「戦前、戦中、戦後を考えてもすべてアマチュア無線人生でした。」と、清岡久麿(戦前J2KQ、戦後JF1ERP)さんは、これまでの半生を綴った「私のアマチュア無線人生」の終わりにこう表現している。昭和9年(1934年)アマチュア無線免許を取得した清岡さんは、ニポー板式テレビジョンの実験、機械式オシロスコープの製作など、先端技術にチャレンジする。戦中は日本陸軍の航空情報隊の一兵卒として、北朝鮮の山の上の電波警戒機部隊で活動し、戦後は中国に抑留されて送電線搬送電話の技術指導。帰国後はアンテナ専門メーカーでアンテナ開発に従事。文字通り「無線通信」とともに、歩んできた人生であった。今回は、とくにご本人のご希望により、清岡さん自身の筆による「半生記」のまま掲載します。