽しめる環境にありました。アマチュア無線は大人の趣味として根付いた感があり、自動車の普及率の向上とアマチュア無線の結びつきが、象徴としての「モービルハム」なのでありましょう。

クラブ局の子供たちはいま?

1978年ごろBY1PK(北京市)、BY5RA(福州市)、BY4AA(上海市)の順にクラブ局を開設しました。有資格者のもとで小学生・中学生を訓練してオペレートが許されたが、後にBZ4×××の資格を取るように誘導しています。その後、全国の少年宮、青少年科学センター、小学校・中学校等に開設したクラブ局が地域ごとのコンテストに参加して入賞、電信の送受信スピード競技の入賞者は、進学時に特別なポイントが与えられる制度があったために、親が子どもをクラブに入れたために、どのクラブもにぎやかな時期があるが、2000年あたりで特別な加点制度が消滅して親の熱は一気に冷めたといわれています。いまはアマチュア無線が「科学する心を育てる」あるいは「通信術は脳の働きを良くする」という親の理解があり、子供たちにも人気があるといわれているが、「受験勉強との両立が可能だろうか」という親の心配が解消されていないのが実情です。

オールドタイマー

中国でもっともアクティブな一人に数えられるBA4CH許(85歳)さんは14.180MHzでMCを務める有名人です。ドクターハムのBA4AD郭徳文さん(80歳)、BA4AF詹さん(86歳)、そして上海のまとめ役BA4AA徐儒さん(76歳)とアイボールQSOができました。徐(シュ)さんは自宅の屋上に6エレメントトライバンドを上げてCW/SSB/SSTVにアクティブです。若い世代のお手本となり上海のアマチュア無線界を牽引してきたオールドタイマーの高齢化が進んでいるのが唯一気がかりです。1995~1998年に一世を風靡したBY4ALC(中国福利会少年宮)の台長を務め子供たちの育成に携わったBD4CW鄭正文さん(58歳)は、宋慶令基金会の副秘書長の要職にあるため、オンエアから遠ざかっているが定年になったらアマチュア無線にカムバックしたいという。

オールドタイマーの3人(左からBA4CH BA4AD BA4AF)

上海奥林匹克ホテル(上海市中山南二路1800号)のクラブ局BY4AOHは、管理者のBD4DY(Jiang、ジアン)が転職したために、現在はコンピューター・エンジニアが後を継ぐべく資格試験の勉強中らしい。中国ではCRSA(中国アマチュア・ラジオ協会)の運用許可書を持っている方は、フロントに声をかけてみましょう。屋上にHF帯トライバンダーが上がっている珍しいホテルです。全室 にLAN端子が付き、パソコンを備えた部屋もある4星ホテルです。

BY4AAを訪ねて

上海に来ると必ず上海市軍事体育クラブにBY4AA(上海市ラジオスポーツ協会、顧安義会長)を表敬訪問します。台長のBA4EHチェン(陳云昌)さんはSEANET06大阪大会に上海訪日団の代表として来日したばかりで、電信の名手として知られています。そのチェンさんに迎えられてBY4AAのシャックへ入りました。ここで顧安義会長、徐儒さん(BA4AA、元副会長)ら数人と談笑していると、チェンさんが録画したTV番組を見せてくれました。上海の個人局の活動を記録した30分ほどの番組で、冒頭オールドタイマーの活動が克明に描かれていました。BA4AA、BA4CA、BA4CAのオールドタイマーが出演しているほか、交信相手にBA1AA童效勇さん、BA1CY周海嬰さん(魯迅の子息)の出演があり、興味深い構成にまとまっていました。後日、この番組の使用許可をいただいてWebサイトで公開していますのでのぞいてみてください。

あとがき

さよならパーティーにSRSAの顧安義会長、BA4AA、BA4EH、BA4AD、BA4AF、BA4CH、それにBY4AY、BY4BHP、BY4BJAのリーダーたち、BA4EA、BD4DY、BD4CWら友人たちが集まってくれましたので、SRSAの発展を願い「ARISSスクールコンタクトに取り組んでみてはどうか」と提案してみました。ARISSはAmateur Radio on the ISS(International Space Station)の略称で、宇宙飛行士が余暇時間を使ってスクールコンタクトを行っていると説明すると、青少年科学技術センターのリーダーたちが大きな関心を寄せてくれました。BY4BJAはすでに衛星通信の設備を持っていますし、BY4AYも意欲的に取り組む姿勢を見せていますので、できる限りの技術援助を約束しました。ともあれ3年ぶりの上海訪問に変わらぬ友情で温かく迎えてくださった友人たちに感謝しています。

上海の友人たちと記念撮影